・加藤父子の字
「お。駿、お前も漢字ドリル出されたんだ。懐かしいな。俺も散々出されたけど、字なんか読めりゃ
何とかなるから」
加藤家の長男駿太郎は、父団蔵に似て字が汚い。そして忍術学園の担任も、父と同じ土井半助である。その為、
団蔵がかつて課されたものとまるきり同じ宿題が出されたらしい。それを懐かしげに団蔵が眺めていると
「読めれば、な」
「こちらが慣れただけで、結局上達していませんからね」
「あたしは未だに読めないわよ」
「父ちゃん、清八、駒子まで……」
父飛蔵・清八・妻駒子から、口々にツッコミが入った。更に
「正直、父ちゃんと兄ちゃんの字が読めれば、大抵の字は読める気がする」
と、次男の進午にまで言われてしまった。
・佐武息子の尊敬する人ランキング
「こないださぁ、何となく龍に尊敬してる人訊いてみたんだ。そしたら『照星さん!』って即答されて、それは
何となく納得出来たから、『んじゃその次は』って訊いたら『田村さん』で、それもまぁ、解らなくもない
だろ? で、その次も訊いてみたら『祖父ちゃん』……つまりは俺の父ちゃんだったんだ。それでもめげずに
まだ訊いたら『山田先生』って返ってきて、『俺は?』って訊いたら『その次くらい』だと。
何かさぁ、園田村とか、タカ丸さん達とウスタケ忍者隊の時の父ちゃんの気持ちが、もの凄く良く解った気が
する。父親って、ホント寂しいもんなんだな」
「……。悪いけど、その龍臣の答え、うちの奴らでも予想できると思う」
「うぅ〜、そうかぁ。……ところで、団蔵のとこの2人に同じこと訊いたら、何て返って来ると思う?」
「そうだなぁ。清八は、間違いなく入ってるだろうな。で、他はきり丸とか金吾とか土井先生とか父ちゃんとか、
他の先生方やお前らとか、下手したら潮江先輩とかまで挙がるのに、俺は入ってない。そんな感じな気がする」
・久々知双児と小松田
何年経ってもへっぽこ事務員な小松田秀作が、ある日正門前の掃除をしていると、門の外に生徒と思しき少年が
居るのが目に入った。
「久々知くーん。駄目だよぉ、外出する時は、ちゃんと外出届を出して、出門表にもサインしてくれないと」
などとお決まりのことを言いながら、小松田が少年に近付こうとすると
「俺がどうかしましたか?」
と、背後から声が聞こえた。
「へ。久々知くん?」
「はい」
振り向いてみると、そこには先程門外に居た筈の、―卒業生であり、現在は教科の教員でもある久々知兵助の
息子に当たる―久々知空也が立っていた。けれど念の為、もう一度門の外に目を向けると、そこにも空也が
立っていた。
しかも、背後の空也は制服姿なのに、門外の空也は私服姿だった。
「え? 久々知空也くんが二人? てことは、どっちかは別の誰かの変装??」
流石にそれなりの年月、忍術学園の事務員をしているだけあって、それ位の可能性は思い付けたようだが、
見分けはつけられないらしい。しかし
「……何しに来たんだ、高野?」
「届け物。父さんに直接渡すよういいつかっているんで、案内頼めるか?」
「解った。とりあえず入る為に、入門表にサインしろ。……小松田さん、入門表出して下さい」
よくわからないまま小松田が差し出した入門表に、私服の少年が書いた名は『久々知高野』となっており、後で
父親である兵助に訊いた所
「双児の片方だけを学園に入れたので、うちには生まれつき同じ顔をした息子が2人居るんです。なので、三郎
みたいなのではありません」
とのことらしい。
・内海入学
その生徒が入学してきた時。父親を知っている教科担当の笹山兵太夫(24)は、年齢を逆算して「やるなぁ、先輩」
とニヤニヤ笑いを浮かべ、夏休みにはその生徒の担任でも顧問でもないのに、勝手に家庭訪問をしに行ってみた。
「どうも。お久しぶりです、浦風先輩」
「何しに来たんだよ。教師をしているのは聞いているけど、お前はうちの内海と、とりたてて関わり合いないだろ」
そんな風に兵太夫に怪訝そうな目を向けたのは、学生時代に作法委員会の先輩だった浦風藤内(26)で、今年
忍術学園に入学してきた彼の息子内海は、現在10歳である。
「いや、浦風先輩が思いの外早く所帯を持たれたようなので、お話を聞いてみたいなぁ。と思いまして」
好奇心を隠さない兵太夫に、藤内は溜め息を一つ吐くと
「……3年前に、山賊の討伐を命じられてな。その山賊に殺された生き残りの子供を引き取ったのが、内海と
その妹の藤江で、名前が被っているのは偶然なんだ」
と説明した。それについては、あとで内海にも確認を取った所、事実らしい。
しかし、兵太夫だけでなくこの翌年に実技担当教師として学園に戻ってきた藤内の友人である富松作兵衛や、
その他旧知の面々も、内海の性格は藤内そっくりだと感じる位、この義親子は無駄に似ていたりするという。
・千鳥と久々知先生
ある日竹谷家の次男千鳥は、父の友人で担任でもある久々知兵助を
「兵助おいちゃん」
と呼んで注意された。(ちなみに竹谷家と久々知家―とついでに尾浜家も―は、父同士と母同士がそれぞれ
親しい為、未だに付き合いがあったりする。)
しかし別の日に、兵助から
「ちぃ」
と、幼少期からの愛称で呼ばれたので反論したら
「今は放課後で、授業や委員会絡みではないから、俺は別に公私混同はしていない」
と返された。しかも
「時々山田先生が土井先生を『半助』と、名前で呼ばれることがあるだろ」
などと、屁理屈なのかどうかも良く解らないことまで言われた。
そんな話を、次の長期休み中に父八左ヱ門にしてみた所、
「諦めろ。何しろ兵助だからな」
と、より一層謎の説得をされたという。
旧拍手御礼
前々から考えていたネタを書いてみたのですが、偏りが激しいことに(笑)
2010.4.16
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