それはまだ、彼の変装名人が三年生だった頃のこと。
まだ多少未熟な点もありはするが、変姿の術に関しては上級生を
凌ぐとも囁かれ始め、こと同室の親友の振りをしている時は、他の
親しい友人達でさえ間違うこともあるような域にまで達した頃。
いかなる人物に化けても見抜く者が、一人だけ居た。
しかもそれは、学園長を始めとする教師達の誰かではなく、
彼と一歳しか違わない、とある四年の生徒だった。
その四年生は、決して成績が悪い方ではないが、「優秀」だの
「○○に関しては学園一」などと言われているのは周りの友人達で、
本人の飛び抜けた点は運の無さ。という、目立つのか目立たないのか
よくわからない存在で、取り立てて三郎と接点があるわけでも無かった。
それなのに、化けるのが誰であれ、どれだけ似せようと
「鉢屋でしょ?」
と一目で即答するのだ。
そんなある日。休み時間に、廊下で友人達をからかって遊んでいたのを
通りすがりに言い当てられた時、
「何で判るんですか!?」
と、鼻息荒く問い質したのは自尊心が傷付いたからで、それをそのまま
表に現すくらいには、この頃の彼はまだ青かった。
「えーと。骨格」
曰く、どれだけ緻密に真似しようが体型を誤魔化そうが、基本の骨格までは
変えられないので判る。とのことらしい。
「でも安心して。保健委員ならみんな判るわけじゃないよ。僕だけ」
だから、見抜かれたからといって気に病むことは無い。むしろ、それ以外の
点でなら完璧だと思う。と付け加えられはしたが、やっぱり三郎は悔しかった。
*
「先輩、女子(おなご)ですよね」
「何を突然。この間の仕返しのつもり?」
『骨格』発言の数日後。伊作が一人きりでの当番の仕事をしており、患者も
いないのを見計らって医務室に入るなり三郎がこう切り出すと、伊作は作業の
手を止めず、顔も上げずに呆れたような声だけを返してきた。
「いえ。アレは斬新な意見だったので参考にさせてもらいました。で、それを
手掛かりに先輩を見ていたら、そうじゃないかと気付いただけです」
「勘違いじゃないの?」
手元の包帯を巻き直し終え、今度は調合でもするのか立ち上がって薬棚から
数種の薬種を取り出している伊作は、相変わらず三郎の方を一瞥もしなかった。
「俺の観察眼を嘗めないで下さいね。伊達に変装し続けてませんから」
「…もし、その観察眼が正しかったとして、それで君はどうしたいわけ?」
「どう。とは?」
「脅迫材料にして、交換条件で何か要求でもする?」
ここでようやく伊作は三郎と目を合わせ、冷ややかに自嘲気味な笑みを浮かべた。
「して良いんですか?」
「命が惜しくないならね」
サラリと言った伊作は、再び目線を薬種に落としていた。
「……大事にされてますもんね。当然皆さんご存知で?」
「一応はね。でも、留や仙蔵なら最悪でも再起不能止まりだよ」
三郎的には「女であることを知っているのか」と訊いたつもりが、
伊作は「脅迫した場合」についての答えを返してきた。
「…再起不能って、充分でしょう」
挙げられた生徒達の、顔と性質を思い浮かべ三郎が苦笑すると
「躊躇(ためら)いも、容赦もしないのは僕自身。…自衛手段としては
行き過ぎな毒を、常に携帯しているから」
伊作は自分の手を見ながら、半ば独り言のように呟いた。
「……他のお三方は?」
「長次は、相手に報復するのではなく、僕の傍で守ってくれようとするんだ。
…こへと文次は、僕の受けてきた仕打ちまでは知らないし、この先も知らなくて
いいと思っている」
「あぁ、何だか解る気がします」
三郎にとっての雷蔵が長次。兵助と八左ヱ門が、文次郎と小平太に当たるのだろう。
忍びを目指しこの学園に居ることは解っていても、「闇など知らずに済むならば
知らずにいて欲しい」と願い、己の醜さを受け止めてくれることに微かな喜びを覚え、
同時に隠し通すと決めた友人達に。
「…即効性の痺れ薬から、数日経って症状が現れるもの。一月位かけて患部が
腐り落ちたり、全身に廻るもの。色々あるよ。…死に到るかどうかのさじ加減が、
仕込む前にしか出来ないのが難点だけど、無防備な首筋に手を回すとか、すがる
振りをして腕や脚を一刺し。それで終わり。年下で、しかも女だと見くびって
油断しきっているし、快楽に溺れて理性も飛んでいる。その一方で、苦痛でしか
ない分意識はハッキリしているのだから、この上なく簡単なことなことだったよ」
遠い目をして、乾いた笑いを浮かべながら伊作が挙げた例に、三郎は息を呑んだ。
「もしや…」
「うん。多分君が思い浮かべたことは正しいよ。…だからね、今後忍務などで
そういうことになった場合は、よく注意することをオススメする」
茶化すような口調で、いつも通りの穏やかな笑い方。…を装おうとしたのだろうが、
まだ少し固い声で、笑顔は引きつっていた。
「…肝に銘じますけど、話変わってませんか?」
それでも、意を酌んで呆れたように三郎は返し、「まぁいいですけどね」などと
言いながら、これ以上は訊いても無駄だと悟った振りをして医務室を後にした。
伊作は、「黒い」というよりは「病んでる」感じで。どこかちょっと壊れてます。
ある意味、唯一高い「くのいちスキル」がコレ。他の技も結構えげつないの多いですけど
時間軸としては、二話の少し後くらい。「同期全員に女だとバラしてはある」程度です。
2008.7.15
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