富松家から町立第二小学校は、入学したての一年生の足でも、5分もあれば着く。
しかし作兵衛は、毎日始業1時間前には家を出る。
そしてまず向かうのは、徒歩10分ほどの距離の神崎家なのだが、
ほぼ毎朝作兵衛が着いてから母親が
「左門ちゃーん。作ちゃんがお迎えに来たわよぉ。起きなさーい」
といって息子を起こす。
これに関して、初めの内(※小1当時)作兵衛は、「自分が着く前に起きろ」と左門本人に、
「もっと早めに起こしてやってくれ」と母親に抗議した。
しかしその結果。さっさと起きて支度も終え、手持ち無沙汰になった左門が
「今日はこっちから迎えに行く!」
などと張り切って家を出て迷子になり、クラス総出で探すことになったため諦めた。
その代わりに、左門が起きて来て着替えている間に神崎家で朝食をとり、左門の食事中に
持ち物点検をする。という案が左門の母から出され、それをのんだ。
「…おばさん。今日体育着いるんだけど、洗ってあります?」
「ええ。あるわよ。ちょっと待っててね」
1年時からずっと同じクラス(明らかに作為的)なので、時間割も連絡事項も
作兵衛はしっかりと覚えているため、こんなやりとりは日常茶飯事で、さらに
「よし。待たせたな作兵衛。さあ、行くぞ!」
「ちょっと待て左門。部屋から縄跳び持ってこい。練習のために持って帰って来てるだろ」
左門自身のこともよく把握しているので、神崎家では作兵衛は連絡帳の予備代りか、
もしくは連絡帳そのもの扱いになって久しかったりする。
神崎家での平均滞在時間20分。
左門を連れて続いて向かうのは、神崎家から5分ほどの次屋家で、こちらはたいてい
「おう。はふ。ひょっひょまっへろ。いみゃくひおはる」(おう。作。ちょっと待ってろ。今食い終わる)
「急がなくていいから、かっ込むな。って毎日言ってんだろうが」
といった感じに、三之助が朝食を食べている最中である。
これに関しても、作兵衛は文句を言ったことがあるし、時間を少しずらしてみたこともある。
けれど何故か毎回、口中に食べ物を詰め込んだ三之助を目の当たりにしている。
なので左門同様、諦めて持ち物点検をしている。
次屋家での滞在時間は、平均10分弱。
学校まで向かう間に、横道に逸れようとしたり、通りすがりの何かに興味を持ったりする
迷子達をはぐれさせないために、ランドセルに犬用のリードをつけることを思いついたのは、
3年頃だっただろうか。
そして、次屋家から小学校までは約10分なので、教室に着くのは始業5分前頃になる。
もう少し早めに着こうと思えば着けなくはないのに、こんなギリギリの時間なのは、
余裕があると、2人がよその教室などに遊びに行こうとして迷子になるからである。
その後。中学に上がっても、あい変わらず作兵衛の日課は迷子の送り迎えだった。
それについては、中学も同じだから当然の流れだと思っていたが、高校は方向音痴達が町内の工業で、
作兵衛は隣町の商業と分かれたにもかかわらず、毎朝2人を学校まで連れて行ってクラスメイトに
引き渡してから自分の高校へ向かっていることに気がついた時、作兵衛は愕然とした。
しかしその頃には、町中の人間に「方向音痴達の飼い主」と認識されており、どちらかでも
迷った場合、ただちに声がかかるようになっていたので、これまた諦めるしかなかったという。
おまけ
いつだったか、神崎家に向かう途中で日課のジョギング―というにはペースが速い―中の
小平太に行きあって、「いつもエライな!」と、牛乳をもらったことがある。
その牛乳の出所については、深く考えないようにしているが、七松家の前でなかった
ことだけは確かで、飲んでいいものかものすごく悩んだ記憶があったりする。
作ちゃんは、迷子達の保護者じゃなくて飼い主。
途中で開き直ったようで、往生際悪く「違う」とか言い張っていそうですが。
高校時代の帰りは、七松組の誰かが来てたんじゃないかな。
作はバイトで遅いはずだから(その当時のバイト仲間が藤内な所で他の連中ともつながるので)
2009.1.27
おまけ(日記もどきにこっそり書いといた呟きの一部)
牛乳の出所は↓の通り。…が、作は「通りすがりの玄関先から?」とか誤解していそうです。
駅前まで走って、スーパー福富で牛乳買って帰ってくるのが若の日課なので、心配いらないよ作ちゃん。
2009.2.11追加
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