1年時
「新入生の中から優秀な者ばかりを集めた組」である1年い組の代表でまとめ役なんだ!
と、意気揚々と委員会の初顔合わせに向かってみたら、鉢屋先輩は始めっからあの通りで、
尾浜先輩も笑って煎餅をかじりながらお茶をすすっていた。
そんな、委員会室でくつろぐ変人5年生達に、呆気に取られたというか面食らい、同期の
庄左ヱ門も、初対面では普通そうだと思ったから同じく困惑しているかと思いきや、あっさり
受け入れて馴染んでいた。
その時点で既に、僕の立ち位置と運命は決まっていたのかもしれない。
2年時
丸1年経って、だいぶ委員会業務にも他の面々の扱いにも、諦めて流すことにも慣れた。
だけど今度は、後輩が出来たことにより、「僕が最後の砦なんだ」と、少しでもマトモに
活動しようと意気込んで、空回っていた感があるかもしれない。
……と、今になってみれば思わなくもない。
3年時
とりあえず、鉢屋先輩達が卒業されたことで、肩の荷が多少降りた気分になっていたけど、
既に庄左ヱ門に鉢屋先輩の片鱗が現れ始めていた気がしなくもなかった。
「コイツに張り合っても無駄だ」
と思えるようになり始めのも、多分この頃だった気がするかな。
4年時
折り返しの高学年になり、ふと気付くと、周囲の同期の殆どが、僕らが1年生の頃の強烈な
上級生達を彷彿とさせる感じになっていた。けれど、「僕は違う」「僕は真っ当だ」などと、
必死で自分に言い聞かせていたのは、最早良い思い出と言ってしまっていいのか、それとも
無駄な抵抗だったのか……
5年時
だいぶ鉢屋先輩化が進んだ庄左ヱ門を始めとする誰に関しても、気にせず、止めもしないし、
後始末もしない。と、いい加減見切りをつけた。
あと、「下手に仕事を増やされない為には、小松田さんの仕事を先回りした方が良い」と
悟って、積極的に事務の仕事にも手を出すようになった。
6年時
……という訳で、僕の役目は真っ当な学級委員長としての業務及び、後輩の指導と、小松田さんの
補佐と後始末までは仕方ない。と思うことにしているけど、庄左ヱ門は管轄外だ。苦情は本人に言え。
僕はこの学級委員長委員会で「自己責任」という言葉を学んだんだ。
ネタに詰まって、友人らに訊いてみたらハニカに「彦四郎」と言われたので
2011.4.12
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