泉を産んでから、半年程経った頃。何となく気分や体調が優れなくて、「もしかして」と思い

	「また、子供出来たかも」

	と告げたら、文次郎はすごく喜んでくれて、伊織の時は初期の一番弱っていた時期に居られなかった罪滅ぼしの
	意味も込めているのか、しばらくは長期の仕事を受けず、傍に居てくれようとした。だけど、その矢先にお腹の
	張りを感じ、「マズイかも」と思ったのとほぼ同時に、その児は流れてしまった。

	お腹を抱えてうずくまり、足下が血に染まっていく私の様を目にした文次郎は、とても心配してくれた。
	そのことが少しだけ嬉しかったけれど、子供を喪ったことを初めて哀しいと感じ、同時にとても申し訳なくて、
	ずっとうわごとのように「ごめんなさい」を繰り返していたような覚えがある。
	だから、半月後に訪ねて来た乱太郎達には、何てことの無いような調子で話したし、体調的にはそこまで弱りは
	していなかったけど、精神的に少しまいってしまっていて、大事を取ってしばらく伏せっていたのも事実だった。



	その次の児は、胎動を感じる位までは順調に育っていたけれど、ある日ふとそれが感じられなくなり、お胎の
	内で死んでいることを悟り、自分で堕ろす形でその児の処理をした。その行為自体が、喪ったことよりも
	辛くて申し訳なくて、いつも以上に泣きたいのに泣けなくなり、自分から文次郎に触れる事を躊躇うように
	なっていたことに気付いたのは、息をしていない最後の児を産み落とした後のこと。


	文多の時は、流れそうな兆候を感じた時に、必死で「流れないで」と祈ったのが功を奏したのか、どうにか
	胎内に留まり、無事生まれて来てくれた。


	その後の子達も、辛くて哀しくて申し訳なかったけれど、それ以上に体力の消耗が激しくて、死期を悟り始めた
	のは、その頃からだった。そしてそれと同時に、今までこの手で消して来た、悪夢の産物ではあれど、何の罪も
	ない哀れな我が子達のことも、ほんの少しずつ悼む気になれたのは、おそらく無事に産むことの叶った子供達を
	愛しいと思えるようになったから。

	伊織や文多を慈しみ、文次郎への想いを自覚すればする程に、消えない過去を告げるのが怖くなった。
	私は、このまま幸せになることが赦されているのか。そんな風に感じ、せめてもの罪滅ぼしとして、
	喪った児と共に、消した子達も悼むことにした。
	過去も罪も穢れも消せないけれど、悔み、あがなおうともがき続けていたら、いつか赦されるかもしれない。
	そう、信じたかった。


	口が滑ったのは、多分いい加減全て吐露して、楽になってしまいたかったから。だけど、話しても赦して
	もらえず、軽蔑される可能性を恐れ、ずっと話せなかったのだから、いざ話さなければいけなくなったら、
	反応を目にするのが怖くなって逃げ出した。それが、失踪の真相。

	覚悟を決める為の時間が欲しかった。だけどそれ以上に、如何なる言葉を浴びせられ、どんな結果になるのでも
	構わないから、もう一目だけでも文次郎に逢いたくて、日が経つにつれて気が触れそうになっていった。


	いつからこんなに依存するようになったのかは思い出せない。でも、「文次郎の子なんだ」と思うだけで、
	胎動を気持ち悪いと感じず、意図的に意識しなくても愛おしく思えるようになったのは、確か文多の前に
	失くした児から。


	悪夢を見て飛び起きた時、隣に眠る文次郎にすり寄る癖があることに気付いたのは家を出てからで、多分初めの
	内は、文次郎は「何事か」と面食らったんじゃないかと思う。だけど次第に慣れて、何も言わずに抱きしめたり
	してくれるようになった。
	文次郎の腕の中なら怖いことは何も無く安心できて、文次郎の匂いやぬくもりや鼓動は嫌いじゃない。無意識の
	内にそう思っていたことの発露が、伊織の時の悪阻に現れていたのかもしれないと気付いたのも、家を出てから。
	文次郎以外の若い男を拒絶し、排除していた。だけど、同期の友人達や後輩達なら、害は無いから平気。それが、
	あの悪阻の基準だった。そんな気が、しなくもない。


	だとすると、実に長い遠回りをしたもので、仙蔵とのことは、本当に単なるあやまちでしかない。それでも、
	仙蔵と関係を持ったことで、ハッキリしたこともある。それは何の言い訳にもならないけれど、答えに辿り
	着くきっかけではあった。あの事が無かったら、私は未だに答えを出せていなかったかもしれない。



	全ては文次郎に委ね、私は待つことしか出来ない。迎えに来てくれるかもしれないし、見限られたかもしれない。
	探し出してここまで来てはくれても、断罪の為かもしれない。この身の穢れも罪も、赦さないまでも見逃して
	くれるというのなら、それだけで充分で、たとえ赦してもらえなくても、文次郎の手で直接殺されるのであれば、
	いっそのことそれでも構わない。ただ、叶うならば、元の関係に戻りたい。それが、今の私の望み。だけど、
	私の望みは、往々にして叶わない。私に、何かを望むことは許されていない。そんな考えも、頭をよぎる。



	……こうやって、苦悶しながら待つことも、私に科せられた罰なのかな。





文伊欠乏中(今もだけど)に考えた代物を書いてみました。離の『藪蘭』を踏まえた感じで、甘くて幸せなものに 餓えているのに、痛々しくて暗くなる自分にちょっとげんなり。 文→伊側も計画中なので、そっちも書いたら、すれ違いでも少しはラブくなるといいなぁ 2010.7.9