生まれ育った村を焼かれ、家族を亡くし、俺は独りになった。けれど、忍術学園に入学し、暫定的に休みの
	間だけ土井先生の家に身を寄せている内に、そこが「俺の帰る場所」であり、土井先生が「家族」のような
	錯覚を覚えるようになった。


	入学してから六度目の冬休み明けに、

	「もう此処へ帰って来ることは無いんだ」

	と気付いた時。寂しいと言うより、怖くなった。
	卒業して、一人前の忍者になって、多分人を殺すこともあるだろう。それは、俺自身が選んだ道で、全てを
	背負い、独りで生きていく覚悟もした。その筈なのに、帰る場所を求めてしまった。
	そんな風に決意や覚悟が揺らぐようでは、ダメだと思う。しかも、仮初の場所でしか無いと、解っているのに。


	そんな俺の苦悩を、知ってか知らずか、土井先生は最終面談の時まで、何も言わなかった。それなのに、
	卒業前の、最後の最後の意志確認の面談終わりに

	「……私にとって、お前は単なる一生徒ではなく、家族のようなもので、この先も私達の元へ帰って来て
	 欲しいと願うのは、私の勝手な思いだろうか?」

	だなんて、卑怯だ。俺だって、帰れるなら帰りたい。咄嗟にそう返したら

	「なら、私達の息子になってくれるか?」


	後から聞いた話に依ると、この時既に、「俺込み」って形で苑姉ちゃんに求婚済みだったらしい。しかも
	苑姉ちゃんの方も、俺抜きの話だったら、それを請けないつもりだったとか。……何で、当の俺を抜かして
	話を進めるかな。もしもこれで、俺が断ったらどうする気だったんだか。



	「断られないって、解ってたんでしょ?」
	「普段は、なるべく表立って特別扱いはしないようにしてたっぽいけど、完璧にもう家族同然だったじゃない」

	報告も兼ねてその話をしたら、組の全員からそんな反応が返ってきた。そうか。俺の錯覚や自惚れじゃなくて、
	本当に家族扱いされてたんだ。


「父ちゃん、母ちゃん、姉ちゃん。それから、村のみんな。久しぶり。えっと、俺は元気で、どうにか  忍術学園も卒業出来て、この春から忍者として独り立ちしたんだ。それで、その、この人達は、担任  だった土井半助先生と、その嫁さんの苑姉ちゃん。でもって、俺の…新しい家族」 土井先生達と家族になると決め、忍術学園を卒業した俺が、まず一番初めにしたことは、二人を連れての 墓参りだった。朧げな記憶を頼りに辿り着いた、かつて俺の村があった場所には、生きて逃げ延び戻って きた住人達が作った新しい村になっていた。中には覚えている人も居たけれど、大半は新しく嫁や婿に 来たり、移り住んできた見知らぬ村人ばかりだった。 俺の家族を含むかつての村人の墓は、村の外れにまとめて埋めてある塚だと教えてくれたのは、二軒隣に 住んでいたおばさんだった。おばさんはあの戦で、俺と一つ違いの息子を含む家族全てを亡くしたが、 逃げ延びた先でお腹に児が居るのが解って、今はその子と二人で暮らしているのだと聞いた。 「父ちゃん達のことは忘れないから、この人達と、家族になっても良いよな?」 俺の、血の繋がった本当の両親も兄弟も、戦で死んだ父ちゃん達しかいない。だけど、血の繋がりなんか 無くたって家族になることは出来るし、いつまでも亡くした人だけに縛られて独りでいなくたっていい。 そう教えてくれた人がいる。 「産みの親と育ての親、っていうのとはちょっと違うけど、とにかく親兄弟が二組いてお得だ。って思えば  いいんだよ。で、亡くした家族の分も新しく家族になる人達を大事にして、きり丸自身もちゃんと幸せに  なれば、きっと亡くなったご家族も喜んでくれて、全てが丸く収まると思う」 にこにこ笑いながら、まるで名案を思い付いたかのように手を打ち、更に 「今までの人生で損した分を、とり返す勢いで幸せになっちゃいなよ。細やかな幸福くらい、丸儲けしたって  誰も文句は言わないし、君はその権利があるくらい頑張ってきたでしょ?」 とか付け加えた彼女は、元々先輩だっただけあって、俺の性格というか習性をよく解っていると思う。 「おい、きり丸。そっちだと方角が違うだろう」 「良いんです。もう一箇所、行く所があるんで」 墓参り兼報告を済ませた後。来た道とは別の方向へ歩き出した俺に、土井先生は怪訝そうな顔をした。 だけどわざわざ先生と苑姉ちゃんを連れて来たのは、父ちゃん達に直接紹介したかった。ってのも あるけど、もう一つの目的があるからで、その目的を口で説明するのは面倒なので、 「着いて、会えば解ります」 としか説明せず、道中は無関係の取り留めのない話しかしなかった。 なのに、いざ着いてみると…… 「どーも。お久しぶりっすね、先輩。俺らが来んのは、姉ちゃんから聞いてますよね?」 「ああ」 「で、その姉ちゃんは?」 「往診に出ている」 「そうすか。……その間の留守番と子守り任されたのに、チビ共ほったらかしてんすか」 「仕方ねぇだろうが。下のなんか、俺の顔見るだけで泣き叫ぶんだぞ」 俺らを出迎えたのは、目的の人物の旦那と子供達だけ。しかも子供達は家の隅の方で遊んでいて、父親が 子守をしていないのは一目瞭然だった。 「……潮江!?」 「どうも。ご無沙汰しております、土井先生」 ひとまず家に上げてもらう時に、家主の顔を見て先生が目を丸くした。それに対して軽く頭を下げて 挨拶をすると、家主―潮江文次郎先輩―は、俺の方を睨んできた。 「……きり丸。お前、何の説明もせずにお連れしたのかよ」 「下手に説明した所で、混乱を招くだけですんで」 俺が全く悪びれずに返すと、潮江先輩は苦虫を噛み潰したような顔で黙り込んだ。まぁ、事情説明の難しさを 誰よりもよく解ってるだろうから、当然の反応だとは思うけど。 「ただいまー」 「かあさま、おかえりなさーい」 「うん、ただいま。おんちゃんもブンも、いい子にしてた?」 「お帰り姉ちゃん」 「ああ、きり丸来てたんだ。……いらっしゃいませ、土井先生、お苑さん」 てきとーに茶をしばきながら、肝心の話以外の近況なんかを駄弁っていたら、今回の来訪の目的である いさ姉ちゃんが帰ってきた。駆け寄ってきた上の伊織の頭を撫でてやりながら、下の文多を抱きあげて あやす様は、母親が板について来てんなぁ。って感じだった。 顔を見ただけではまだ正体に気付けていない先生に、 「ちょっと待って下さいね」 と言って、往診道具を片付け、五人分のお茶を淹れてくると姉ちゃんは、それを供しながら声色を変えて 「お久しぶりですね、土井先生。この姿でお会いするのは初めてですが、お判りになりますか?」 と笑った。そして先生が考えている間に、苑姉ちゃんに向かい 「お初にお目にかかります、『いさ』と申します。一応元忍術学園の関係者で、現在はこの町で医師を  しており、きり丸の姉代わりもしております」 と名乗った。その内容で見当が付きはしたようだが、納得しきれずに半信半疑で 「まさか、元保健委員長の、善法寺伊作なのか?」 そう問い掛けた土井先生に、いさ姉ちゃんはにっこり笑って「はい」と答えた。 「色々事情があって、性別を偽って学園に在籍していましたが、これが本来の私です。それで、上の  この子…『伊織』と言います。が生まれたばかりの頃に、偶然この町できり丸に逢って、それ以降  姉代わりとして、休みの時に会ったり、たまに相談に乗ったりもしていたんです」 照れ笑いを浮かべながら話すいさ姉ちゃんの話を聞きながら、伊織が何歳なのか考えている土井先生と、 それに気付いて、もの凄く気まずそうにしている潮江先輩が目に入った俺は、ついうっかり吹き出し そうになってしまい、苑姉ちゃんに不思議そうな顔をされた。 「どうしたの、きりちゃん?」 「いや。その、潮江先輩といさ姉ちゃんは同い年で俺の五年上なんだけど、先輩は在学中『学園一  忍者している』って言われてたから……」 意味が解らずきょとんとしている苑姉ちゃんに、詳しく説明したら潮江先輩に酷かと俺が考えていると、 「『忍者の三禁』ってのがあって、酒と欲と色なんですけど、伊織は卒業した年の夏に生まれた子でして」 などとあっさりいさ姉ちゃんが話してしまい、俺らは絶句するしか出来なかった。 「……。えーと、あの、先輩」 「いい。何も言うな。もう慣れた」 その諦めの境地に達するまで、果たしてどのくらい掛かったのかは知らないが、そうでもなきゃ、アノ いさ姉ちゃんと夫婦でいられないような気もする。かなり波瀾万丈な身の上の割にというか、その結果 なのかは解らないが、姉ちゃんは妙に達観している上に楽観的で大雑把な面があるもんな。 「えーと。きりちゃんの五つ上ってことは、あたしの六つ下でしょ? だったら半助さんときりちゃんの  年の差とあまり変わらないわよね。ってことは、学生だったからまずいように思えるだけで、そんなに  おかしくはないんじゃない? 忍者だって妻帯したり、家庭を持ったりするんだから」 苑姉ちゃんは土井先生の四つ下で、現在二十七歳。対するいさ姉ちゃん達は、二十一歳で上の子がもうじき 五歳になる。確かにその両者を比べた場合、この時代の感覚からすれば、いさ姉ちゃん達の方が一般的だと 言えなくもない。けど、潮江先輩にその理屈は当てはまらないというか何というか…… 「過去はもう終わったことなんだから、それよりもこの先の未来を見ましょうよ。……きりちゃんは  半助さんとあたしの義息子で、いさちゃん…って呼んでも良い? の義弟。だから、今後はあたし  達といさちゃん達は、義理の親子。そういうことで良いんでしょ?」 とても強引に出された結論だけど、俺の意図は概ねそんな感じだったので、そこに行き着いて良かったと思う。 苑姉ちゃんも、二度の焼き討ちを経験し、家族も亡くし一生消えない火傷痕が残ったとかいう、かなり過酷な 人生を送って来た人だからこそ、その言葉には説得力があった。 「ええ。はい。まぁ、私達はそう思って頂ければ光栄ですけども、お苑さん的には六歳しか違わない娘夫婦。  っていうのはアリなんですか?」 「う〜ん。正直に言うと、ちょっと複雑かな」 「だったら、義理の兄弟姉妹ということでどうでしょう? きり丸も、お苑さんの事を『姉ちゃん』と  呼んでいるようですし」 俺が苑姉ちゃんを「姉ちゃん」と呼んでんのは、言うなれば知り合った時の名残なわけだが、多分今後も 「母ちゃん」と呼ぶことはない気がする。そして土井先生を「父ちゃん」と呼ぶのにも、まだ抵抗がある。 ってのは置いておくとしても、苑姉ちゃんといさ姉ちゃんは、母娘よりも姉妹の方が似合う気がするのは、 俺だけじゃないと思う。それに、後妻に入ったとかで連れ子とあんまり歳が違わないことは珍しくないが、 女心としては微妙な所だろうってのも解るし。 「それじゃ、長兄が下の弟妹の親代わり。って感じで」 俺が色々考えている間に、姉ちゃん達の間で話はまとまったらしい。確かにまぁ、それが一番無難で感覚 としては近いかな。けど、やっぱり姉ちゃん達は「姉ちゃん」って呼べるし、チビ共に「兄ちゃん」とか 呼ばれんのは別に構わないんだけど、潮江先輩を「兄ちゃん」とは呼びたくない。こっそりそんなことを 呟いてみたら、いさ姉ちゃんに笑いながら「良いよ別に、今まで通りで」と言われ、当の潮江先輩は特に 何も言わなかった。 「潮江くんて、何か無口ねぇ」 「あはは、違いますよ。この人女の人と口利くの苦手で、ついでに私へのツッコミが面倒になってるだけです」 「あら、そうなの?」 「そうなんですよ。普段は、結構暑苦しくよくしゃべります。単に今日は、どうせ発言権ないから黙ってた。  って所じゃないですかね」 「ふぅん。ああ、でも、そう言えば半助さんも、あんまりしゃべってなかったかも」 一通りの話を終え、女二人で台所に立って夕飯を作っている間。早々と意気投合した姉ちゃん達は、結構 言いたい放題で楽しくしゃべっていた。だけどそれが聞こえている筈の先生も先輩も、何も言わない―と いうか何も言えない―で、忍術論的な話をしながら酒を酌み交わしていた。その、妙に諦めに満ちていて、 お互いを労っているような様子に、俺は 「二人共、嫁さんの尻に敷かれてるみたいっすね」 とか茶化すかどうか考え、結局放っておいてチビ達を構って遊んでいた。そんな俺達の様を、他の誰かが目に したとしたら、微笑ましい家族のように見えたのではないだろうか。そんな気がした。
『落花』本編と『曼珠沙華』に繋げるというか、つじつま合わせも兼ねて。 土井さん達が、いついさちゃんのこと知ったのか考えた結果、こんな感じに。 南天の花言葉:よき家庭、福をなす 2009.9.29