かつて、「学園一忍者している」と言われていた潮江文次郎は、卒業後も年がら年中忍務に明け暮れ、滅多に
自宅に居たことがない。そんな彼の息子文多が、忍術学園の四年生の年末のこと。
薬師をしている母から校医の新野に薬を届けに来た、四歳上の姉伊織の
「冬休みは帰って来れそう?」
との問いに、
「学園長の、妙な思い付きさえなかったら」
と文多が答えると、伊織は「そう」と呟くと同時に、何か思い付いたようにニィっと笑い
「ねぇ、ブン。父様が年末に帰ってくるか、賭けない?」
と持ちかけた。
「ちなみに、この前帰って来たのは先月で、『一月以上掛かる』って言って出掛けて行ったわ」
だから確率は五分だと笑う伊織に、文多は文次郎が「祭りの前後や年末年始は世間が浮かれた空気で隙が多い」と
言って、その時期に忍務を入れていることが多いのを思い出し、帰らない方に冬休み中の水仕事を賭けた。
「それじゃ、私が勝ったら、洗い物も洗濯もお願いね。……やった。これでこの冬はあかぎれから解放される」
ニッコリ笑い、勝ちを確信したようにはしゃぐ伊織の自信は何処から来るのか、文多には皆目見当がつかなかった。
けれど、伊織が帰った後にその話を聞いた、文多達の両親の元後輩で作法委員会の副顧問である笹山兵太夫は、
「ああ、それ、伊織の勝ちだね」
と、あっさり断言した。
「何を根拠にそう言い切れるんですか」
「うーんとねぇ……僕は今年いくつでしょう」
「は? それ何の関係が……」
何の脈絡も無いように思える謎の問いに、文多はより一層怪訝そうに眉をひそめて問い返したが、兵太夫は有無を
言わせず「良いから答える!」と答えさせ、「二十八ですよね」との答えに、更に
「じゃあ、君のご両親は僕のいくつ上でしょう」
と、問いを重ねた。
「……五年」
「そ。つまり、君のご両親の年は?」
「三十、三」
全く意図が分からず、困惑したまま答えた文多に、兵太夫は
「ここまで言っても分かんないなら、君には分かんないね」
と呆れたように溜息を吐いたが、「仕方ない。もうちょっと手掛かりをあげよう」と呟き
「潮江先輩が、『年内は帰れない』って言ってたのに無理矢理忍務を片付けて帰って来たのは、ちょうど君が
出来た年の年末だった。ってきり丸からは聞いてて、あと、多分だけど去年も年末ご自宅に居た筈」
と付け加えたが、それでも文多にはさっぱり分からなかった。しかし、そのやり取りを聞いていた、文多の
一年後輩に当たる不破風早は、
「……ああ。そういうことですか。それは確かに伊織さんの勝ちでしょうね」
と、年の話の時点で納得し、次いで付け加えを聞いて二年下の土井晴丸も
「僕も、分かったかもしれないです」
と手を挙げた。
「つまり、厄年ですよね。しかも大厄だから、去年も前厄ってことで……」
「せいかーい。良かったねぇ、文多。泉は卒業してて。在学中だったら、鼻で笑われてたよ」
兵太夫に「えらいえらい」と褒められて撫でられている晴丸の答えで、文多にもようやくピンと来た。
文多達の母親は、かつて男子と偽って忍術学園に在籍していた当時「(元祖)不運小僧」と呼ばれていた善法寺
伊作で、後から聞いた話によれば、最初の厄年である十九歳の年末にはちょうど文多の妊娠が判ったばかりで、
文次郎はとある城に潜入して証拠を探る忍務の最中だったが、
「厄年で元不運小僧な妊婦に、年の割に落ち着いているとはいえ、たった三つの娘と二人きりで大祓の日を
過ごさせるのか。何も無いと良いがな」
と、わざわざ潜入先の城まで訪ねて来た元作法委員長の立花仙蔵に脅しめかして言われ、死に物狂いで忍務を
片付けて帰ったらしい。
そして、同じことを考えたらしい弟代わりの摂津のきり丸と元後輩の猪名寺乱太郎―当時忍術学園の五年生―が、
「少しでも危険と負担を減らす為に」
と冬休みに入った直後に大掃除に訪れそのまま滞在していたが、文次郎が戻ったのでお役御免とばかりに帰省し、
家族三人で過ごした年末年始は、良く考えるとこの年が初めてだったという。
更に、その話を聞いた旧知全員が「流石」としか反応しようが無かったのが、
「もう。ホント、みんな心配し過ぎなんだよ。気を付けていれば、何も無いから大丈夫なのに」
と、周囲の反応に呆れながら過ごしていた矢先に腹部に鈍い痛みや張りを感じ、どうにか持ち答えはしたが、一時
流産の危険性があったのが正に大晦日の夜で、松の内を丸々絶対安静で寝込んで過ごす羽目になったことだった。
「だから、大厄にも絶対何かあるに違いない。って、帰って来て傍に居るに違いないと思うよ、潮江先輩」
そんな兵太夫の予想通り、冬休みに入り帰省した文多と同じ頃に帰ってきた文次郎は、伊作をあらゆる災厄から
遠ざけようと身構えていた感があったが、それでも伊作は、お祓いに訪れた神社で強力な風邪をもらってきて、
数日寝込んだ。
そのことを、「その程度で済んで良かった」と捉えるのか「やっぱり酷い目にあった」と捉えるのかは人それぞれ
だが、本人的には
「たくさんの人が心配してくれてありがたいし、家族四人揃ってのお正月は久しぶりで嬉しかったよ」
とのことだという。
2011年年末企画 円珂様リク
「潮江家」というご希望だったのに、肝心の潮江夫妻がほぼ出て無くてスイマセン。
当初は19歳時をメインで行くつもりが、大厄子供サイドの方が書き易かったもので……
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