”「忍者の三禁」というものがあるが、年がら年中四六時中それを守り禁欲しているのも、
酒の一つも飲めないというのも、一般人に溶け込むには不自然だ。”
などという、屁理屈じみた大義名分の元、上級生が酒盛りが行うことは、特に珍しいことではない。
一応、休日前などの多少酒が残っても問題のない日を狙ったり、騒ぎすぎて他の生徒に迷惑を
かけないようにする程度の良識はあるし、正体をなくす程飲むようなことも、滅多にしない。
それでも人によって酒の強さはマチマチで、その時の状況によって飲む量なども違うので、
時々やっかいなことも起こらないでもない。
今回は、その中でもとても局地的な話をしよう。
それは、彼らが四年生の冬のこと。
特に大したきっかけも理由もなく催された酒宴は、場所は長屋の仙蔵と文次郎の部屋。
持ち寄られた酒は、
・ 仙蔵が実家からくすねてきた清酒
・ 留三郎がわらしべ長者的な流れで、たまたま手に入れた地酒
・ 小平太の秘蔵のどぶろく
・ 伊作製の、消毒用の焼酎に漬け込んだ薬草酒
などが主だった。
彼ら6人の中で最も酒に強いのは、「ザル」を通り越して「ワク」の留三郎で、彼はどれだけ飲んでも
特に酔わないが、だからこそ逆に馬鹿のように量はいかずに、きちんと味を楽しみならがら飲む。
その次が文次郎で、こちらも一応「ザル」と言えなくもないが、強い酒を好む上に飲み比べなどもよく
して、量で言えば一番飲んでいるからか、たまに若干酔いが回っているように見えることがある。
そして、限界はあるがそれを解っているしそれなりに強いのが長次。さほど強いわけではないが、酔っている
ことを顔に出さない仙蔵。「質より量」で、飲むのも酒盛りの場の空気も好きだが、別に強くはない小平太。
弱いが他人に飲ませるのがうまいので、自分が飲んでいないことに気付かれにくい伊作。と続く。
そのため、たいてい陽気な酔っ払いと化した小平太が、文次郎や留三郎に飲み比べを挑み、仙蔵・長次は
適当に飲みながらそれを傍観。伊作は傍観者達に酌をしながら話していたり、飲み比べ連中がヤバそうなら
止める。といった状況になっていることが多いが、時折、気がつくと隅の方で潰れた伊作が眠っている。
などということもある。
そんな時は、たいていそこでお開きにするか、他の面子に声をかけて抜ける形で、留三郎が伊作を
連れて自分達の部屋に引き揚げるのだが、この日は伊作が潰れていることに気付いた時、留三郎は
小平太に飲み比べを挑まれている真っ最中な上に、まだ酒宴を始めてからさほど時間が経っては
いなかった―どうもこの日の酒が、口当たりの割に強いものだったらしいため―、抜けようものなら、
勝ち逃げだ何だと騒がれて面倒臭い気がしていた。
しかも、仙蔵と長次は何やら2人で話し込んでいたので、留三郎は仕方なく文次郎に声をかけた。
「悪い潮江。伊作を部屋まで連れてって、寝かしつけてきてくれ。布団は敷いてある」
自室以外での飲み会の際は、戻ったらすぐに眠りにつける―というより、伊作をすぐに寝かせられる―
ようにと、事前に寝床を用意してきている留三郎のマメさに、文次郎は内心呆れつつも少しだけ感心した。
「伊作。立って自分で歩けるか?」
「う〜?」
抱えて運ぶ前に、文次郎は念のため伊作に声をかけてみた。すると、起きているのかいないのか
定かではない、返事ともただの唸り声ともつかない反応が返ってきた。
そこで、肩を貸して歩かせるのではなく、背負って部屋まで連れていくことにした。
春に女の身であることを知らされ、一応付き合うことになったのがつい先日のことなのだが、いっそ
友人だった頃の方が、何かと触れる機会が多かった気がする上、それ以前は性別を誤魔化すために、
背負うだとか組み手などの、体形がバレるような接触はすべて秘密を知っていた3人―留三郎・仙蔵・
長次―のみが行うようにしていたため、文次郎が伊作にあからさまに触れたことはほとんどなかった。
しかし、いざ背負ってみて感じられたのは
(仙蔵よりは、若干肉が付いていないこともない…か?)
程度の、丸みも柔らかさもほぼ無い、空しい感触だけだった。
しかしそれでも、「それがわかっただけ収穫だ」と思えたのも、また事実ではあったが。
尚、比較対象が仙蔵なのは、仲間内で体格が一番近いことと、体術の授業で組んだ際の記憶があるからである。
部屋に着き、伊作をひとまず布団におろすと、文次郎はあることに気がついて、少し困った。
(着替えさせるか、せめて、上くらいは脱がせた方がいいのか??)
日によっては寝巻き姿で集まることもあるが、この日の伊作は制服のままだったのだ。
見た目でも布越しの感触でもわかり難くても、脱がせれば女であることを目の当たりにすることに
なるだろうが、慣れきって何も感じないらしい留三郎と違い、文次郎にはあらゆる意味で、それは
刺激が強過ぎる。
何しろ、ほとんど女性に免疫のない思春期の若者であり、相手は仮にも恋人なのに、付き合い始めて
以降何の進展もないのだから、仕方ないだろう。
そんなわけで、しばらく悩んだ文次郎は、髪だけ解いて少し襟元や帯を緩めることにしたが、
そのために恐る恐る手を伸ばした瞬間。
「さむい」
との呟きと共に、伊作に抱きつかれた。どうも、ひとまず敷いてある布団の上に転がされただけで、
布団の中に入って掛布をかけられていたわけではないので、寒気を覚えたらしい。
「! 放せ伊作。今布団かけてやるから」
「やぁ。おふとん冷たくてさむいー」
振りほどこうとする文次郎に、伊作は完全に酔っているか寝ぼけた口調で駄々をこね、より一層
強くしがみついてきた。
「もんじあったかい」
「……ああそうかよ」
ギュッとしがみつかれたところで、前述の通り柔らかかったりはしないのだが、背負うのと違って
正面から向き合う形になると、ちょうど顔の辺りに頭があるので、酔っている所為でうっすら赤みを
帯びた白い首筋が目に入ったり、髪などからいつもの薬品臭とはどこか違う香りが感じられるような
気がしてきたりと、文次郎には色々ときつい状況だった。
それでも文次郎は、どうにか自分を律し、「完全に寝たら離れればいい」と耐えることにした。
しかし、寝息が聞こえ始めたと思って抜け出そうとすると、すぐに伊作は
「いっちゃだめ。さむい」
などと起きて引きよせ直す上に、いつの間にか着物の端を握りしめており、最終的には枕扱いを
しだしたため、文次郎は身動きがとれなくなってしまったので、諦めて開き直り、自身も眠りに
就いてしまうことにした。
そこからどれ位の時間が流れたのかはわからないが、何者かに頭を蹴られた衝撃で文次郎が目を
覚ますと、黙って自分を見下ろしている留三郎と目があった。
「てめぇ、何してんだよ」
文次郎が覚醒したのを確認した留三郎の第一声は、伊作を起こさないようにか、かなり小さかった。
「…人を温石代わりにして、離さなかったのはコイツだ」
同じく小声で―おまけに身動きをとることで起こさないようにと起き上がりもせずに―文次郎が
答えると、留三郎は苦虫を噛み潰したような顔で
「次はないと思っておけ」
とだけ吐き捨てるように言うと、部屋を出ていった。どうも、文次郎が戻って来ないので様子を
見に来ただけで、酒宴は続いているらしい。
その後。相変わらず伊作にしがみつかれたままの文次郎が酒の席に戻ることはなく、その光景を
見たくなかったと思われる留三郎は、自室には戻らず、酔い潰れてそのまま寝てしまった小平太の
代わりに、ろ組部屋で寝たらしい。
そして、翌朝目を覚ました伊作の第一声は
「…何か、よく寝れた気がする。お酒入ってたからかなぁ」
で、文次郎を引き込んだ記憶は残っていたらしく、同じ布団で寝ていたことには、全く驚きも
うろたえも照れもしなかった。
さらにその後。「文次郎を枕にすると、妙に安らかに眠れる」とのことに気付いた伊作が、たびたび
添い寝をねだるようになり、文次郎にしてみれば生殺しもいいところで、他の友人達にしても良い気は
しなかったが、「伊作の安眠」を第一に考えた結果、時折それが実行されるようになったという。
えーと。時系列的には、本編六話の少し後くらいですかね。
酔っ払いちゃん以外は色々複雑な気持ちでしょうが、伊作本人が楽しそうなので、
コレは”ほほえましい笑い話”なギャグです。
語り手や目線などを変えたり、その後の状況などはまた違った感じになりますが、それは追々。
2009.2.22
『合歓』(ネムノキ):薬効 不眠・不安/花言葉 歓喜・胸のときめき
マメ科の淡紅色の花で、名前の音と薬効から選んだ気がします
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