警告
・死にネタです
・かなり理不尽な死に様です
・若干『落花』のネタバレ的なものを含んでいなくもないです
・多分後味はあまりよろしくありません
・あくまでも「可能性の1つ」であって、コレが結末なわけではありません
それでもよろしければ、下スクロールでどうぞ
「いやぁあぁ! 母様」
町外れの診療所に、女の悲鳴が響き渡った。
叫んだのは、この診療所の一人娘・伊織。
彼女の目の前に広がる光景は、中年と思しき男の死体と、血の海に倒れる母の姿。
男は数日前に診療所に運びこまれた患者で、意識を取り戻すなり手近にあった刃物で、
傍にいた伊織に斬りかかり、伊織を庇った母―伊作―がその兇刃に斃れたのだ。
「…かな、で…いお、り。……大、丈夫」
(泣かないで伊織。どうしたの? もう大丈夫だよ。怖いものは、母様がやっつけたから)
「駄目! 母様、喋らないで!!」
伊織を庇って斬り付けられると同時に、伊作は相手の喉元に鍼を打ち込み息の根を止め、娘を
安心させるように微笑みかけようとした。
けれど袈裟がけに斬られた創(きず)は深く、話そうとするだけで血が肺まで入り込み、命を
縮めるだけだということは、明白だった。
(…血の味がする。ああ、そうか。斬られたんだっけ。目も、何だか霞んできた。
……もうこれは、助からないな)
混濁した意識の中で伊織の悲痛な声を聞きながら、伊作は妙に冷静に自分の状況を分析していた。
「……おり」
「喋らないで! 助けるから。私が助けるから、死なないで母様!」
「ご、め…ね。」
(ごめんね伊織。こんな風に看取らせるために、医術を教えたんじゃないのにね。
この傷じゃ、もう助からない。手遅れだって、お前も判るだろう? 知識も技術も、
全てもう、私と並ぶ程の域まで達しているんだから)
伊織は、昔から手のかからない出来た子供だったが、反面どこか意地っ張りで頑な面もあった。
それは今も変わっていない。そのことが、伊作にはほんの少しだけ微笑ましくすら思えた。
けれど技量は自分と同じ程度なのだから、現実も見えているはずである。そして、医師として、
時にはその現実から、目を逸らしてはいけない場合もあるのだと伝えたかった。
「母様? 母様! かぁさま。ヤダ! 逝かないで! 目を開けて母様!!」
(文次、ごめん。君より長く生きられない気はしてたけど、まさかこんなに早く、
逝くことになるなんてね。
でも、きっとコレが僕の天命だと思うから、哀しまないで。誰も、怨まないでね。
伊織も、文多も、私のことは忘れて良いから、幸せになって?)
薄れゆく意識の中で、最期に浮かんだのは夫・文次郎の姿。
彼は、自分の死を知ったならばどう感じるだろう? 彼も子供達も、自分の遺志を酌んで
くれるだろうか。それだけが不安だった。
『ごめんね。幸せだったよ。……愛してる、文次郎』
「……いさ?」
伊作が息を引き取ったのと同時刻。とある戦場で文次郎は、風と共に幻聴を耳にした。
囁くようなその声音は、紛れもなく伊作のものだが、それが聞こえた意味は解らなかった。
それでも、聞こえた瞬間によぎった嫌な予感が拭えずに、死に物狂いで忍務を片付けて帰宅した
文次郎を迎えたのは、妙に安らかな表情をした伊作の遺体と、憔悴しきった伊織だった。
「――その男は、母様が咄嗟に返り討ちに。……即死だったわ」
苦痛に耐えるように顔をゆがませ、一通りの状況説明を伊織がこう締め括った瞬間。
不謹慎だとは自分でも思ったが、文次郎は苦笑と共に一言呟いた。
「そうか。相変わらず、腕は衰えていなかったんだな」
「ええ、そうね。でも、母様は忍じゃないわ。かつてはどうであれ、今は一般人で、一介の
医師でしかないのに、何でこんな風に殺されなきゃならないの!? ねぇ。答えて父様!」
そんな父親の態度に、伊織は棘を含ませつつ冷静に返そうとしたが、抑えが利かずに声を荒げた。
「知らねぇよ。それがアイツの、天運だったんだろ」
「酷い。父様は、母様が殺されて、悲しくないの? 辛くないの? 悔しく、ないの??」
投げ遣りなわけではなく、何処となく悟ったような文次郎の言葉が、伊織の癇に障った。
しかし、声高に責めながら詰め寄っても、文次郎の態度は変わらなかった。
「……。泣いて、憤って、相手を怨んで、そうしたら、いさが戻るとでも言うのか?
違うだろう?」
「違う、けど…でも!」
正論を突き付けられても、それで割り切れる程伊織は冷めていない。
しかも普段なら、自分の何倍も激昂しやすい筈の文次郎が、こんなにも冷静で落ち着いて
いることが、伊作に対する裏切りのようにすら思え、伊織は必死で反論を試みた。
それを遮り、一言一句を言い含めるように、文次郎は言葉を紡ぎだした。
「アイツは、いさは、学生時代に誰彼構わず手当して回っていた時から、いつか殺される覚悟を
持っていた。そして実際にそうなった時、お前に害が及ばぬように、一瞬たりとも躊躇うこと
無く、錯乱した相手を討った。
いさはお前を守れただけで、満足だった筈だ。だからお前は、相手を怨むな。
全て忘れて、いさの分まで幸せになれ。それが、アイツの望むことだ」
最優先は己の命。続いて仲間。それらを守るためならば、他の命を奪う事も已むを得ない。
けれど、出来うる限り多くを救いたいし、不意を食う可能性もある。
学生時代「保健委員だから」と称して、戦場でも手当たり次第手当して回る癖を、己や他の
友人達が咎めたり諌めた際、伊作はハッキリと言い切って笑った。その潔さと強さこそが、
彼女の本質であり、他者を引き付け、容易く信頼を得る力なのだと、文次郎は考えていた。
そして、優先順位の一位が自身から子供達に代わっただけで、本質は何ら変わっていないなら、
憎しみに囚われ、過去に縛られ続けることよりも、先を見て進むことを望む。そう、確信して
いるからこそ、文次郎は気丈に振る舞い続けているのだ。
「本当に、それが母様の望みなの?」
「ああ。アイツは、自分が満身創痍だろうが、『周りが無事で良かった』と笑う奴だ。
それなのに俺らがいつ迄も引きずって憎み続けていたら、心残りで成仏出来ねぇだろうな」
半信半疑といった様子の伊織に、キッパリと言い切った言葉は、ある意味で文次郎自身の
望みでもあった。
『うん。ありがとう文次。それで正解だよ。…でも、出来るならもっと生きていたかった。
もっとずっと、君の傍に居たかった。だからしばらく、此処に留まっていても良いかな?』
「…あのね文多。私、母様が亡くなって直から、ずっと父様の後ろに母様が視えるの。
母様は父様の傍に居られて嬉しそうだけど、あのままじゃ、いつか取り殺してしまう。
そのことに、母様は多分気付いていないと思うけど……」
伊作が殺されてから数年。久方ぶりに実家に顔を出した弟・文多に、伊織はアノ日から
抱え続けている悩みを打ち明けた。
幼い頃から伊織は、時折現世(うつしよ)以外の者を視ることがあった。そのことを知る
文多は、姉の言葉に驚くことはなかったが、返す言葉も見つけられなかった。
「きっと母様は、伝えれば父様の為に離れると思う。でも、母様の哀しそうな顔なんて、
もう二度と見たくない。それに、父様だって喜ばないと思うの。でも、判っているのに
むざむざ見過ごすこともしたくない。……ねぇ、文多。私はどうしたらいいと思う?
どうすることが、最善だとお前は思う?」
伊織と文次郎は、決して父娘の仲が良い方ではない。けれど、みすみす失うような真似は
したくない程度には、大切な親である。そして、伊織はお互いに不器用で、すれ違い続けて
すらいた両親の、それぞれの想いを誰よりもよく知っている身でもある。
母親に似て、他人の感情の機微に長け、思い遣りのある敏い娘である故に、伊織は身動きが
取れずに苦悩していた。だからこそ、父親似の思考を持つ弟に、一縷の望みを託したのだった。
「…父ちゃんに伝える。その先は、父ちゃんが選ぶことだろ? 多分、母ちゃんは
父ちゃんがそれで良いなら、どんな選択肢だろうと受け入れると思う。それにさ、
逆に母ちゃんが憑いてるから、父ちゃんが無事なのかもしれないじゃねぇか」
「そう、なのかな?」
文多は、文次郎よりも若干柔軟な頭をしており、その前向きさはどちらかというと伊作似かも
しれない。そして伊織の、意外と常識に囚われがちな辺りは、文次郎譲りだったりもする。
「そうだよ。何しろ父ちゃんは…まぁ、俺もだけど。いつ死んでもおかしかなくて、怪我も
絶えない仕事なのに、ここ数年は奇跡的に怪我少ねぇじゃん。それって、他の奴―それが
たとえ実の娘の姉ちゃんでも―に、手当させたくないから母ちゃんが何かしてる。って
考えるとしっくり来ねえか?」
「ああ、うん。確かに。母様って、そういう変な所で執着強かったものね。そういえば」
茶化すような文多の言葉に、伊織は少しだけ笑みをこぼした。
一度全てを諦めた伊作が、執着し、望んだものは文次郎と子供達。
もしくは、文次郎唯一人なのかもしれない。
文次郎の為に、伊作は己が命を惜しみ、罪すら犯した。
そして文次郎は、その全てを、受け容れるまではいかずとも受け止めた。
そのことを、伊織は知っているし覚えてもいる。
「…そうね。いっそ、母様に取り殺され、共に逝けるのなら、父様も本望かもしれないわね」
伊織20歳/文多16歳=文次郎・伊作36歳くらい
最後の姉弟の会話のみ数年後。文多の進路も多分フリーの忍者です
コレは果たして、不幸な終わりなのか、ある意味幸せなのか……
2009.4.18
(2009.4.20 一部修正)
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