幼い頃はひ弱で、女子(おなご)姿で育てられていた私に、祖母が
一振りの腰刀を下さったのは、四つか五つの歳のことだった。
祖母の輿入れの際に誂えられたというその刀は、黒一色の
拵えで、幼い私の眼にはとても地味なもののように映った。
しかしよく見れば、鞘全体に繊細で優美な彫りが施され、下げ緒も
染料や染めの異なる様々な黒糸の組み紐という、実に凝った意匠の
品なのだと、長じてからは理解できるようになった。
「其方にとって悪しきものを、この刀で断ち切るが良い」
との言葉と共に与えられ、肌身離さず携えてはいたが、
実際に「刀」としての用をなすことはなかった。
その刀を、私とは逆に男子として育てられ、今も、この先もずっと、
男として周囲を謀って生きていかねばならぬ少女―善法寺伊作―に、
「守り」として譲り渡したのは、半ば気休めのつもりだった。
か弱いとまではいかずとも、周囲に比べれば非力な伊作が、己が
力のみで秘密と身を守るのは難しい。
また、私を含む極一部の人間以外に頼る者を持たぬ彼女の傍に、
常にその者達の誰かが付いていることも出来はしない。
故に、「僅かでもそれが心の支えとなれば」と、刀を与えた。
実際に使用されることはなくとも、祖母も私も手入れを欠かさなかった
その守り刀の刃(やいば)は、今は血に塗れ、本来の役目を果たしている。
今私の目の前に拡がっている光景は、一面の血の海と、床に転がる
息も絶え絶えだが、辛うじて息をしている男。
そして、血塗れで刀を握り締めている、伊作の姿。
目に光はなく焦点もあっておらず、床にへたり込みただひたすら
目の前の男を斬りつけていた伊作は、血の気の失せた真白い貌や
手足に鮮血が映え、解けた髪が頬に張り付き、艶めかしくすら
見えるが、明らかに正気を失っていた。
この所、また少し様子のおかしかった伊作を、事情を知る我らは
気にかけ、なるべく離れぬようにしていた。
しかし「保健委員会の用事だ」と言って呼び出されては、ついて
行くわけにもいかず、仕方なしに送り出したが、訝しがった食満が
念の為医務室まで確認に行った所、それが虚偽の呼び出しであった
ことが判明し、私・食満・長次とで手分けして捜索し、此処へと
初めに辿り着いたのは長次だった。
ひとまず伊作を止め男から引き離し、私達に居場所を伝えると、
新野先生に状況を説明して呼びに行き、食満は伊作の着替えを
取りに部屋へと戻ったため、私が監視役として残った。
むせ返るような血の臭いに充ちた部屋の隅で、伊作は泣きも
笑いもせず、長次によって壁にもたれ掛からせられた姿勢の
まま、人形のように微動だにしなかった。
おそらくは、長次に引き離されたことも、私の存在も、今の
状況も、何もかも認識はできていないのだろう。
新野先生を連れた長次が戻るまでの間に、血の海の中で呻く男の
止血を私が施したのは、男の為ではなく、伊作の為。
たとえ正気を失い記憶に残っていないとしても、死んだとなれば、
己の仕業であると、いずれ気づくだろう。
しかし一命さえ取り留めれば、以前と同じく「我らが報復を与え
学園を去らせた」とすることも出来る。そう考えたのだ。
結果的には、失った血の量こそ多かったが、致命傷になる程の
傷はなく、―如何な手を使ったかまでは知らぬが―口止めされた
その男―保健委員の五年だった―は、怪我を理由に学園を去り、
血の跡の残る部屋は、失火を装い焼き尽くされた。
さらに、新野先生に薬で眠らされた伊作は、目覚めた時には
その日の記憶を完全に失っていたが、一つだけ、私の与えた
守り刀を、「大事な御守」と称し、常に隠し持つようになった。
元より漆黒の刀は、血を吸い黒ずんでも尚、見た目には
何も変わらぬ美しい刀のまま、伊作の懐に眠っている。
一応電子辞書に入っている
大辞林・古語辞典・日本史辞典・類義語辞典・百科事典
を参考に書きました。が、用語などがあっているかはちょっと不安…
言い回しも難しいですよ立花様
そして、これははたして「仙伊」なのだろうか?
こっそりと、本編十二話(後編)の伏線になってます。
鍾馗水仙=リコリス はヒガンバナ科。花言葉は「悲しい思い出」です。
2009.1.17
戻