七松組の跡取りである小平太が、最もヤンチャしていたのは中高生の頃で、特に女遊びが派手だったのは高校
	時代のこと。その後、高3時に滝夜叉丸(当時中2)が七松組に身を寄せるようになってからは、若干大人しく
	なった所為で、未だに色々と下世話な噂がはびこったりもしているが、それはひとまず置いておいて、そんな
	過去があるので、20歳の時いきなり2〜3歳の子供を連れ帰った際、誰もがその子供は小平太の子に違いない
	と思ったという。
	しかし本人曰く、

	「パチンコしに行ったら、そこの駐車場に居て、親が店の中に居るか、近くで別の子とかくれんぼとか鬼ごっこ
	 でもしてんだと思ってほっといたんだけど、2時間位して店出た時もまだ同じ所に居て、しかも雨降ってきて
	 んのにそのまま座ってたから声掛けたら、しゃべんなかったけど何か迷子みたいだったから、とりあえず交番の
	 奴らにも伝えてから連れて帰ってきただけ!」

	とのことらしい。その証言を、そのまま信じたものは居なかったが、小平太の子にしろ迷子にしろ、親は探せば
	見つかるだろうと調べさせ、びしょぬれだったので小平太が風呂に入れ、金吾のお下がり着せ、そこから先は
	主に滝夜叉丸が面倒を看たが、拾われてから素姓が知れるまでの丸1日以上、幼児は泣いたり多少ぐずったり
	する以外は一切口を利かず、素姓が判明し正式に七松家で育てられることになってからも、あまりしゃべらず
	表情にも乏しかった。
	
	その幼児―こと四郎兵衛―の世話を任された滝夜叉丸は、感情を殆ど表に出さないくせに自分にべったりな従兄の
	綾部喜八郎で慣れているとかで、余人には解らないような変化でも目聡く気付き、更に小平太の姉や金吾の母、
	商店街の母親勢、保育所の保護者達などから様々な助言をもらいながら、実に見事な母親役を果たしていたが、
	いささか過保護で、先回りをして世話をしている感があった。
	その一方で、拾ってきた張本人かつ、その位の年の子持ちでもさほど違和感のない小平太は、生活面の世話は、
	精々が風呂に入れてやるとか、滝夜叉丸が忙しい時などは食事や着替えを手伝ってやることが無いことも無い
	程度で、基本的には遊んでやるのが担当だったが、情緒の発達に関しては小平太の功績の方が、実は大きかった。
	というのも、たとえば四郎兵衛が目線だけで何かを―「遊んで欲しい」「お腹が空いた」「抱っこして」など―
	訴えた場合、滝夜叉丸はそれをすぐさま読み取って希望を叶えてやったが、小平太は大抵
	「ん? どうした、しろ。何か言いたいことあったら、ちゃんと言え」
	と返すもので、徐々にしゃべるようになり、表情や感情表現が乏しいことに関しても、ハッキリ表さないと
	一切読み取ってくれない上に、小平太自身の喜怒哀楽が解り易い為、気付いたら改善されていたという。

	そうして四郎兵衛は、少々おっとり系で控えめではあるが、しっかりと人とコミュニケーションがとれるように
	育った。しかしながら、

	「行儀作法をしつけたのは滝さんだし、一般常識に至っては、俺らが教えた気もするから、やっぱり若は良い
	 影響と悪影響半々位の、反面教師系の父ちゃんタイプだと思うんだよな」

	などと、四郎兵衛が比較的マトモに育った陰の功労者の一人である金吾が、友人達に語った内容によると、

	「しろがチビの頃は、俺もまだ小中学生だったわけだけど、それ位の俺から見ても、若は色々ムチャクチャ
	 だったんだ。何しろあやし方は力任せで豪快だし、思い付きで行動するし……」

	具体的には、空中に放り投げて落ちて来たのをキャッチしてまた放る「手放し高い高い」や、腕を持って思い切り
	振り回す「メリーゴーランド」などは早々に滝夜叉丸に禁止され、公園で遊具を押してもらった結果「強すぎて
	怖かった」と泣いて帰ってきたことも珍しくなく、テレビや絵本などで四郎兵衛が興味を持ったからと、いきなり
	遊びに出掛けることにしたと言い出した時には、滝夜叉丸も高校や大学を欠席なり早退させられ、連れていかれて
	いたという。

	「しかも滝さんもどこかズレてるから、大学時代に『海に行くぞ』って迎えに来られた時の第一声が、『もっと
	 早くに言って下されば、弁当を作りましたのに』だった。とか、子持ちの噂が立ってる時に、しろを連れた
	 若に『ウチの奴』みたいに人前で言われても気にしてなかった。とか、見知らぬ通りすがりの人になら家族に
	 間違われても否定しない。とか、綾部さんを筆頭に色んな人から聞いたし、俺自身そういう所見たことが結構
	 あるんだよなぁ」

	そんなズレた親代わり達にツッコミを入れ、辛うじて常識の範囲内に入るように、陰ながら色々な指導をした
	縁の下の力持ちは、小平太の友人達の中では最も真っ当な筈の、現七松組の顧問弁護士の食満留三郎や、金吾
	他の比較的マトモな感覚を持った七松組関係者―厚着、戸部など―で、留三郎曰く

	「七松の身内に任せておくと、行く末が小平太や八左ヱ門系なのは目に見えていたし、平も綾部っていう前例が
	 あるからな」

	とのことらしい。




五万打記念企画 零華様リクエスト 「千里同風/七松組で小平太と四郎兵衛の親子話/縁の下の力持ち」 えーと、コレは辛うじて「親子話」になってます……よね? 2010.4.22