七松組は、四郎兵衛が小学校に上がるのを期に離れが増築され、
小平太の父である五代目組長及び、その側近達が離れに移った。
そして五代目の部屋に小平太が移り、小平太の使っていた部屋は
四郎兵衛に与えられたのだが、そこには「開かずの押入れ」がある。
その押入れには、部屋を明け渡す際に―片付けが面倒臭かった―
小平太が適当に突っ込んだ物の他、昔から蓄積され続けた過去の
私物が眠っており、かつては「開かずの戸棚」や「謎の段ボール」
などもあったが、ことあるごとに少しずつ滝夜叉丸が片づけていき、
今はどうにか押入れのみになっている。
それらの中には、明らかに要らないゴミから、使えるが捨てるのも忍びない
学生時代の教科書や野球のグローブなどもあれば、何だかはよくわからないが、
小平太が収集したとおぼしき怪しいブツも山のようにあるので、四郎兵衛は
たまにそこを漁って、面白そうなものを見つけ出すのが好きだったりする。
そしてこの日見つけたのは、何冊かのアルバムらしきものだった。
勝手に中を見るのは気が引けたので、居間にいた小平太に許可を
とってから、その場にたむろしていた若い衆―金吾他―と開いて
見始めると、1冊目は小学校に上がる前後のもののようだった。
「わぁ。若がちっちゃい。こっちの子は、ハチ兄ですか?」
「ん〜。どれどれ? ああそう。ハチと姉ちゃん。姉ちゃんこの頃はまだ細かったから」
四郎兵衛が指し示した写真には、何故かカメラの前から逃げ出そうとしているように
見える3〜4歳の男の子と、その子の襟首を捕まえて呆れている若い女性と、それを
見て大笑いしている、捕まえられている子より少し大きい男の子とが写っていた。
「こちらの美人さんはどなたですか?」
「お袋。…てことは、コレ事故前に墓参り行った時か。ほら、この後しばらく開いてるし」
金吾が訊ねたのは、そのページの写真に写る中で、唯一見知らぬ女性に
ついてだったが、よく考えてみれば小平太の亡き母以外にあり得なかった。
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パラパラとページをめくるって見せる小平太は、特に気にしていないようだったが、
場は気まずい沈黙に支配された。それを見兼ねて輪にまじってきた滝夜叉丸は、一旦
小平太からアルバムを借り受けて適当なページを選び、一枚の写真を指さして訪ねた。
「こちらは、小学校の入学式ですよね。一緒に写ってるのは……」
「留と文次だな」
真新しいランドセルを背負って写っていたのは3人の少年で、小平太以外の
少年たちにも、どことなく見覚えがあると思ったら、案の定知り合いだった。
「あ。本当だ。隈がないから判り難かったんだ」
流石の潮江文次郎も、6歳当時は目の下に隈が染みついてはおらず、かつ無邪気に笑っており、
そもそもが幼い頃なので、しばらく凝視しないと同一人物だとは判別できなかったようである。
「小学校が一緒だったのは、このお二人だけなんですか?」
自身が、叔父である戸部の剣道教室に通っていた際に知り合った、近所の
子供達と同じ中学に行きたくて越境した金吾が、残りの友人達は他学区か
私立にでも通っていたのかと訊くと、小平太からは意外な答えが返ってきた。
「うん。というより、あとの3人は地元この町じゃないから」
「え? しかし、この先のページに、立花さんや中在家さんの写真はありましたよね?」
小平太と親しい5人は、あまりにもタイプが違うため、てっきり幼少期に知り合い、
その流れでつるんでいるのだろうと、その場にいた全員が思っていたので驚いたが、
声を上げたのは先ほどアルバムの他のページにも目を通していた滝夜叉丸だった。
「仙ちゃんは、祖母ちゃんがこの町に住んでてたまに遊びに来てたし、長次は
美術館建てた祖父ちゃんに懐いてたから、会ったことも遊んだこともあったんだ」
正確には、仙蔵は子供の頃は軽いぜんそく持ちで、地元よりは空気の良い祖母の
元へ時折療養に来ており、中在家美術館は長次の祖父が、定年後の道楽まがいに
建てたもので、長次以外に共感を持っていた親族がいなかったりする。
「いさっくんは仙ちゃんと留と長次と高校一緒で、留んちに遊びに来た時に
俺らとも知り合ったんだ。…その辺は、留に訊いた方が解りやすいと思う」
その後は、小平太的にはこの話題は終わりにしたつもりらしく、これ以上訊いても
答えてもらえなかったので、他の事を話しながらアルバムの先を見ていった。
その中で、一同が妙に気になりはしたが誰も口にしなかったことがある。
高校時代にあたるアルバムに、他の面子と共に写っている伊作の顔や
体には、ことごとく白いもの―ガーゼやシップ、包帯、眼帯など―が
目立ち、赤どころか青や黒の痣まであるように見えたのだ。
数日後。一応仕事(顧問弁護士)の一環として、七松組を訪ねてきた留三郎は、開口
一番「今時間あるか?」と小平太に訊かれたので、「無くはない」とだけ答えると、
「なら、高校時代のいさっくんの話、こいつらにしてやって。こないだちょっとだけ教えたから」
との言葉の直後に、アルバムを抱えた四郎兵衛や、その傍らの滝夜叉丸などに頭を下げられた。
そしてかいつまんだ経緯を聞かされると、
「ああ。そりゃ気になるかもな」
と話を始めてくれた。
俺と伊作・中在家・立花が同じ高校だった。ってのは小平太から聞いてるんだよな?
俺らが通ってたのは、この町からだと電車で30分ほどの高校で…ああ、そうだ。
平の従兄(綾部)と同じ、県立北高。この辺は、普通科の高校の方が少ないからな。
俺と伊作が同じ組で、中在家は隣の組だったんで体育が合同。立花と伊作は
中学時代からの友達で、しょっちゅうお互いのクラスに顔を出していた。
…というより、「立花がうちのクラスに入り浸っていた」の方が正しいか。
今のアイツからじゃ信じらんないだろうが、伊作は立花の他に友達は、いないし作ろうとも
しないで孤立していたんだ。それで心配なのかちょくちょく顔を出した立花が、顔見知りの
俺の存在に気がついて、「何かと気にかけてやってくれ」と頼んできた。それがきっかけだな。
それで、基本的には伊作を中心につるむようになったんだが、たまに俺らだけで
この町や他の、小平太だの潮江だの商店街の連中などの話になることもあった。
そこでまず、興味を持ったんじゃないかと思う。
流石に高校生ともなりゃ、毎度待ち合わせてつるんで下校。なんてことはしないが、
4人とも委員会も部活も何もないような日には、時々一緒に帰ったりもしていた。
…といっても、駅までだけどな。うちの高校の最寄り駅は、ホームが両側でその間に
電車が来るような作りになっていて、俺だけ下り方面であとの連中は上り方面だったんだ。
だから、電車が来るまで上りホームか改札のあたりでだべって、アナウンスが聞こえたら
別れて俺は下りのホームに向かうようにしていたんだが、たまに中在家がじいさんに用が
あるとかで、こっちに来ることもあって、それが夏に入った辺りから、頻繁になったんだ。
どうも、夏休み中に「バイト」って名目で中在家美術館の手伝いをすることに
なったんで、その絡みで事前にやることがあったらしい。で、それを聞いた立花が
「休みに入ったら、久々に美術館に足を運ぶのも悪くないな」
とか言いだしてな。流れとしては自然だし、元々立花は俺らと遊びまわるよりは、
絵や何かを静かに見ている方が好きなガキだったみたいだから、俺らは特に何とも
思わなかったんだが、話に交じれないでいた伊作が、ポツリと淋しげに呟いたんだ。
「いいなぁ。楽しそう。僕も、行ってみたいな」
「なら、一緒に出掛けるか? 中在家美術館は、長次のおじいさんの収集品だけで
構成されていて、統一感は今ひとつないが、値段や世間の評価とは無関係に、ただ
ひたすら『コレはいい』と思ったものを揃えているらしく、案外面白い場所だぞ」
「うん。美術館にもだけど、留さんが住んでて、仙蔵や長次の話にもよく出てくる、
その町に行ってみたい。…ほんの少しだけでいいから、君達と同じものを知りたいんだ」
俺自身詳しい話までは知らないが、どうも伊作は養子で、家庭環境に問題があったらしくてな。
家に帰りたくはないが、かといって行くところもないから、長期休みが厭で仕方なかったんだと。
てなわけで、ひとまず「次の週末辺りに遊びに来りゃ良い」って誘って、夏休みになったら
俺んちに泊まりに来る約束もした。そんで、一度遊びに来て以降はしょっちゅうこっちに来る
ようになって、結局その年の夏休み一杯、立花がばあさんから相続した家―言い忘れていたが、
立花のばあさんは、立花が中学の頃に亡くなっていて、今住んでるあの家と、事務所や伊作の
薬屋が入ってるビルを、立花個人が相続したらしいんだ―に、立花の許可の元、住み着いていた。
最初の内はな、俺はそんな家出状態は良くないと思っていたんだ。だけど、そう言って一度
むりやり帰宅させたら、片腕にヒビ入れて眼帯して戻ってきた。…写真見ただろ? アレは、
ほとんどが家でつけられたやつらしい。それを立花は知っていたから、ばあさんの家を好きに
使わせてやっていた。と、後から聞かされて俺は後悔したね。…先に言っとけってんだよ。
そんなわけで、あいつは半分この町の住民みたいなもんになったんだ。っと。こんなもんでいいか?
本当は、もう少し色々とごたごたがあるのだが、留三郎は言わずに話をしめた。
そして伏せた何かがあることを、感じ取ったのか気づいていないのかはわからないが、
聞き手側からはそれ以上の追及は特になかった。けれど一つだけ。たまたま三之助に
用があって七松組を訪れており、流れで一緒に話を聞いていた富松作兵衛が一言
「その場にいたんだか、藤内づてに聞いたんだかは忘れましたけど、高3の時に数馬が、
『失踪中のお兄さんから連絡があった』ってはしゃいでたのを思い出したんですけど…」
作兵衛達の友人の一人である三反田数馬は、伊作にとって義理の弟にあたる。
「ああ。伊作は高校卒業の3日前に姿をくらまして、6年後に突然この町に戻ってきて薬屋を開いたんだ。
その間のことは知らないが、時々手紙や何かは来てたから、生きてることだけは解っていたんだが…」
常にバラバラの消印からでは居場所の特定はできす、文面に近況は一切なし。
ただ、生存を教えるためだけに送られ続けてきたような手紙の、最後の一通には
「ただいま」
とだけ書かれており、よく見ると消印が無く、直接投函されていたのだとわかった。
「まず立花に連絡を取って、ビルの契約をして、越してきてから俺らに手紙を届け、
義弟に手紙を送ったのは、たぶんその後だな。俺らも『これで数馬を迎えられる』
って伊作が笑ってんのを見た覚えがある。…正直、あれだけ親を嫌っていたのに、
義弟だけは可愛がっていたのが不思議だったから、余計に印象に残っているんだ」
今は、その理由を留三郎は知っている。けれど、他人に漏らすは一切ない。
そしてその内容に薄々感づいているらしき滝夜叉丸が、その場を仕切って話を
完全に終わらせてくれたことに、留三郎はホッとすると同時に、説明を丸投げに
した小平太を少しだけ恨んだ。しかし、一番詳しくかつ客観的に話せるのは自分
しかいないのもわかるので、後で軽く文句を言おう。とだけ心に決めた。
う〜ん。何か書いてる内に訳わかんなくなってきて、ちょっと不完全燃焼。
でも、書こうとしたことは一応全部入ってるし…
とりあえず、近隣の高校名は『三工』(工業/町内)『六商』(商業/隣町)『北高』(普通科/近くの市)にしました。
今更ですけども、町名ないと書き辛いです。
2009.1.31
ふと自分で気がついたこと1つ
設定上伊作と数馬は義兄弟なので、学生時代の伊作の苗字は「三反田」では?
その後考えたこと
善法寺→伊作が育った寺兼引き取られる前の苗字
三反田→数馬の母親の旧姓
ってことで、2人共本名は違う。が一番しっくりくるかも
基本的に伊作だけは苗字呼びはされないから、あいまいなままでもいいんですけどね
(留→仙&長は、基本的には苗字呼びだけど、逆の仙&長→留は名前呼び。な関係です。
そして小学校頃までは名前呼びだっただろう仲の悪い幼馴染は、ワザと苗字呼び)
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