就職3年目になる鶴町伏木蔵(18)が、就職してまず真っ先に任された仕事は、顔見知りでもある上司の
	身の回りの世話で、その役目を彼に引き継いだもう一人の顔見知りは、その直後に妙に早い出世をし、
	伏木蔵の直属の上司になった。

	それが、彼の実力というよりは、時々姿を消す上司の代役や後始末の為だということは、本人を含む
	殆どの人間が解ってはいたが、連れ戻しに行く役目だけは頑として誰にも譲らない理由については、
	誰も知らなかった。

	上司が定期的に姿を消す理由や目的に関しては、隠し子説から、囲い女、密通、未亡人の元に通っている。
	など、様々な噂はあれど、真相は定かではなかったが、とりあえず女絡みらしいことだけは確実らしい。


	しかしそんなある日。上司がまたも何処かへ行こうとしていたので、伏木蔵が一応声をかけると

	「鶴町くんも来る?」

	と誘われ、しかも直属の上司に

	「鶴町くん連れてくから、しばらく私の代理よろしくね」

	と言い残し、返事も聞かずに伏木蔵を伴って出掛けてしまったのだった。


						×××


	上司―こと、タソガレドキ忍軍の組頭である雑渡昆奈門(44)―に連れられて伏木蔵が辿り着いたのは、
	とある城下町の外れの診療所らしき場所だった。

	「あれ、乱太郎? 久しぶり〜」
	「……。あぁ、そうか。すったもんだの挙句、ごり押しでタソガレドキに就職したんだっけか」

	その診療所の中に入るなり「またいらしたんですか」と眉をしかめて出迎えた青年は、伏木蔵の
	忍術学園時代の同期の猪名寺乱太郎で、彼は伏木蔵の顔を見て更に眉をしかめると、すぐに諦め
	混じりな声で納得したようだった。

	「乱太郎も、何処かの城勤めになったんじゃなかったっけ?」
	「そうなんだけど、色々思う所があって、つい最近転職したばかりなんだ」
	「ふぅん」

	つまり何らかの伝手で再就職したのが、この診療所なのだろう。それは解ったが、組頭はここに何の用が
	あるんだろう。乱太郎が目的の人物な訳ないしなぁ。そんなことを伏木蔵が考えていると、乱太郎が奥の、
	衝立の向こうに声を掛けた。

	「先生。招かれざる客人が、二人お出でです」
	「雑渡さんと諸泉さん? 一緒に来るのは、ずいぶん久しぶりじゃない?」
	「いえ。今日は諸泉さん以外を……」
	「え!? 今まで、諸泉さん以外は誰にも秘密にしてたのに?」

	乱太郎に呼ばれ奥から顔を出したのは、雑渡の娘でもおかしくない―つまりは伏木蔵とさほど変わらない―
	ような年頃の、若い女性だった。

	「どうも〜、初めまして。組頭の小姓みたいなことをしてる、鶴町と言います」
	「あぁ、そういうこと。確かに条件は充たしてるし、諸泉さんに仕事押し付けられる分、長居出来るとか
	 考えたわけですか?」
	「うん。ダメだった?」
	「例え駄目だと言った所で、気になさらないでしょう?」

	うんざりした表情の女性の傍らには、幼い子供が2人居り、興味津々といった目で伏木蔵の方を見ていた。

	「組頭の隠し子ですか?」
	「うん。そう。可愛いだろう?」
	「違うから! この子達は先生と旦那さんのお子さんで、雑渡さんとは無関係!」

	一番ありそうな可能性を伏木蔵が口にしてみると、雑渡と乱太郎の両方から真逆の答えが返ってきた。
	その二者の内、おそらく正しいのは乱太郎だろうと思いつつも、だとしたらどういう関係なのだろう
	かと伏木蔵が考え始めると、そのことに気付いたのか、女性が娘に名乗るように促した。

	「はじめまして。潮江伊織と申します」
	「しおえ? ってことは、もしかして、潮江文次郎先輩のお子さん? 言われてみれば、ちょっと似てるかも」

	歳の割に落ち着いた印象を受けるがおそらく6〜7歳位と思しき少女は、伏木蔵が納得するなり目を丸くした。

	「……そんなこと言われたの、初めてです。ねぇ、母様?」
	「うん。私も初めて。というか、驚かれなかったことも初めてだよ。流石伏木蔵」

	呆れ半分感心半分の、母親である女性の表情や口調には、何となく見覚えがあるような気がした。
	その「何となく」が確信に変わったのは、とりあえず出されたお茶―淹れたのは乱太郎―を飲み
	ながら、女性と雑渡のやり取りを眺めている最中だった。

	「ところで、若造くん帰って来たの?」
	「まだですが、死んだという確たる証拠もありませんし、仮に彼を亡くしたとしても、貴方の者になりは
	 しませんから」
	「そっかぁ、それは残念。どれ位帰ってきてないんだっけ?」
	「半年は越えましたが、端から最低でもその位は戻らないと言っていましたし、殺しても大人しく死ぬような
	 たまじゃありませんので。……あの忍者馬鹿のことですから、大方便りを出すのを忘れているだけです」

	内容こそは辛辣だが、その表情は苦笑交じりで、何処となく親愛の情に満ちているように、伏木蔵の眼には
	映った。

	「ねぇねぇ乱太郎」
	「何?」
	「伊作先輩って、女の人だったんだね」

	特に驚いた様子もなく、平然と訊いてきた伏木蔵に、乱太郎は何だか頭痛を覚えた。

	「…いや、まぁ、そうなんだけど、何でそんなにあっさり納得してるの?」
	「ん〜。何となく?」

	曰く、そう考えると文次郎の早い結婚も、雑渡の執着理由も、ついでに乱太郎の転職先としての伝手も、
	容易く説明がつくからだという。


	「だからって、普通はそう簡単に、切り替えられないと思うんだけどなぁ」
	「だって意外性があった方が面白いし」

	呆れ果てた乱太郎の呟きに、ケロリと答えた伏木蔵の言葉が聞こえた伊作は、かなり本気で

	(この組み合わせは嫌だなぁ)

	と思い、雑渡の尻ぬぐい役兼伏木蔵の直属の上司である諸泉尊奈門に、「どうにかならないものか」と
	密かに文を送り、「無理」という返答を得たという。

		
	そしてその後も、乱太郎の胃と頭を痛くし伊作をうんざりさせる二人組は、頻繁にこの診療所を訪れ、時には
	家主と鉢合わせると小競り合いになる。というのが習慣と化していくのだが、それはまだ少し先の話。



只今旦那は最長不在期間更新中。 雑渡さんは文次郎の事を「若造くん」と呼び、名前を覚える気はない模様 伏ちゃんの進路顛末に関しては、その内改めて書く予定です 大根の花言葉:適応力 2009.10.18