幼い頃から僕は、自分の母上についての話を、よく父上にねだった。
答えが返って来ることは稀だったし、答えてくれても断片的なことばかりだった。
けれど、その断片を繋ぎ合わせて、母上の姿を思い描いた。
僕の想像が、どれだけ正しいのかは判らない。
ただ一つ言えるのは、父上が語るのは、美化された過去の記憶ではなく、
生身の人へ向けた想い。…そう気が付いたのは、何時のことだったろうか。
「顔貌は、美しくないとは言わないが、それよりも、心根の優しさに惹かれた」
「どれだけ辛いことがあっても、笑顔を絶やそうとはしなかった」
「常に笑っていたが、心からの笑顔は、喩えようも無く愛おしく感じた」
「何があろうとも決して涙を見せようとしない、強さを持っていた」
「普段はおっとりとしているくせに、怒ると誰よりも怖ろしくてな」
「お前を産んだことは本意ではないが、後悔はしていないという」
「あやつの為ならば、私は如何なる事でも出来ると感じたし、実際にしてみせた」
アノ父上に、これだけのことを言わせ、尚且つおそらく未だに想われている。
そんな母上に思いを馳せる度、「どれほどまでに素晴らしい人なのか」と
思うと同時に、「実はそれほど崇高なわけではないからこそ、父上の想いが
苦痛になってしまっていたのではないか」との考えがよぎるようになったのは、
「母上が生きているのではないか」と感じ始めたのと同じ頃。
真実は未だ語られていない。しかしいずれは告げられるだろう。
その日が、僕は待ち遠しくて、同時に怖くてたまらない。
裏の日記もどきにだいぶ前に書いたものを、ようやく引き上げてきました。
泉11歳当時くらいかと。
2009.5.30
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