下宿屋の主土井半助(39)が、周囲から「土井先生」と呼ばれることが多いのは、下宿屋を営むかたわらで
	そろばん塾も開いているからだと思われがちだが、実はそれだけが理由ではない。もちろん、そういう
	意味で「先生」と呼んでいる者も多いが、年が近い者や商店街の子供達は、彼が急な親の訃報を受けて
	地元に戻って来る前に、数年間小学校の教師をしていたことを知っている。

	半助は、決して家業も地元も嫌ってなどいなかったが、教師になることが学生時代からの夢で、周囲も天職
	だと思っていた。だからこそ、事故で揃って逝った両親の葬儀の場で、一時帰省した彼に下宿はどうするの
	かと尋ねた者の殆どは、今居る店子の引越し先を探してやって閉めるか、人手に渡して任せるかの、どちらか
	だろうと考えており、まさか
	「私が継ぎます」
	という答えが返ってくるとは、思っていなかった。

	「継ぐってお前、教師の仕事はどうするんだ」
	「辞めます。……引き継ぎなども必要ですし、急すぎると生徒も困惑しますし迷惑でしょうから、今年度
	 一杯は無理でしょうが」
	「それで後悔は無いのか?」
	「ええ。元々、父さん達が隠居することにしたら、ちゃんと戻ってくる心積もりはありましたから」

	きっぱりとそう答え、ちょうど七松組の家政婦の仕事を滝夜叉丸に引き継いだばかりで、手の空いていた
	食満留三郎の母に、来年の春まで一時的に寮母を依頼するなど、迅速な行動をしていた彼を、無神経に
	「薄情だ」
	だとか
	「冷めている」
	などと表した関わりの薄い輩は、初代の赤鬼総長他の、血気盛んな面々に
	「何も知らないで勝手なことを言うな」
	と凄い目に遭わされた。という噂が、今も語り継がれているとかいないとか。

	閑話休題

	ともかく、いきなり家族を喪い独りになった悲しみや辛さをこらえ、夢だった教師の職を断腸の思いで辞し、
	半助は下宿屋の主となった。それでも未練が残っているのか、ただの性分なのか、数年後にそろばん塾を
	始めた時から、年の近い商店街の面子―そろばんを習いに来た数人以外まで―などが、わざとらしい位に
	「土井先生」
	と呼びまくったのが定着し、今に至っていたりするらしい。



	そんなこんなを踏まえ、

	「ことわざに『一寸先は闇』というのがあるけれど、闇の先にもまた何かあったりするし、そもそもあの
	 ことわざの『闇』って、何があるかわからないだけで、別に悪いことだけを指している訳じゃない気が
	 するんだが……」
	「そうですね。俺も、元々は祖父さんや親父の跡を継ぐつもりでいたんで、まさか弁護士になるとは思って
	 なかったです」
	「同感です。私もこんな人生を想像したことなど、あるわけありませんし」
	「……。俺は、豆腐屋の息子に生まれて、当たり前のように親から普通に代替わりして豆腐屋になったので、
	 そういうのはありませんが、三郎なんかがやらかすことの予測はつかないですね」
	「あー、俺は何か、両方合わせた感じの気持ちが解ります。……堅実に役所勤めを選んだってのに、何で
	 クレームの大半が知り合い絡みなんでしょうね」
	「問題を解決に持っていく役目の筈なのに、ひっかきまわしたり問題を起こしかねない面子に囲まれている
	 よりは、マシなんじゃないか?」

	等々、微妙にそれつつも何となく噛み合った感じに話が進み続け、そのどれもがお互いに共感出来なくも
	無いのは、この会話が、周囲にこっそり「苦労人友の会」と呼ばれているメンバーによる飲み会の際の
	ものだからなのかもしれない。




五万打記念おりづる様リク「千里同風/苦労性ご一同様(の誰かでも可)/一寸先は闇」 ちょうど合いそうな設定があって、「そういえば七松組で土井さん書いたことないな」と思い出したので、 そこに他の連中も足してみたのですが、オチが何か変な感じでスイマセン。 ちなみに、途中で何気に出て来た初代の「笑う赤鬼」は八百屋のおっちゃんで、その当時の副長は肉屋のおじさんです 2010.3.17 「一寸先は闇」……未来のことは全く予測することができないこと