壱 しんべヱ
忍術学園を卒業して、実家の福富屋に戻ったばかりの頃。きり丸が、若くて綺麗な女のお客さんを連れて来た。
その人は薬師さんをしていて、幾つかの薬種の仕入れを依頼しに来たのだけれど、頼まれたのは、薬にはあまり
詳しくは無い僕でも名前だけで解るようなもので、そんなに高価でも珍しいものでもなかった。だから、何故
わざわざきり丸に仲介してもらって福富屋まで来たのかと訊ねてみたら、
「一般の薬種問屋でも扱ってはいるけれど、普通は一度にそんなに大量に使わないもので、毒薬の材料にも
なるものだから、福富屋さん……というより、貴方個人に依頼したくて、きり丸に頼んだの」
という答えが返ってきた。その言葉の意味は、「福富屋」ではなく、十一忍の「商人」への依頼ということで、
まだ殆ど「十一忍」としては動いていなかったし、そもそもきり丸とは、どんな知り合いなのかが気になった。
だけど、依頼人の素姓を詮索する訳にはいかないから、仲介していたきり丸を信頼して、その依頼をひとまず
請けることにした。
「ありがとう。……立派になったね、しんべヱ。留さんが見たら喜びそう」
そう呟きながら、ふんわり笑った依頼人さんの顔には、見覚えがあった。
「気付いた、けど、断定は出来てない。って所か。……バラして良いよな、姉ちゃん?」
僕の反応を見てニヤリと笑ったきり丸から聞いた、謎の依頼人さんの素姓は
「伊作先輩は死んで無くて、ホントは女の人で、今は潮江先輩の奥さんで、お子さんも居る……」
久しぶりに、理解の許容範囲を超えて、目が離れた。そんな僕を見ながら、懐かしそうにクスクス笑う姿は、
確かに善法寺伊作先輩だった。
そしてその後、伊作先輩―いささん―は、定期的に薬種を買ってくれ、逆に依頼すれば薬でも毒でも作ってくれる
という、二重の意味での福富屋のお得意様になった。
弐 団蔵
十一忍絡みで無くても、しんべヱ―というか福富屋―から荷運びを委託されることは珍しくない。だけどその
定期便の依頼は、ちょっと変わっていた。何しろ、そんなに扱いが難しかったり急ぎでもなければ、危険性も
まず無さそうなのに、何故かわざわざ俺に運ぶようにって指名してきたんだ。しかも、届け先の子持ちの若い
女医さんは、見覚えがあるような気がしなくもないけど、別に知り合いじゃなかったし。
そんな風に首を傾げながら、何度目かの配達に行ったある日。荷を降ろしている最中に、いつも留守だった
旦那さんが帰ってきた。
「今帰った」
「おかえりなしゃい、とうさま」
「ああ。伊織、良い子にしていたか?」
「とうさまちがう。おんちゃん、いつもいいこだもん」
何となく、聞き覚えのある声の様な気がするなぁ。とか思いながら、降ろした荷を受け取るのを中断して
旦那さんを出迎えに行った奥さんの方を見ていると
「そうだね。おんちゃんは、お手伝いもしてくれるし、我儘もほとんど言わない良い子だもんねぇ」
「そうか。悪かった」
「……潮江、先輩!?」
5つになる娘の伊織を抱き上げている、不在がちな旦那さんは、元が老け顔な所為で殆ど変わっていない、
潮江文次郎先輩だった。
「団蔵?」
「うん。そう。ほら、少し前から福富屋さんに仕入れをお願いした話はしたでしょう? それで、ここまで
届けてくれているのが、団蔵なんだ」
そんなやり取りをしながら、昼寝をしていた下の息子の文多を抱き上げ、次の瞬間に文多に掛けていた掛布に
つまづいてつんのめった奥さんの襟首を、とっさに片手で掴んで支えた潮江先輩が、
「お前自身の不運は、いい加減仕方ないにしても、ガキを巻き込むな!」
と怒鳴った所で、何となく奥さんの素姓にも気が付いた。……そういえば、「いささん」で、娘が「伊織」
だもんなぁ。
「……その顔は、いい加減気付いたかな?」
「何だ。まだバレていなかったのか」
体勢を立て直し、俺の方を見てバツが悪そうに笑った奥さんは
「善法寺伊作先輩……の、身内の方ですか?」
「あはは。本人です」
やっぱりか。道理で、しんべヱも何か微妙な顔して依頼してきたし、元々の知り合いらしいきり丸が、思い切り
ニヤニヤ笑いしてたわけだ。
「一応、他の人には黙っててね。同期と一年下の五人と、左近、きり丸、乱太郎、しんべヱは知ってるから
話してもいいけど」
ざっくりと事情を聞かせてもらった後、そう釘を刺されたけど、ご本人を前にしない限り絶対に信じてもらえない
だろうから、誰にも話しませんって。
「その内、十一忍の中で潮江家と付き合いのある連中書かないとなぁ」
とは思っていて、何となく団蔵編の父娘のやりとりが浮かんだのを期に、書いてみました。
もしかすると、他の面子も増える……かも?
2010.6.6
苺の花言葉「幸福な家庭」
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