夜橋夜明(24)には、かつて姉が居た。
というか、多分今もどこかで生きてはいると思うが、幼稚舎〜大学までエスカレーター式の
中学から勝手に外部受験した高校に入学すると同時に家を出て以降、どこで何をしているのか、
さっぱり知らない。加えて、双児なので夜明的には自分が兄で相手は妹だと思っている。

そんな双児の片割れ─三夜─は、夜明の記憶にある限りでは、自分と瓜二つの顔をしており、趣味は
読書で、小説だろうが図鑑だろうが辞書だろうがパンフレットだろうが、文字が書いてあれば何でも
読むくせに、学校の成績は自分よりも悪く、本を読んでいる時だけは楽しそうで表情豊かだが、それ
以外の時は自分と同じく常につまらなそうな愛想無しで、口は若干悪い。双児でありながら、夜明は
三夜についてその程度のことしか憶えておらず、今までもこれからも、それ以上興味は無かった。

そもそも、代々医者や医療関係者ばかりを輩出している家系に生まれ自身も医者な父親と薬剤師の
母親は、揃って忙しく家庭よりも仕事優先な人で、物心ついて以降、ろくに顔を合わせた記憶がない。
そのため家政婦とベビーシッターに育てられたが、そのことに不満は特になく、「将来は医者になる
ために勉強しろ」「私達に恥をかかせるようなことはするな」との両親の言葉に逆らう気もなく、
逆に褒められたいと思ったこともあまりない。
そんな夜明を「お前、それ人生楽しいか?」と本気で心配してくれた人も居たが、言われた当時は
相手の真意はさっぱりわからず、未だに理解しきれていない。

故に、無関心なくせに子供は自分の意のままに出来る所有物だと思っている親も、与えられた職務だけを
こなし親身になることのない家政婦達のことも嫌って家を出た三夜のことは、「何を考えているのか解らない」
「馬鹿じゃないのか」と心底呆れ馬鹿にしており、今では双児の片割れの存在すら忘れかけていた。



そんなある日。とある用事で出掛けた帰りに、駅の近くのショッピングモールの書店をぶらついていると、
いきなり上着の裾を誰かに掴まれた。
振り返って見れば、掴んでいるのはまだ小学校には上がらない位の幼児で、大方はぐれた親と自分を間違えたの
だろう。と夜明は思ったが、振り向いた顔を見上げているのに、幼児は人違いに気付いていない様子だった。

「……迷子なのか? だったら、迷子センターに連れて行ってやるから」
「おかーしゃん?」

夜明が溜め息混じりに口を開くと、幼児はにわかに涙目になり始めたが、それも自分が親とはぐれたことを
自覚したからだろう。と夜明は解釈した。しかし、

「……居た! ダメだろ秋市、勝手にどっか行ったら」

この建物の迷子センターはどこだったか。とか、迷子センターに連れて行く間に泣くなよ。などと思いながら
夜明が幼児を連れて移動しようとした瞬間。幼児の保護者らしき人物が現れたが、その青年は精々20歳前後で、
4〜5歳児の親にしては少し若すぎるような気がした。

「あっちゃん〜」
「はぐれて心細かったんだな。でも、勝手にはぐれた秋市が悪いんだぞ。……しかも、知らない人に迷惑かけてるし」

幼児の目線に合わせてしゃがんで説教を始めた青年は、半ベソの幼児が夜明の裾を掴んでいることに気付き、すぐに
立ち上がって謝罪しようとしたが、夜明と目が合うなり「みや?」と呟いた。その呟きの意味を夜明が訊こうとした
矢先。青年の携帯が鳴った。

「はい。……今メールしようとしてたとこだけど、見つけた。本屋のとこ。……そう。専門書の辺り」

どうも電話の相手は、幼児の他の保護者のようで、近くに居るとでも答えが返って来たのか、青年は携帯を
手にしているのと反対の腕を上げた。それを見付け、携帯を切りながらつかつかと歩み寄ってくるなり、
「心配かけんな!」と言いながら幼児の脳天に拳骨を降り下ろしたのは……

「三夜!?」
「あ゛? ああ、何だ。夜明じゃねぇか」

やけに年期の入ったメンチを切ってきたのは、8年ぶりだが見間違える訳の無い位に未だそっくりな、双児の
片割れだった。

「おかーしゃんごめんなさい〜」
「何が悪かったのか言ってみろ」
「もうどっかいかないからぁ」
「よし。みんな心配して探してたんだから、後でちゃんと謝れよ」
「『お母さん』って、まさかお前の子なのか?」「……宮。この人知り合い? というか、これだけ似てるって
 ことは、身内か」

頭を押さえながら謝った幼児の使った呼称に対する夜明の半信半疑の問い掛けと、青年の問いが被った。

「ああ。俺の双児の片割れの夜明と、うちの一番下の秋市と、従業員で弟分の敦仁」

反省した幼児を抱き上げながら、携帯をいじりつつまとめて説明した三夜に、「一番下」ということは上にも
子供が居るのか。とか、「従業員」て何か商売でもしているのか。とか、今までどこで何をしてきたんだ。とか、
夜明はアレコレ訊きたいことがあったが、

「双児か。道理で秋市が間違えたわけだ」
「まぁな。他の奴らには今メールしたから、とりあえず行くぞ」

三夜は抱えた幼児の背中をポンポンと叩いて宥めながら「お前も来るか?」とだけ夜明に声を掛けると、さっさと
本屋を離れ始めた。そして、フードコートを兼ねた休憩スペースで合流待ちをしていたのは、秋市位から小学生位の
子供と、20歳前後から20代半ばまでの大人が5〜6人という、大所帯だった。


「待たせて悪ぃな。どうも秋市の奴、コイツのこと俺と間違えてついてったみてぇでよ」
「って誰だよこの人」
「もしかして弟、か?」

コイツ。と夜明を指差す三夜に、当然の疑問が投げ掛けられたが、秋市位の子供を抱いた一番年嵩と思われる男が、
納得したように呟いた。

「え。宮きょうだい居たの?」
「ああ。俺と主匪くらいしか聞いていないだろうが、双児なんだそうだ」
「へぇー。そうなんだ」

確かにそっくりだな。だの、流石双児、弟も目付き悪ぃ(笑)だのと感想を述べながら目を丸くする若者達に、
三夜に代わって説明したのは、やはり先程の年嵩の男で、他の青年達は皆敦仁と同じく20歳そこそこに見え、
秋市と同じ位の幼児を抱いていることから

「……この男が父親か?」
「ちげぇよ。コイツ、閧志は、友達で従業員で元同居人」

恐る恐る夜明が尋ねると、三夜からはあっさり否定の返事が返ってきた。しかし、じゃあ父親はどこの誰で、今
どこに居るんだ。というか、結婚、しているんだよな?? あと、やっぱり「従業員」の意味が……等々の疑問が
顔に出ていたようで、

「うちは独立したてのちぃせぇ工務店でな。今日は旦那の他に何人かは現場で、手ぇ空いてる奴で買い出しに
 来たんだ。うちの従業員は全員ガキの頃から入り浸ってた連中で、ろくに給料出せねぇ代わりに住み込みで
 飯も食わしてっから、買い出しも一仕事なんだよ」

まだ若い男達と育ち盛りの子供ばかりなこともあり、とにかく量が多いし、「お一人様○個」とかいう限定品は人数
居た方が得だから。などと説明する三夜に、コイツがこんな所帯染みるとは。と、夜明は軽いショックを覚えた。

「お前は? こんな所で逢ったってことは、アノ家出たのか」
「いや。この近くの病院に知り合いが入院していて、見舞いに行ってきた帰りにここの本屋に寄っただけで、
 今も実家だ」
「で、相変わらず親の望むまま、自分の意思もなく医者目指してんのか」

訊き返されたから答えただけなのに、何でそんな馬鹿にした目をするんだ。と夜明は文句を言いたかったが、

「スゲー。弟医者なのか」
「まだタマゴだろうけどな」
「ところで、ずっと音信不通だったのに、何で医大生なの知ってるんだ?」
「うちは、一応地元じゃ有名な医者の一族で、コイツもガキの頃から医者になるようにって育てられてっし、
 秋市が俺と間違えた時に居たのが、医学書のコーナーだったからな」
「へぇ。道理で宮も、手当て上手いし、何かやけに医療系の知識詳しいんだ」

そんな若者達の素朴な疑問に三夜が取られてしまい、タイミングを逃した。

「さて。んじゃ俺らはもう行くから」
「え」

用件は済んだ。とばかりに、さっさと去ろうとする三夜に、夜明はアレコレ訊きたいことがあったが、

「チビが1人熱出してて、子守りと留守番は任せて来たけどなるべく早めに帰ってやりてぇし、そろそろ
 タイムセール始まんだよ」

具合の悪い子供はともかく、タイムセールの方が8年ぶりの再会よりも重要なのか!? と夜明は反論したかったが、
うっすら残る記憶からもここまでの短いやり取りからも、言っても無駄なのだろうと悟り諦めた。

「……宮、せめて連絡先位交換しておいたらどうだ?」
「ん。ああ、そうだな。携帯出せ、夜明」

面食らった後、文句を言おうとして諦めた夜明をつぶさに眺め、溜め息混じりに助言してくれたのは閧志だった。

「俺のアドレスは、後でメールするから」

夜明のアドレスを赤外線で受信した三夜は、そう言い置いて立ち去り、1時間程経ってから確かにメールは届いた。
しかし、「訪ねて来る気があるなら」と本文に付け加えられていた住所の後に添えられた署名は「三夜」なのに、
アドレスの方は「灯野宮」表記で、ついでに工務店の名前が「沢工務店」なことにも、何だか少し引っ掛かった。
しかし、メールで聞き返す気のも面倒だったので、近い内に訪ねる旨だけ返信しておいた。