古くから町に住んでいる者、特に商店街関係者は、親やその更に親より前の代からの付き合いの者が
	多く、竹谷酒店(現タケマート)の八左ヱ門、久々知豆腐店の兵助、不破米店の雷蔵と三郎(双児)の
	32歳4人組も、ご多分に漏れず親の代からの幼馴染に当たる。しかも、米屋の双児の母は他所の町に
	嫁ぎ、時折子連れで里帰りしていただけにも関わらず、彼らが全員赤ん坊の頃からの付き合いなのは、
	双児の母と八左ヱ門の母が、年は少し離れていたがマブダチで、豆腐屋と酒屋が隣同士なのが大きい
	と思われる(ちなみに米屋は酒屋の向かい)。

	そして彼らが小学3年生時に双児の両親が離婚して、母親が雷蔵だけを連れて実家に出戻ったため、
	そこから高校入学までの7年間は、主に三郎抜きの3人でつるんでいた。その時期のことに関して、
	仲間外れ状態だったのが悔しいのか、単なるどうしようもないブラコンだからか、はたまた必死で
	雷蔵と同じ高校に進学できるよう父親と交渉し、下宿までして町に戻ってきたのに、当の雷蔵に
	「偶然だねぇ」
	で片付けられたのが哀しかったのか、とにかく三郎はその空白の7年間のことを持ち出しては拗ねる
	上、それを勝手に大義名分にして、残りの2人に対してロクでもない事を仕掛けることがよくある。
	
	例えばそれは豆腐屋襲撃だったり、コンビニのバイト―小松田秀作(27)―をイジって遊んでみたり、
	学生や商店街の若者達に失敗談の暴露をしてみたりと、下らないが迷惑な行為が多い。


	ポイントは、「巻き込めそうなら他の奴も巻き込んで共犯者にする」と「本気で怒らせるような
	ことはしない」で、「巻き込む」は八左ヱ門に、「怒らせない」は兵助に掛かることが多い。
	何故なら、八左ヱ門はわりとお調子者なので悪巧みやイタズラに乗せ易く、兵助がマジギレすると
	恐ろしいことは、身を持ってよく知っているからである。

	昔から基本的には兵助も八左ヱ門も、三郎の行動については、諦めるか笑って流して放置している。
	しかし、以前一度あまりに調子に乗り過ぎて、兵助の堪忍袋の緒が切れたことがある。

	その時のことを、
	「完璧に他人行儀な態度の兵助は、アノ三郎が最終的には土下座でやめて貰った位、怖かったよねぇ」
	などと笑って話せる猛者は、雷蔵と
	「アレは、俺自身ちょっとやり過ぎた気はしている」
	と苦笑する兵助本人くらいしか居ない。

						☆

	今となっては三郎が何をやらかしたのか、誰も詳しくは覚えていない程の、細やかながらムカつく
	行動の積み重ねにキレた兵助が、三郎を極力無視し、言葉を交わす際は見知らぬ相手か、もしくは
	店のお客に対するような敬語を使いだしたのは、高校卒業後、双児が揃って芸大(学部は別)に進学し、
	兵助と八左ヱ門は本格的に家業を手伝いだした頃だった。曰く

	「俺達は、お前をハブったつもりは一度だってないのに、勝手に拗ねるなら、その通りにしてやるよ。
	 …友人でも何でもない、赤の他人として振舞ってあげますよ」

	接客用の笑顔でこう言い放ち、その場で三郎が謝っても「何がですか?」と返し、見兼ねた八左ヱ門が
	取り成しても聞き入れず、雷蔵は
	「コレでちょっとは反省するといいよ」
	と笑っていたのだから、逆に恐ろしい。そして数日間拝み倒し、最終的には土下座までして許して
	貰ったにも関わらず、その後も懲りずにロクでもない事ばかりしている三郎に、その内また兵助が
	静かにキレるのではないかと、内心冷や冷やしつつも、時々その悪巧みに加担している八左ヱ門に
	こそ、兵助は呆れているとかいないとか。




柳佳姉様のサイト「旅籠 猫屋」の1周年祝いに贈ったブツです 正確には「三郎をたまにはぎゃふんと言わす」てなリクでしたが、何か違うような…… 2009.6.19