僕は、父上の顔を知らない。
		といっても、文字通り顔─素顔─を見たことが無いだけで、父親の素性を知らない訳では無い。

		僕─不破風早─は、父上の意向で不破姓を名乗っているけれど、実際は素顔不詳の変装名人
		鉢屋三郎の実の息子で、母は僕を産んですぐに亡くなったらしく、それ以降父上達の下で
		育てられているが、父上の素顔は見せていただいたことが無い。

		けれど、そのこと自体に違和感を感じたことはなく、基本的に父親は住み処を変える度に顔も
		名前も変わる人。母親だと信じ「かかしゃん」と呼んでいた人は、名前は変えていたが、顔は
		雷蔵父さんの顔に薄く化粧をして女物の着物を着ている人だと思っていた。
		何故そんな回りくどい表現をしたのかというと、僕は3つになるまで「あまり家に居なくて顔が
		変わる男の人」が父親で、「いつも僕と一緒に居る女の人」が母親だと思っていた。けれど、
		どうも母親役を雷蔵父さんが引き受けていた訳ではなく、忍務に出る役と、雷蔵父さんの顔で
		女装をして母親役とを交代でやっていたらしいので、特定出来ないからだ。

		そして、3つになってしばらくした頃から、10日から長くても半月程度で片付きそうな依頼は、
		どちらかが1人で請けるけれど、数ヶ月掛かるような依頼の時は必ず2人で組んで請け、僕は
		きり丸さんの所に預けられるようになった。

		「事後処理とか、諸々含めて半年近く掛けた忍務の時にお前が出来て、予定の日から10日位経っても
		 戻らなかった時に、顔に傷を負ったらしいからねぇ。それ以降、長期の忍務は2人揃ってでないと
		 請けないことにしたらしいよ」

		そんな風に後になって理由を教えてくれたのは、きり丸さんの家でくつろいでいた笹山先生で、
		笹山先生は、僕が父上が忍務で利用した女との間に出来た子な事を知っている。


		父上は、元々自分の血を引いた子供を残す気は無くて、更に父さんをは伴侶に選んだ以上、僕の
		存在は裏切り以外の何物でもない。それなのに、何故か2人共僕を疎むことなく可愛がって育てて
		下さり、僕が6歳の時に引き取った双児の妹達共々、実の子のように慈しんで下さっている。

		けれどある時。出掛ける支度をするように言われた僕が、

		「引っ越しですか? それとも、きり丸さんの所? 今回はどれ位?」

		と答えたのを聞いて、僕を外に遊びに連れて行ってやったことが無いことに気付き、流石の
		父上も「マズイ」と思ったらしく、それ以降は時々遊びついでに修業をつけてくれたり、
		僕らを連れて知人の家を訪ねたりするようになり、そこで同世代の子供たちとも知り合った。

		それらの経験が、忍術学園に入学した現在、色々と役に立っている訳だけれども、やはり
		幼少期から目一杯鍛えてもらえていたら……。的な話を、知り合いの先輩後輩にしたら、

		「父上からは、天賦の才と知識しか譲り受けていない」
		「うちの父ちゃん、滅多に家に居ねぇし、居ても昔はあんま修行つけてくんなかったし」
		「とーさん、表向き髪結いだし」
		「殆どは、父ちゃん以外に教わったなぁ……」
		「俺、父ちゃんに鍛えられたの基礎体力と脚力とバレーボールだけ」
		「そういえば、父さんに教わった忍術ってあんまり無いなぁ」

		とのことで、僕はかなりキチンと教えてもらえていた口らしい。


		「ていうか、あたしは引っ越しが旅みたいで楽しかったけどなぁ」
		「うん。あと、きり丸さんちに行くのも、お出掛けだし」

		家でも同じ話をしたら、妹達にはこう言われ


		「そもそも、あんまり目立たないようにって山村か逆に街中を選んで越しているんだから、
		 そうそう出掛ける理由なんて無いんじゃないの?」

		そう結論付けたのは、潮江さんの所の伊織さんで、彼女は町外れの診療所の娘さんなので届け物や
		買い出し、往診の付き添いなどでお母上とは良く出掛けるものの、お父上と出掛けたことは、家族
		全員でもあまり無いのだという。






3周年記念12個目 鉢屋父子のお出掛け風景を希望されたのですが、何か違うというか、出掛けない言い訳みたいな 内容になって申し訳ございません 2011.8.13