忍術学園を卒業して、三郎と暮らすようになって五年目に、生まれたばかりの赤ん坊を
		一人引き取った。
		子供が出来てしまったことは、誤算というか失敗で、母親はあくまでも「忍務で利用した女」
		でしかなく、そもそもその存在を知った時点では、僕達はそういった関係ではなかった。

		けれど、三郎の子を宿した女人が居ることを知った時。僕は酷い絶望感に襲われ、そこで
		自分の狂気に気が付いた。――三郎は僕のものだ。誰にも渡さない。三郎が僕に執着して
		いるのと同じか、それ以上に、僕は三郎に執着している。そのことを自覚したんだ。

		そして、子を産んですぐに母親は命を落とし、遺された子を引き取りたい。と三郎から
		申し出られた時。二度目は無いことと、僕の知らない所で命を落とさない事。僕以外の
		誰にも素顔を見せないことを条件にそれを承諾し、三郎がその子に幼い頃の自分を投影
		して、僕に慈しまれることを望んでいることにも気付いたけれど、表向きはともかく、
		心から愛してあげられる自信なんか、これっぽっちも無かった。


		それなのにその子―風早―は、引き取って初めて抱いたその日から、無条件に僕を信頼し、
		三郎があやしても泣きやまない時も、僕に渡された途端に泣きやんだり笑ったり、三郎が
		忍務で家を空けていた時に、気の迷いで首に手を掛けようとした時ですら、無邪気に僕を
		見つめて笑っていた。


		後になって、僕がほだされた理由に関しては、

		「人の子に限らず、赤ん坊っていうのは、他者の庇護欲に訴えるように出来ているんだって。
		 だから、親を亡くした赤ん坊を他の生き物が育てた。なんて話も珍しくないというよ」

		といった説を聞いた。その話をしてくれた人は、身籠っている間も、産んでからしばらく
		経っても可愛いと思えなかった実の娘を、笑うようになってきてようやく愛せるように
		なったと仰っていたので、万人には当て嵌まらずとも正しいのだと思う。

		けれど、

		「赤ん坊ってのは、あやしてる相手の顔をよく見てて、気持ちを写す鏡みたいなもんなんすよ。
		 だから、こっちが笑ってりゃ笑ってますけど、苛立ってたり不安に思いながらあやしてたら、
		 いつまで経ってもぐずったまんまで泣きやまないんで、なるべく笑いかけてやって下さい」

		なんてことを、子守りのバイトを手伝った時に注意事項として言われた覚えがあるけれど、
		三人でいる時や人前ではともかく、三郎が不在で、風早と二人で家に残された時の僕は、
		ずっと笑いかけてやってはいなかった筈なのに、風早は初めの頃から、僕の顔を見ると笑う
		ような子だった。


		そんな告白を、何年も経ってから三郎にしてみた所。

		「骨の髄から、心底私似なんだな、アイツは……とすると、赤ん坊の頃は私にあまり懐いて
		 いなかったのは、自分で蒔いた種ながら、雷蔵に甲斐甲斐しく世話を焼かれ可愛がられて
		 いることに妬いていたのに気付いていたか」

		との感想が返って来たけど、喜ぶべきことなんだろうか?
		風早が物心ついて以降。「母親を奪い合う父親と息子」みたいな攻防がしょっちゅう繰り広げ
		られていることに関しては、呆れつつも悪い気はしていないけど、流石に乳児と張り合われる
		のはちょっとなぁ……




	

3周年記念第4弾 『落花』の不破家で、「双子がくる前で、風早中心のシリアス」とのリクエストでしたが、 何か違うような気がしなくもなかったり…… 2011.6.20