忍術学園を自主中退してから約半年。 相変わらず腹は目立ってきてはいないが、産み月も近いある日のこと。 訪ねてきた友人の一人を前に、伊作はちょっと怪訝そうな顔をしていた。 「どうしたいさ。何か困りごとでもあるのか?」 「…先月も、その前の月も同じように君が訪ねてきた覚えが あるんだけど、君、地元の城に就職したはずだよね。仙蔵?」 伊作の仲間内で、どこの城にも属していないのは文次郎と留三郎の二人だけで、 長次と仙蔵は地元の、小平太は自分で選んだ城に、各々仕え始めたばかりである。 その中で、文次郎は一応夫であり、長次の仕える城の城下町に伊作達が 住んでいるので、しばしば顔を合わせることは不自然ではないし、今の所 さほど顔を出してはいないが、留三郎も時間の自由はそれなりに利く。 しかし仙蔵は、他国の専属の忍であり、就職したてではそうそう休みも取れるわけがない。 にも関わらず頻繁に訪ねて来ているのだから、怪訝そうな顔になるのも無理はない。 「…言っちゃ悪いけど、まるで雑渡さんみたい」 一応客なので茶を供しながら、平然とそれを受取る仙蔵の様に、学園時代に 入り浸っていた某忍び組頭の姿を思い起こして、伊作は呆れたように呟いた。 「まさか、ここまで湧いたのかアノ包帯男は!?」 「いや。まだ突き止められてないと思うから大丈夫。 そうじゃなくて、学園時代によく来てた感じに。だよ」 その名にすぐさま反応した仙蔵は、包帯男―こと雑渡昆奈門―が、伊作に妙に 執着していたことも、性別を偽っていたのがバレていたことも知っている。 そして、死んだことになっているのもおそらくは疑っているだろうと思っていて、 それについては伊作も同じだが、突き止められる要素はまずないと信じている。 何しろ学園関係者すら知らないのだし、知っていそうな卒業生の進路も漏らす わけがなく、どうにか調べられたとしても、口を割る者などいないのだから。 「失礼な。一応仕事の一環だ。お前の傷薬がうちの城で評判になっているので、 買い付けに来ている。しかし城の医師には、『秘伝でないなら、処方を教わって 来い』とも言われているが、どうする? 報酬の方は、それなりに出すらしいぞ」 用もなく、勝手に出没していた雑渡とは違う。と力説されても、伊作的にはさほど変わらない ような気がした。何しろ雑渡も、「包帯を変えてもらいに」だの「ここの薬はよく効くから」 だの、「うちの医者使えないんだよねぇ」だのと、アレコレ言い訳は用意していたのだ。 ただし雑渡と違って仙蔵は、キチンと薬の代金を支払っているので、歴とした 顧客と言えなくもない。…などと納得しかけてから、医師兼薬師として生計を 立てている現在とは違い、保健委員だった当時は、報酬をもらったらそれは それで困ることになっただろうから、やはり単なる口実のような気もしてきた。 「無理。かなりの割合で、世間一般的に『毒草』として認知されてる 草を材料にしてるから、本当のこと教えても多分信用されないと思う。 それに僕が独自で、品種改良や掛け合わせた新種も含まれているし、 火加減や混ぜる頃合いを間違えると、台無しどころか逆に毒と化すけど、 そこの辺りはもうほとんど慣れと感覚だから、うまく説明は出来ない」 「そうだろうな。昔から、お前が創る薬は効果が高ければ高いほど、材料なり 過程なりが怪しかったものな。…そういえばコレは、時間も掛かるんだったか?」 仙蔵の言葉が伊作には言い訳に聞こえたのは、薬の処方が簡単に教えられるもの ではないことを、重々知っているにも関わらず訊いてきたあたりで明白だった。 「うん。煎じるのと、そこから更に煮詰めて煉るのに、それぞれ 一晩かかるよ。そのくせあんまり日持ちはしないから、実習の前 みたいに、必要になるって解ってる時以外は、新野先生の処方に 少し手を加えたのを作ってた。…コレより効能は若干劣るけど、 医務室に置いていたやつだから充分だと思うし、乱太郎達でも どうにか作れる程度だから、割と簡単だと思うけど、どうする?」 学園時代の伊作は、かなりの高頻度で医務室に詰めており、自室でも しばしば調薬に勤しんでいたので、常に薬を作っているという印象は あっても、何をいつ作っているかまでは誰も意識していなかったが、 実は自室で作っていたのは、どうしても必要だが時間がない場合を 除くけば、下級生には絶対に扱わせられないような、危険か複雑な ものか、時間と根気のいるものか、怪しい試作品だけだったらしい。 「ならば、一応その楽な方の処方を教えてくれ。うちの専属医の作る ものよりはマシだろう。…って、学園のものを漏らしてもいいのか?」 「平気だと思うよ。別に特殊な材料でも作り方でもないし、元々新野先生が 医学書から学んだものに手を加えただけなんだから、基本は一般的な処方 のはずだもの。……それに、予算が足りない時なんかは売ったりもしたし」 「…ならまあ、いいのか?」 「忍術学園の名前さえ出さなければ、大丈夫だと僕は思うよ」 忍術学園の医務室には、部外秘な薬もあったが、傷薬程度ならば、町の薬屋で 扱っているものとそう変わらないので、教えても問題ない。との判断だった。 「ところで、有事以外では作らなかったのなら、何故常に作り置いてあるのだ?」 少なくとも、月に一度、湯呑一杯分くらいの量を買うことができた 理由を仙蔵が問うと、伊作は当然のような口調で、微笑って答えた。 「卒業したからには、毎回危険な実習と一緒か、それ以上だろ? だからお守り。減らずに帰って来ることなんて、稀なんだもん」 忍術学園の在学当時。危険な忍務やお使いに赴く際は、掌に載る程度の 大きさの容器に入れた膏薬を、さらに紐の付いた布の袋に入れ、伊作が 「無事に、生きて帰って来てね」 と願掛けのように、一人ひとりの首にかけて渡してくれていた。 その対象が、今はたった一人になっている。 そのことに気付いた仙蔵は、口惜しく感じたことを表には出さずに、 懐の―かつてもらった容器と袋に入れた―膏薬をそっと握りしめ、 「ところで、その生傷が絶えん馬鹿を、卒業後一度も見ていないが」 などと話題を少し逸らしてみた。 「ああ。それなりに依頼はもらえてるから、あんまり家には居ないし、 君とか留さんが来る日に限って、偶然仕事に行ってたりするんだよね」 「まあいい。奴のむさくるしい顔など、六年間で見飽きたからな。 生きていて、お前を一人にしていないのならば、それで構わん」 伊作が、妙にあっけらかんと言いきっているようで、どことなく強がっている ようにも見えた仙蔵は、安堵すると同時に、不在がちな文次郎に怒りも覚えた。 「相変わらずだね。こないだ、留さんも似たようなこと言ってたよ」 「そうか。それはそうだろうな。…訊き忘れていたが、胎の児は 順調に育っているのか? そろそろ生まれても良い頃だろう?」 「あと、一月はないくらいかな。とりあえず元気に動いてるから、順調だと思う」 答えた直後に「あっ」と声を上げると伊作は、 「今また動いたから、触ってみる?」 と、仙蔵の手を腹に持って来させて当てた。 「…案外はっきりと、動いたのがわかるものなのだな」 「うん。あと、声も聞こえてるらしいから、何か話しかけてみてもいいよ」 最近訪ねてきた友人及び夫に、伊作は同じことを言ってみており、 文次郎以外は、全員何かしら実際に話しかけてみたのだそうだ。 「……。私が父上だ」 「仙蔵。それはちょっと…。というか、今の本気で雑渡さんみたいだったんだけど」 「ああ。私も言ってみてから思った」 思いつきの冗談だったが、僅かに本音の願望が交じっていたことに、 伊作が気付かなくて良かったと思いつつ、某包帯男と同じ様な発言を してしまった自分に、仙蔵は本気で不快感を感じて眉をひそめた。 「今のは、母様の一番大事な友達。仙蔵さんって言うんだよ」 伊作は、友人達が話しかけた後に、必ず胎の児にその相手を紹介しているらしいが、 「一番大事な」という表現が、仙蔵には内心とても嬉しくてたまらなかった。 「留さんとおんなじくらい、母様のことを大事にしてくれてて、 父様とはあんまり仲が良くないようで、実はそうでもないんだよ」 楽しそうに語りかける伊作が、そうすることでどうにか胎の児を 愛しもうとしていることを、この時の仙蔵はまだ知らなかった。 ただ、ほんの一瞬寂しそうに、 「今まで、一回も話しかけてくれないけど、声が聞こえるのが父様」 と呟くように語りかけているのが聞こえた時。再び文次郎に対し怒りを覚えた。 その根底にある感情に、仙蔵は気付いてはいなかったが。

別にストーカーじゃないけど、某ストーカーさんのような立花様。 就職したての下っ端なのに少し自由が利くのは、コネ(祖父が首領)があるからのようです。 あれ? 一部、本人出てないけど潮江さんちょっと愛されてる? それとも仙様が勝手に妬いてるだけ?? ギャグなつもりが、最後ちょっと暗くなっちゃいましたね。でも、本編に繋げるためなので… 2009.2.3 「湧く」=「出没する」は、我らの仲間内でいつの間にか定着した表現です。 (「顔を出せ」=「湧け」から、「○○が出た」=「○○湧いた」まで、多用してます。主に叶が) 「益母草」(やくもそう):婦人病や子宮出血に効く、シソ科の淡紅紫で葉の脇に輪生する花のようです。 たしか名前と薬効から選んだはず。標準和名は「メハジキ」です