「ビューティ斉藤」は、町で唯一の理髪店である。
開店したのは5年ほど前のことで、店名的にはギリギリで美容院っぽくもないが、客のほとんどが
中高年で、店主にして唯一の従業員の斉藤タカ丸(33)が、ドテラにサンダル姿で接客していたりする
辺りから、町民には床屋として認識されている。
そして当のタカ丸は、どっちでも良いと思っている節があり、顔剃りも髭剃りも化粧も着付けも
パーマも染色もその他もろもろもこなすので、割と全年齢に支持を受けていたりする。
そんなビューティ斉藤に係わる日常を、少しだけ見てみよう。
「おじゃましまーす。滝ちゃん居るー?」
「はい。どなたですか? ああ、照代さん。…髪型変えられたんですね。お似合いですよ」
とある休日の昼下がり。玄関口から声がしたので、家事の手を止めた滝夜叉丸が出迎えると、
そこには、四郎兵衛の中学時代の担任かつ、滝夜叉丸の旧知でもある北石照代が立っていた。
「ありがと。滝ちゃんなら気づいてくれると思ったのよね。なんと、あのユキタカ・サイトウの
店まで行ってきたのよ」
「はぁ、そうですか」
一応礼儀として出迎えられるまで待っていた照代は、滝夜叉丸と顔を合わせるなり、勝手知ったる
様子で家に上がり、居間に向かいながら嬉々として話始めたが、普段なら乗って来そうな滝夜叉丸の
反応はイマイチだった。
「なあに。その薄い反応。予約入れて、3か月も待ったんだからね」
”ユキタカ・サイトウ”こと斉藤幸隆は、20年近く前からカリスマとして世界的に有名な美容師
なのだが、ここ数年ドラマや映画、雑誌などのヘアメイクを担当したことから、一気に注目が集まり、
連日マスコミに取り上げられ、彼の店に行くことがステータスにすらなっているのだ。
「あ、いえ、商店街に、その斉藤氏の息子さんのお店があるもので……」
「え。うそ。『ビューティ斉藤』が?」
数年前からこの町に住んでいる照代は、店の名前だけは知っていたが、入ったことも店主の顔を見た
ことも全くなく、興味もなかったという。
「はい。元々あそこに十数年前まであった『髪結い処 斉藤』というのが、幸隆氏の実家で、
お父上の幸丸氏が亡くなった時にはもうご自分の店も持っていて、一番忙しかった時期でも
あったので戻って来れなかった代わりに、幸丸氏のお孫さんにあたるタカ丸さんが戻ってきた
そうなんです。……だから、ご年配の方に早々に受け入れられたんですよ」
代々続く店ばかりが軒を連ねる商店街に、新参者が溶け込むのはかなり難しい。特に、跡を継いだ
若い世代はともかく、先代どころか数代前から知るような者が相手になってくると尚更である。
にもかかわらず、ビューティ斉藤の客層はジジババがほとんどで、一番の得意客は地主でもある町長
だったりするのは、祖父の存在が大きいという。
「あー。そうなんだ。で、肝心の腕の方はどうなの?」
「うまい方だと思いますよ。ここ数年は、私もビューティ斉藤を利用していますし」
滝夜叉丸自身は、毛先を揃える程度でしか利用しないが、剛毛五分刈りの小平太から、猫っ毛で量の
少なめな四郎兵衛や小洒落た金吾まで、難無くこなすのだから、それなりの腕だと滝夜叉丸は思って
いるのだという。
×
「いらっしゃいませー。不破君はさっき来たから、鉢屋君の方だよね。今回もおんなじに?」
「そういうことです。…まったく。毎度のことながら、私に無断で髪を切りに来るのはやめてほしい」
ビューティ斉藤の変な常連客の一人に、双児の弟が切りに来た直後に駆け込んでくる、ストーカー
じみたブラコンの鉢屋三郎がいる。彼はすべてにおいて一卵性の弟不破雷蔵(親が離婚しているので
苗字が違う)と同じでいたいのだが、当の雷蔵の方は、そんな三郎の気持ちを丸無視で、気まぐれに
ビューティ斉藤を訪れては、てきとーに髪を切ってもらって帰っていく。そして、帰宅して髪型が
変わったことを目の当たりにするなり、三郎が「同じにしてくれ」と駆け込んでくる。
それが習慣と化して久しいので、タカ丸はすでに慣れっこになっているのだが、周囲に言わせると
「いい加減三郎が哀れなんで、雷蔵は三郎に相談してから切りに行くよう、タカ丸さんからも言って
やった方がいいと思うんですが」
となる。けれど、雷蔵もタカ丸もそれを言うと「え? どうして? 何のために?」などと返すため、
進言を諦めた者もいるのだという。
「ところで鉢屋君。1個訊いてみたいことあるんだけどいいかな?」
「何ですか? 内容にもよりますが、私で答えられることなら」
長さを揃える程度なので、雑談しながらになのはいつものことだが、たいていは取り留めもない
話題ばかりのため、質問されるのは珍しいな。と三郎は思った。
「あのね。何でうちのお客さん達はみんな、カタログを見てくれないんだろう。どのお客さんも、
雑誌の切り抜きで『こんな風に』とか、『毛先を揃えるだけで』とかしか言ってくれないんだよ」
「……。タカ丸さん。それ本気で言ってます?」
「え? うん。本気だけど」
ビューティ斉藤には、タカ丸手製のヘアカタログがあるのだが、それを利用する客は皆無である。
何故なら――
「あのですね、すべての写真が町長な髪型カタログなんて、誰も利用しません。たとえその中に
自分の希望する髪型があろうと、絶対に嫌です。モデルを他の方に変えない限り、今後も一切誰も
利用しないと思います」
対立候補がいないため、30年以上町長を務めている大川は、「はた迷惑な思いつきの行事」と、
「自分大好き」なことで有名で、ついでに面白いことや新しいことも大好きなので、かなり頻繁に
ビューティ斉藤に来店しては、その度に違う髪型を試させ、それを写真に撮った物が店のカタログ
となっているため、誰も手に取ろうとしないのだ。ちなみに、外の道から見えるよう飾られている
写真もほとんどが大川の物なので、それが原因で店に近寄りたくない者も、居るとか居ないとか。
「そっかぁ。うん。わかった。ありがとう。参考にさせてもらうねぇ」
自分の、かなりキツめの進言に、能天気に笑いながら答えたタカ丸に、お調子者の変人三郎も、流石に
頭が痛くなったという。そしてその後も結局カタログの写真は、別の人間が少し交じるようになったが、
大川が大半を占めており、誰も手に取ろうとしないのだった。
×
その日。立花法律事務所は暇だった。というと、事務兼経理兼雑用担当の浦風藤内から、
「手が空いているなら、資料探しでも書類の整理でも掃除でも、何でも良いから手伝え!」
とキレられそうな程度の、「特に今日中に済ませないとまずい用事はない」状況だった。
そんな中、一応資料探しなどはしているが、何となく退屈だった見習いの笹山兵太夫が、ふと
所長の立花仙蔵に話しかけた。
「所長って、美容院代なんかも、相当掛かってそうですよね。その長さで維持するのって、
結構頻繁に切りにいかないとダメでしょう?」
兵太夫がその話題を選んだ理由は、単純に先日受けた案件が、美容師と客の間のトラブルだった
ことを思い出した所からの連想だった。常に隙のない恰好の仙蔵は、後ろはともかく前髪が目に
かかるスレスレの長さなので、邪魔にならない長さに保ち続けるのは面倒な上に、彼のことなので
行きつけの美容院もさぞかし高価い所なのだろうと、兵太夫も―近くで会話が聞こえていた―同じ
見習いの黒門伝七も考えていたが、仙蔵からは思いのほかあっさりとした答えが返ってきた。
「まぁ、確かにそうだが、金は掛かっていないぞ。向こうの、斉藤の方から『切らせてくれ』と
言って来るからな」
「仙蔵はね、こう見えて意外と面倒臭がりな所があるから、邪魔になって来ない限り自分からは切りに
行かないんだよ。一番ひどい時なんか、『お前ならそれなりに出来るだろ』って、留さんにハサミ渡して
切らせたこともあったよね」
憧れの立花所長の行きつけが、単なる近所の商店街の店だと知って、目を丸くしている見習い達に、
さらに驚くべき話を教えたのは、義弟である三反田数馬に店番を任せて事務所に遊びに来て居た、
階下の善法寺薬店の店主であり仙蔵の友人の、善法寺伊作だった。
「何でそれをお前が知っている。大学時代の話だぞ」
伊作は、高校卒業後6年間音信不通だったのだから、その間のことは知らないだろうと仙蔵が怪訝
そうな顔で問うと、相手はこともなげに理由を述べた。
「留さん本人に聞いたから。話してくれたのは、前にこへの所で同じようなことを綾部君が平君に
頼んでいるのをたまたま見かけた流れで。確かあれは、ビューティ斉藤ができる前だったと思う。
最近は、平君が綾部君をビューティ斉藤まで連れてってるらしいね」
立花法律事務所の秘密兵器綾部喜八郎は、七松組の平滝夜叉丸とは従兄弟同士で、かなり懐いている。
そしてあらゆる意味でやる気なさげな人物なので、その時の情景が、仙蔵にはありありと浮かんだ。
「そこで私を連想するとは、いい度胸だな留三郎め。一応は器用さを買って、信頼してやったというのに」
「平君も器用だと思うけどね。それに、高圧的に命じるより、おねだりの方が可愛げがある。って、
その時留さん言ってたよ。…まぁ、もっとも君にねだられても、後が怖いとも言ってたけど」
「ところで、浦風先輩はどこで切ってますか?」
「ビューティ斉藤。余所まで行くのは面倒臭い。そんなヒマもないし」
仙蔵と伊作の会話にまじる気のない兵太夫が、端からまじろうとせずに仕事を続けていた藤内に
声をかけると、彼は書類から目もあげずに端的に答えを返してきた。
「そっかぁ。じゃあ、僕も今度からそうしよかなぁ。所長と綾部先輩と浦風先輩の行きつけなら、
腕がいいってことなわけだし」
「僕は嫌。どれだけ腕が良くても、あの空気が耐えらんない」
タカ丸のノリと、店内の大川の写真が気にならない者しか、ビューティ斉藤には訪れない。
それがとてもよくわかるやりとりだと、相変わらず書類の処理中の藤内は、見習い達の会話を
聞き流しながらも思ったという。
指定のなかった七松組のラストは、色々おかしなビューティ斉藤+αでお送りしました。
日記もどきにこっそり書いてあった予定(滝が来た当初)と変えたのは、若干一名かなり病んだ人がいたからです。
そしてビューティ斉藤メインなのは、あまり書いたことないけどネタはあったからです。
2009.3.8
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