ある日帰宅すると、部屋のドアの辺りに見知らぬ猫が居た。
	毛並の整った長毛種―おそらく血統書付―で、首輪代わりと思しき紫のリボンが巻かれているのも見えた
	ことから、アパートの他の部屋の住人の飼い猫だと判断した私は、翌朝迷い猫の張り紙を共有スペースの
	掲示板に貼り出すことにして、その猫を一晩保護してやることにした。決して人懐こくはないが人間馴れ
	してるその猫は、きちんとしつけられているようで手は掛からなかったが、少々ふてぶてしかった。

	けれどそんな態度もまた、可愛がられて育った証なのだろうと考えた私は正しく、翌日私が掲示板に
	「預かっています」と貼るより先に貼られていた「探しています」の紙に書かれていた飼い主の名と
	部屋番号は、私の斜め上の部屋に住む、最近越してきた神経質そうな学生のものだった。

	時折顔を合わせることがあった程度で、詳しい事情までは知らないが、迷い猫―喜八郎―の飼い主である
	浦風藤内は、一人暮らしの高校生で、喜八郎は実家から連れて来た猫らしい。と聞いたのは、夕方帰宅して
	から喜八郎を返しに行った時のことだった。



	その1回きりならば、単に新しい場所に慣れていない喜八郎が部屋に戻れなかっただけのことなのだろうが、
	その後も何故か喜八郎は、しばしば私の部屋のドアの前に居たり、窓の桟やベランダで寝ていることがあり、
	挙句の果てには、私がドアや窓を開けた瞬間に室内に入り込んだりもするようになった。そのくせ浦風くんの
	元へ連れ返そうとしても特に抵抗もせず、またしばらくして家を抜けだしたらやって来るだけ。という状況
	で、先に何かを諦めたのは浦風くんの方だった。


	「……喜八郎、ウチより平さんちに居たいみたいなので、もし迷惑じゃなかったら、代わりに飼って
	 もらえませんか? 脱走するたびにウチに連れてくるのも、ご面倒でしょう? 毎日エサをあげて、
	 トイレも最低週2位で掃除して、後は月1くらいでブラッシングしてやるくらいで充分な、あんまり
	 手の掛からない猫ですから」


	確かに喜八郎は、エサの銘柄は何であろうと文句を言わないし、トイレや自身が多少汚れていようと気に
	せず―むしろ私が清潔に保たないと気が済まない―、風呂も予防接種も特に抵抗しないという、実に手間の
	掛からない猫だったが、大きな問題が1つあった。


	「譲り受けることは吝かではないが、我が家にはやんちゃざかりの子犬が居るからな」


	伯父の家で生まれた子犬―しろべえ―を、もらってきたばかりだったのだ。



	結果的に、数日様子を見た所さして問題が無かったので、喜八郎は私の猫になり、浦風くんはしばらくして
	代わりに生まれたての子猫2匹を飼いだした。それが1年ほど前のことで、お互いそれですっかり馴染んで
	いるが、喜八郎は未だに外などで浦風くんに会うと、私へと同じ様な態度ですり寄っていく。ということは、
	前の飼い主である彼のことを忘れていないということだろう。

	……別にそれでも構わないが、「猫は3年飼っても3日で恩を忘れる」のではなかったか? ましてやアノ
	喜八郎なのに。そんな風に思うことが、なくもない。



	

久々の犬猫話は、34年編でした。 大学生な滝は喜八郎猫としろ犬、訳アリ高校生藤内は作法1年猫の飼い主さんです。 滝→藤内の呼び方が一番悩んだ。って、どうなんでしょうね 2009.9.9