私は、母様が一番最初に産んだ子で、一つになった頃からのことを、概ね覚えている。だから泣けない母様が、
声を上げずにただ壊れたように涙をこぼし続けていた姿も、耳を塞ぎ声を殺して悪夢から逃れようとしていた様も、
誰よりも沢山見てきた。特に、文多が生まれるまで、父様が不在の時の母様はとても不安定で、何度父様に似た
所を探され、何度父様の名を尋ねられたか、定かではない。
それでも母様は、父様が居る時やお客様や患者さんの前では、大抵いつも笑っていた。
だけどある時、患者さん相手と、仙蔵さん達やきり丸兄さんなんかがいらしている時と、父様や私達と過ごして
いる時―正確には、父様相手と私達相手も少し違うのだけれど―では、全て違う笑い方なことに気がついた。
患者さんに対しては、とても穏やかに。旧知の方々の前では、すごく楽しそうに。そして私達と居る時は、心から
幸せそうに母様は笑う。そのどれもが、作り笑いでは無く本心から笑っているのだということは、小さい頃から
解っていた。でもそれは、独りが辛くて、悪夢に捕らわれたくないから、誰かが居てくれることに安堵していた
からだと思っていた。
だけど、この間留おじさんにそんな話をしてみたら、
「俺らの前で笑ってんのが、本来の伊作の姿だと、俺や立花達なんかは思っているけどな」
という答えが返ってきた。
「どういうこと?」
「確かに不安定になってることもあったし、壊れかけていたのも事実だが、アイツは昔っから基本的には全てを
笑って受けとめようとしてた。けど、偶に余裕が無くなったり、精神的な均衡が崩れると混乱状態に陥る所も
あって、その傾向が顕著に現れてたのが、学園を辞めてから文多が生まれる位までだった。ってのが、俺らの
解釈なんだ。だからつまり、笑ってんのが通常で、笑えなくなってることが異常だったんだよ」
えっと。よく解らないけど、私が良く知っている母様は、本当に「壊れていておかしかった」ってこと? それと、
留おじさん達と居る時が本来の母様ってことは、私達や父様相手の母様の様子は何なの? そう訊くと、
「患者の診察や手当てをしている時が、保健委員としてのアイツで、俺らと居る時や潮江に説教しながら手当て
してる時なんかが、学園に居た頃の『伊作』で、それ以外の時は新しい人生を楽しんでいる、……言うなれば
新しい素の姿。って所か」
少し悔しそうな苦笑いで、留おじさんはそう説明してくれた。
「お前がどの程度聞かされているかは知らないが、俺らの知っていた、十から十五までの『伊作』は、男である
ことを強要され、抑圧された状態でも良いこと探しをしてるような前向きな奴だった。で、その後学園を去り、
潮江と所帯を持って、お前らを産んで以降のアイツは、新たな問題や言えない過去も抱えてはいたが、ずっと
はめられていた枷の大半から解放され、手探りで妻や母親というか、『女』としての新たな人生を楽しもうと
決めた。その『女』であるアイツの姿は俺らの知っている『伊作』とは、良く似ているけど違う。……ってな
感じなんだが、俺も自分で言っててよく解らなくなってきたけど、解ったか伊織?」
「何となく、解るような解んないような……。けど、とりあえず今の母様が、本来の母様なのね?」
説明を聞きながら、留おじさんが言わなかった―というか言いたくなかった―ことに気が付いた。改めて考えて
答えが出たのは、アノ家出していた時かもしれないけど、母様は多分私か泉を産んだ辺りから、ちゃんと父様の
ことを愛していて、父様や私達が居るだけで幸せだと思えるようになったんだろう。
そんな結論を出してから、しばらく経った頃。留おじさんの所に、梓に続いて2人目の娘の棗が生まれたことを
聞いた私は、半助おじさんの所にはぎんが、こへおじさんの所にも栗子、山女、桃の3人の女の子が居るんだから、
私も次は弟より妹が欲しいと母様に言ってみた。
伊達に医者の娘はしておらず、字を読めるようになる前から母様の医学書を眺めていたので、私は医術にもそれに
付随する諸々に関しても、他の同年代の子供の何倍も何十倍も詳しく、つまり何を言いたいのかというと、子供が
出来る仕組みも随分と前から知っており、ここ数年の―わだかまりが解けた後の―両親を見ていると、もう一人位
弟妹が出来てもおかしくない。と思ったのだ。
けれどそんな私に母様は、少し申し訳なさそうに「ごめんね」と言いながら微笑いかけた。
「ごめんね、おんちゃん。アノ、最後の子の時に身体を痛めちゃったみたいで、もう産めないんだ」
普段患者さんの前で見せるような、穏やかな笑顔でそう告げた母様は、その現実を受け止め、受け容れている
ように見えた。だけど私は、泉を産んでから文多が生まれるまでの間に失くした子達のことも、多少は覚えて
いる。だから母様が、それを報いだって自分を責めていたことも覚えていて、父様への想いを自覚した今こそ、
その証の子が欲しいに決まっているのに、もう二度と産めないなんて。そう思ったら、涙が止まらなくなった。
「泣かないで、伊織。君が哀しそうだと、私まで哀しくなっちゃうよ」
「でも、だって、母様。母様は、何で笑えるの?」
「だって、幸せだもん」
私の涙を拭いながら、母様は心から幸せそうに、嬉しそうな笑顔を見せた。
「……あのね、伊織。いつだったか長次から聞いたんだけど、溜め息を一つ吐く度に、幸せが一つ逃げてしまうん
だって。だからなるべく溜め息は吐かないようにして、いつまでも過去のことに捕らわれていないで、前を見て
些細なことでいいから幸せを見つけていけた方が、良いと思わない?」
特に母様は、残された時間が他の人よりも少ないからこそ、より一層「今」を楽しむようにしているという。その
言葉に、更に涙が出そうになった。けれど、
「確かに、この先新しい子供を産むことは出来ない。だけど、既に元気で可愛くて愛しい君達二人が居るし、
誰よりも大切な愛する人が居て、自分もちゃんと愛されていることが解っていて、かけがえのない友人達も
居る。それだけでもう充分なのに、兄様や義姉様や弟まで手に入れた。コレ以上の幸せは、身に余る位だよ」
母様がそう言って笑うから、涙をこらえ、私も笑おうとした。上手く笑えたかは解らないけど、それでも母様は
満足げに微笑んでくれたから、多分笑えていたんだと思う。
「私は、今幸せだから笑っている。そして君達にも、出来る限り笑っていて欲しい。だけど、無理はしないで。
私みたいに泣けなくならないように、哀しい時や辛い時はちゃんと泣いて、誰かを頼り、嫌なことは『嫌』と
ちゃんと言って、怒る時には怒る。君達には、そういう感情豊かな子になって欲しい」
そう言い聞かせた母様の表情は、ほんの少しだけ硬かった。私は、母様の過去を詳しくは知らないし、この先も
母様自身―もしくは父様―が語ろうとしない限り、自分から訊くつもりもない。真意など知らなくても、母様が
望む通り、感情を素直に表すことはそんなに難しいことでは無いと思う。だから今度こそ自分に出来る最上級の
笑みを母様に向けたら、
「意外と、笑い方が文次と似てるよね」
という呟きが聞こえた。……それは、何となく嫌というか、父様ってこんな笑い方するの? つい、そう訊いて
しまったら、
「普段は皮肉っぽい笑い方が多いけど、たまーにね。ただ、見たことあるのは私だけかも。君達が生まれた時や、
帰って来たのを出迎えたり、逆に送りだす時に笑い返してくれる時だから」
との、惚気じみた答えが返ってきたので、後日試しに父様にも確認を取ってみた。すると
「自覚はねぇが、いさがそう言うならそうなんだろうな」
あっさりそう返ってきたので、逆に父様しか見たことの無い母様の笑い方はあるか訊いてみたら、
「戻った時に、一瞬だけ見せる安堵した後の笑い方だな。あとは、説教しながら手当てしてんのに、何か笑って
んのも俺相手位だろ」
とのことだった。確かに母様は、忍務帰りの父様の手当てをしている時、妙に嬉しそうな顔をしていることが
よくある。お説教内容は、「怪我しないように、もうちょっと注意しなよ」「応急処置が甘い」「自分の身を
大事にしてよね」などが殆どで、でもそれ以上に、父様が帰って来ただけで充分だと思っているんじゃないか。
っていうのは、傍目の私でも解る。そう返すと、
「だから俺は、瀕死の重傷を負おうとアイツの元に戻ることと、万一アイツより先に逝く場合は、絶対にアイツの
前でだってことを誓ったんだ」
そんな、惚気なのかよく解らないことを教えられた。ついでに、母様も「父様が戻るまでは絶対に死なない」との
誓いを立てているらしく、それもあって父様は、何があろうと意地でも帰って来るようにしているのだという。
その誓い通り、毒矢を食らった状態や、腕が半分もげかけた状態で父様が帰って来たこともあったし、起き上がる
ことすら困難になり、光を失っても母様は、笑いながら父様の帰りを待っていた。
そんな最期が近付いていた頃。母様に、「どうしてまだ笑えるの?」や「母様は今幸せ?」などと訊いてみた。
すると母様は
「幸せだよ。文多も無事に忍術学園を卒業して立派な忍びになって、今もまだ元気にやっているようだし、諦めて
いた孫の顔まで見れたし、文次に先立たれないで済んだもの。だから、『笑う門には福来る』は正しかったって
ことだよね」
そう答えてから、半ば独り言のように
「……『いつも楽しそうに笑っている人の元には、おのずと幸せが巡ってきます。辛さや悲しさにくじけること
なく、明るく暮らしていれば、いつか必ず幸せは訪れるんです。だから、笑っていて下さい』っていうのが、
織野がお嫁に行く前に僕に残した言葉だったんだけど、その通りにしたら、本当に幸せになれたんだ」
と付け加えた。私達の祖母に当たる人が亡くなり、織野さんがお嫁にやられて母様が独りになったのは七つの時の
ことらしく、それ以降母様は、ずっとこの言葉を信じ、支えにして生きて来たのだろう。その当時の、弱く幼い
姿を想像すると、ついつい涙がこぼれそうになった。けれど、ここで泣いてしまっては母様の想いに反するので、
「そうだね、母様。母様は、自分で幸せを勝ち取ったんだね」
最期のその日まで、目一杯笑って幸せでいてもらおう。私にとって、辛く悲しいのは、こんなにも早く母様を
喪うことだけど、ずっと笑って、幸せになるから、安心して。
五万打記念リクエスト 円珂様リクエスト
「落花(本編完結後の未来編)/伊作中心の潮江一家/笑う門には福来る」
裏日記にひっそり置いていた100質問を踏まえて
「本編完結から数年経って、幸せな(or周囲から幸せなんだなと思われている)伊作さんを是非読んでみたいです」
とのことでしたが、「伊作的には幸せらしいけど、周囲的にはどうなんだろう」な内容の上、辛うじて旦那は出したものの
息子居ないし、最後の方以外は棗が生まれた年なので、伊織11歳=本編完結の3年後だと思いますが、それにしては伊織が
ちょっと大人び過ぎた気が……
等々反省点は多いのですが、こんな感じでよろしいでしょうか?
2010.5.26
2010.6.15 移動に伴い改題
福寿草の花言葉:幸福を招く
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