初めて顔を合わせたのがいつだったのかは、記憶に無い。
しかし、間違いなく医務室だった筈だ。
何しろ一年当時の俺は、本なんか読まんし、
他の組に用はなく、仙蔵とも同室ではあっても
親しくはなかったから、他に機会はなかった。
けれど、ほぼ毎日のように傷を作っては、医務室に通っていた。
いや。正しくは、放っておこうとしても、目敏い先輩やら先生に
バレて、医務室に引きずっていかれている内に、隠したり抵抗する
方が逆に面倒になってきて、自分から出頭するようになったんだが。
ともかく、そんなある日。医務室に行くと、新野先生も
保健委員の上級生も不在で、アイツが一人で留守番をしていた。
もちろん俺は、その場で踵を返そうとした。
…当然だろ? 未熟な一年なんかの実験台に
される位なら、委員会の先輩辺りを頼った方がマシだ。
それを引き止められた後のやり取りが、覚えている限りで、
最初にマトモに口を利いた時なのは間違いない。
△▼
「待って潮江くん! それ位の手当なら、ぼくでも出来るから」
この日の俺の怪我は、木の枝で二の腕をザックリ切り、
傷は深くないが出血はそれなり。という、とても
「それ位」では済まない、深いものだった。
だからこそ、一年坊主の手には余ると思ったんだ。
しかしアイツは声をかけるなり、怪我していない方の腕を引いて
座らせると、有無を言わせず上着をはぎ取って手当を始めた。
傷の上部を縛ってから、布で押えて圧迫し、周りの
血を拭き取ると、止血用の軟膏を塗り、新しい布で
再び押え直してから、その上に包帯を巻いていく。
正確な手順で、テキパキと手際も良く、包帯は
動かし易いが緩まない、適度なキツさで、正直
前に同じような切り傷を手当した三年だか四年の
保健委員よりも、はるかにうまかった気がした。
「はい。終わったよ。治るまでは、こまめに薬を
塗り直して包帯を替えてね。あ、あと、念の為
二〜三日は水に濡らさないようにしてね」
手当て中の真剣な表情から一転して、気の抜けた
ような笑顔で注意を言い渡された所で、俺はようやく
「何故コイツは、俺の名前を知っていたのか」
という疑問が浮かんできた。
「だって、君常連だもん。それに、先生や先輩のお手伝いで
何度かここで顔合わせてるんだけど、覚えてなかった?」
覚えていない。というか、精々制服の色で学年を見分けていた
程度で、個々の保健委員の顔や名前など、意識したことが無かった。
…この当時は、まだ「不運委員」とは呼ばれていなかったしな。
▼△
その後。ひとまずアイツの顔と名前だけは覚え、やけに医務室に
居る確率が高い気がしてきた頃。い組の教室や食堂なんかで
仙蔵と話しているのを見掛けるようになり、そのことを話題に
して、仙蔵と授業に関すること以外でも口を利くようになった。
それから、仙蔵と同じ―奴が作法に入ったのは四年からだ―
図書委員の長次や、俺と同じく医務室の常連だった小平太など
とも交流が出来、いつの間にかそこに食満の野郎が加わっていた。
食満が加わった二年の中頃から、時折様子が
おかしいことがあるのには、気付いてはいた。
しかし、本人が隠したがっていることも感じ取れた以上、
放っておくことしか出来ない。そんな自分を「歯痒い」
だの「不甲斐ない」と感じているのだと気付いた時。
俺はそう感じた理由が、自分でも理解できなかった。
けれど女だと知った瞬間。「大義名分」という
言葉が頭の片隅をよぎり、そこで気が付いた。
俺はアイツの、伊作の力になってやりたくて、何でも良いから
頼って欲しかった。そして、出来るならば俺の方を見て欲しい
と望んだ。…つまりは、その時にはもう惹かれていたわけだ。
ああ。でもしかし、そんな目で見てしまっているとバレた瞬間。
軽蔑され、縁を切られて終わりだな。アイツは、そういう奴だ。
前半は入学2〜3ヵ月目あたりの出来事かと。
で、終わりの辺りは、賭けのちょっと前くらい。
青くてちょっとモヤモヤな潮江さんが、
意外に書きやすかったことに驚いています。
立花様ほど言い回しに気をつけなくていいからですかね?
2008.12.12
石蕗(つわぶき)の花言葉は「困難に負けない」「謙譲」
薬効は火傷・腫れもの・切り傷
だそうです
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