警告 ・『落花』本編の過去設定と六話までを踏まえ、 「もしも伊作が誰の力も借りずに、独りで生きて行くことを選んだとしたら」 という内容の話です。 ・未来話です ・死にネタが含まれています ・この前編には、とりあえず本人は出てきません ・オリキャラが出張っています ・完全パラレルなので、本編には繋がりません それでもよろしければ、下スクロールでどうぞ
それは、彼らの最後の冬休み明けのこと。 ほんの僅かな身の回りのもの以外の殆どを残し、伊作が姿を消したことが判明した。 休みが終わる数日前から、バラバラと学園に戻って来た友人達は、伊作が帰る実家を持たぬことは 知っていたが、近くの町に仮住まいに使っている家もあるし、 「何か、『ちょっと遠くまで買い出しに』って言ってたけど?」 という、事務員小松田の証言を信じ、姿が無いことを特に不審には思っていなかった。 しかし新学期の前日になっても伊作は戻らず、更に室内に僅かに違和感を感じた同室の留三郎が、後で文句を 言われるのを覚悟して伊作の私有空間を探ると、調薬道具一式と忍具が幾つか見当たらないのは、外出の際に 持ち出しても不自然ではないが、かつて自分達が贈った品も無くなっていることに気が付いた。けれど制服も 教科書も残されたままなので、失踪なのか、単に何か不運に見舞われるなり巻き込まれて帰れなくなっている だけなのか判断が付かず、もう少し明確な手掛かりを探していると、残されていた骨格標本のコーちゃんの 懐に、文が入れられているのを発見した。宛名すらないその文には、簡潔に ごめんなさい 君達と出会えて幸せでした 伊作 としか書かれていなかったが、伊作が己の意思で姿を消したことを示す証拠としては、充分だった。 冬休み直前までの伊作には、普段と特に変わった様子は無かった筈だと、残された五人は大いに困惑し、 その動機と行先を探ろうとした。けれど、彼女が最も頼りにしていた校医の新野も何も告げられておらず、 彼女に執着していたタソガレドキの忍組頭に探りを入れても、関与はしていないことしか分からなかった。 それから卒業までの間。合間を縫って必死になって行方を探り、卒業してからも、仕える国を持とうが持つ まいが関係なく、可能な限りの時間と伝手と手段とを使い、定期的に互いの情報を交換し合って、彼らは ひたすらに伊作を捜し続けた。 それでも杳として行方の知れなかった彼女に繋がる情報を、行商人に身をやつし全国を行脚していた留三郎が 見付けだしたのは、卒業してから五年程経った頃のことだった。 とある村に立ち寄った時に、留三郎はどことなく伊作とよく似た、四つか五つ程の少女を目にした。 しかもその少女は、かつて留三郎が伊作に与えたものと同じ柄の、少し色褪せた巾で髪を結っていたのだ。 そこで、 「古い知り合いに良く似ているのだが」 と言って、村人にその少女の素性を訊ねると、 「織野さんの娘の、伊織ちゃんだね」 と返された。その名にもひっかかりは覚えたが、確信を持つには弱く、詳しい事情も解らないため、この 情報を他の皆にも伝えるべきか否か。などと考えていると 「違うよ、アンタ。伊織ちゃんは、織野さんの妹だか姪っ子だかの子で、その娘さんが伊織ちゃん産んで  すぐ亡くなったから、織野さんとこで育てられてるだけだって」 と、先に答えてくれた男の妻らしき女から訂正が入った。 「あ、あの、その”おりや”という方の家は、どちらで」 考えるよりも先に、反射的に留三郎が問うと、村人夫婦はアッサリとその場所を教えてくれた。 更に、目的の織野と思しき女は、家を訪ねた留三郎が名乗るなり 「善法寺伊作の件ですね?」 と確信を持って問い掛けながら、彼を家中に招き入れた。 織野は、年の頃は留三郎たちの一回り程上に見え、伊作と顔貌は全く似ていないが、どことなく同じ雰囲気を 纏っており、淋しげな笑い方もとてもよく似ていた。 「……伊作様のご学友であらせられた、食満様でいらっしゃいますね? わたしは、伊作様のお母上にお仕え  していた者で、及ばずながら伊作様の養育役も務めさせていただいておりました」 「ああ。……以前、少しだけ聞いたことがあります」 うなされたり、酔っている時の伊作が零したことのある名が「おりや」であり、そこからとって女装時の 伊作に「いおり」の名を与えたのは、他でもない留三郎である。 「そうですか。何から、お話いたしましょう。わたしも全てをお聞きしたわけではありませんので、伊作様が  わたしの元を訪ねていらした経緯と、その後亡くなるまでの間に伺った僅かなお話くらいしか、お話しする  ことは出来ませんが……」 そう言って、織野がぽつりぽつりと語った内容に依れば、伊作は五年前の冬に、子を宿した状態で単身訪ねて 来て、「子供が生まれるまでの間で構わぬので匿ってくれ」と頼み込んだのだという。 「お相手の方などについては、詳しくは語られませんでしたが、『望まぬ子ではないが、迷惑をかけたくない』  と仰っておいでで、『自分には、彼の隣にいる価値は無い』とも」 その証言から、伊織がかつて受けたのと同じような仕打ちの結果ではなく、一応は伊作が己が意思で選んだ 相手―文次郎―の子であることを確信した留三郎は、文次郎と伊作の両方の性格をよく知っている。その為、 伊作が独りで産んで育てる覚悟を決め、もしもの時の為に織野を頼った理由は概ね理解出来たが、それでも 次に文次郎に会った時には一発ぶん殴ろうと、心に誓った。 「……食満様は、未だに他の四人のご友人方と、ご交流はおありですか?」 密かに文次郎への報復を考えていた留三郎に、織野はそう訊ねながら五通の書状を差し出した。 「伊作様が、伊織をお産みになられる直前までに、したためられたものです」 キチンと五人分の宛名の書かれた文は、唯一薄めの物が小平太宛。次いで、長次宛と留三郎宛がほぼ同じ 厚さで、最も厚いのは、何故か文次郎宛では無く、仙蔵宛だった。 「もしも、貴方方のどなたかが訊ねていらっしゃることがあれば、お渡しするように、と」 留三郎が行商としてこの村を訪れ、伊織を目にしたのは、いわば偶然でしかなく、他に辿り着く手掛かりは、 皆無に等しいと言ってしまっても過言ではない。それでも伊作は、万に一つの可能性に賭けて文を遺したの かと思うと、遣り切れない気持ちになった。 けれど、聞けば伊織宛の文もあり、もしも伊織が十歳になるまでに誰も現れなかった場合は、他の文も持たせて 忍術学園に入れるようにも頼まれており、その後の選択は全て伊織自身に託すことにしていたという。 「伊作様は、最後まで皆様に何も告げなかったことを悔やみ、詫びておられました」 だからこそ、本当は生きて我が子を腕に抱き、再び愛しい人達に逢いたかった筈だ。 そのことだけは覚えていてくれと、去り際に留三郎は織野に告げられた。けれど、言われずともその想いは 痛い程よく解っている。故に、次に訪れる時は叶うならば五人揃って。それが無理だとしても、文次郎だけは 引き摺っでも必ず連れて来ることを、留三郎は織野に誓い、伊織にも己が母の既知であることを教え、 「次に来る時は、沢山お母さんの話を聞かせてやるからな」 と約束し、頭を撫でてやると、伊織は母親そっくりの笑顔で笑った。
『落花』本編二章辺りの時期に、別の方法を選んでいた場合。 いきなり思い付き、生きて母子で暮らしているバージョンも浮かんだんですが、 コレが一番自分の中でしっくりきたので。 後半は、伊作からの文の内容が中心……の予定です。今の所 2010.3.15