「そろそろ後継者を育てた方が良いと考えているから」
	というわけで、新野先生から忍術学園に校医として残らないかと打診があった時。僕は始め、それを
	断った。僕は6年間ずっと保健委員を勤めていたわけではないし、あらゆる意味で1年下の猪名寺
	乱太郎の方が向いていると思ったのが理由だけど、乱太郎にその話をしたら、
	「私はやはり忍になりたいから」
	「先輩は案外向いていると思います」
	などと返された。それで、一応進路希望の1つに入れておいて他も考え、結局校医になることを
	選んだのが2年前のこと。

	現在校医見習い2年目の僕―川西左近(17)―は、仕事にも「先生」と呼ばれることにも慣れは
	したけど、まだ自分1人で医務室を預かるのは不安なひよっこでしかない。それなのに、
	「所用で10日程留守にします」
	と新野先生から聞かされたのは3日前。


	乱太郎や、僕が2年当時の委員長だった善法寺先輩のような、「医務室の主」って感じの生徒が
	いれば、新野先生がいらっしゃらなくても大抵の事態には対処できるだろうけど、今はそこまでの
	生徒は居ない。だから、腑甲斐ないと思いつつそう訴えると
	「大丈夫です。大変強力で、頼りになる助っ人の方を依頼しました」
	と返された。

	数刻前。新野先生が出立なさる少し前に、その「助っ人」さんが到着して、簡単な紹介を受けた時。
	その人のどの辺りが「強力で頼りになる」のかが、僕には全く解らなかった。てっきり新野先生の
	旧知のお医者様か何かで、そうすると先生と同年代のご年配の男性だろうと思っていたのに、その
	人はどう見ても僕より少し年上程度の、若い女性だった。

	新野先生に依れば、知人の医師のお嬢さんで、実務経験は長く腕は確かで、度胸も愛嬌も充分にある
	とのことで、それは確かに、この数刻の間に医務室を訪れた生徒の手当てなどを見ていて解りはした。
	しかも、僕が一通り説明しただけの薬棚の配置も、すぐに覚えて把握する程記憶力も良かった。

	というか、薬棚の配置も学園内の各場所や、更には僕自身のことも知っているような気がしたのは、
	おそらく僕の気の所為では無いと思う。


						××


	「新野先生がお留守の間、川西先生のお手伝いを頼まれの。よろしくね」

	保健委員の下級生達に向けたその笑顔には、多分見覚えがある。手当の手際の良さも、嬉々として
	薬の効能を説明する様も、医務室から食堂に向かう途中で3度も生徒の掘った穴に落ちた不運っぷり
	も、何となく懐かしく感じた。「しおえ いさぎ」という名前にも、物凄い引っ掛かりを覚える。

	でも、それでも、忍術学園に入学してから8年間で養われた目が、化粧で誤魔化されている分を差し
	引いても、「彼女は間違いなく女性だ」と判断している。それに声も、作った声ではない、自然で
	柔らかな女性の声に聞こえる。だから彼女は僕の先輩だった「彼」ではない筈だけれども、6年前の
	僕には、そこまでの判断は出来なかった。つまり、前提条件が間違っている可能性もある。そんな
	考えがよぎる位、彼女―潮江潔さん―はかの善法寺先輩と、とても良く似ていた。


	意を決してその辺りを訊ねることが出来たのは、2日目の午後の授業が始まったばかりのヒマな
	時間帯だった。


	「あの、突然ですが、弟さんっていらっしゃいますか?」

	もう一つ、何となく訊けないでいることがあったので、この時点の僕は彼女の年齢も知らなかった。

	「母親が違う弟は居るらしいけど、会ったことはないわね」
	「その弟さんのご年齢は…」

	突然の質問なのに、彼女の答えは訊かれることを予想していたかのようにハッキリとしていた。

	「3つ下の筈だから、川西先生の1歳上かな。ちなみに私は夫と同い年です」

	チラリと僕を見て笑った目には、「解ってて確かめようとしなかったんでしょ?」と書いてあるような
	気がした。……やっぱり、潮江文次郎先輩の奥方だって意味だろうな、コレは。

	「それでは、同い年のお兄さんは……」
	「双児の兄が居たみたい。…でも、生まれて直に亡くなったらしいから」

	此方の意図は完全に読まれている。それが感じ取れる答え方だった。

	「……『善法寺伊作』の名に聞き覚えは?」
	「それはもう、思いっきり」

	夫の友人だったのだから話は聞いている。という意味でないことは、妙齢の女性にはあまり似合わない
	口調と、見覚えのある含み笑いに如実に表わされていた。


	「…もうちょっと早く気付くか、疑問を持って訊いて来てくれるかなぁって思ってたんだけど、案外
	 かかったね。ああ、でも、気付いてはいたけど認めたくなかった口かな?」

	一つ咳払いをした彼女が、低く作って出した声は、6年前の記憶よりは少しだけ高かったけれど、
	それでも同一人物であることを示すには、充分な効力を発揮した。

	「何となく、すごく長くてややこしそうな気がするので、事情は訊きません。その代り、1つだけ
	 訊かせてもらいます。……伊作先輩は本当は女性で、今は潮江先輩とご結婚されているんですね?」
	「それ、まとめてはいるけど質問2つじゃない? まぁ、でも、両方正解。諸事情により男子として
	 忍術学園に入学して、自主退学後は女に戻って、文次の妻と医者をやってるんだ。あと、出来れば
	 念のため『伊作先輩』はやめてもらえるかな?」

	何を警戒して「伊作先輩」がダメなのかは解るから、「いさ先輩」に呼び変えればいいかな。それに
	しても、何故だろう。「実は女性だった」ことよりも「潮江先輩の妻」なことの方が、格段に衝撃が
	大きくて信じがたい気がする。

	「……。いつから付き合ってらしたんですか?」
	「えっと、君達が入学してくる2〜3か月前位かな」

	……訊くんじゃなかった。卒業後よりも、在学中の方が可能性が高いことは、薄々解っていたけど、
	まさかアノ潮江先輩に限って有り得ないと思ったのが間違いだったか。そういう意味でではない筈
	だけど、いさ先輩に憧れてた時期もあるから、より一層信じたくないのかもな。

	「まぁ、学内では気取られないように、完全に友人関係を保ってたから、殆どバレてない筈だけど」

	あー、いや、そうでもないように思えてきたんですけど。今思うと、あの当時の潮江先輩のいさ先輩に
	対する態度って、「好きな子ほどいじめたい」とか、「照れ隠しで理不尽な行動になる」みたいな感じ
	だった気が、しなくもないんですが。

	「あははー。ソレ、実は別の人にも指摘されたことあるんだよねぇ。しかも、何人かに。でも、大抵
	 その後に『片想いだと思っていましたが』ってつくの。…昔っから、変に不器用で愛想なしだった
	 から。今もねぇ、もうちょっと表情崩せば、子供達に泣かれることもないのにな」
	「…泣かれるって、近所のお子さんにですか?」

	まだ10代半ばだった6年前から、隈が酷くて強面だったんですから、無理もないと思いますが。

	「ううん。実の子に。よその子ならね、『恐いおじさんだって思われちゃってるみたいだね』で済む
	 けど、流石に自分の子供に、帰ってくるたび大泣きされるのはちょっとねぇ」
	「お子さんいらっしゃるんですか!? いくつくらいの??」

	父親相手に人見知りして泣くってことは、まだだいぶ小さいのだとは思うけど、それもまた何だか
	信じたくないような。

	「2人居て、上が5つの女の子で、下はまだ1つの男の子。家を空け過ぎで顔を忘れられてるのか、
	 帰ってくるたびに下の子が、顔を見ては大泣きするんだ」

	先輩方が卒業されて6年で、5歳の子って……ああ、うん。考えるのも訊くのもやめよう。絶対に
	聞きたくない答えが返ってくるに決まっている。

	「えーと、それじゃあ、今はお子さんたちはご実家に預けていらっしゃるんですか?」
	「ううん。きり丸に。きり丸というか土井先生のお宅なら、学園からそんなに遠くないから、何か
	 あった時にはすぐ駆けつけられるし、お休みの日に顔を見にも行けるからね」

	卒業とほぼ同時にきり丸は土井先生の養子になったので、新野先生から土井先生、土井先生から
	きり丸経由で子守の依頼をして、その上でいさ先輩に今回の話を持ち掛けたのだろうと僕は解釈
	したが、後で聞いた話によるときり丸は、以前のバイト中にいさ先輩と顔を合わせたことがあり、
	それ以来付き合いがあったのだという。

	「次のお休みに顔を出すつもりだけど、左近も一緒に来る?」
	「良いんですか?」

	その誘いにはとても心惹かれた。けれど結局この次の休日には、僕は先輩方のお子さんと会うことは
	出来なかった。




	忍術学園に思わぬ来客があったのは、この3日後。休日の2日前のことだった。


	「何しに来たの?」

	約半月ぶり―らしい―に顔を合わせた妻の第一声がコレは、流石に酷いと思う。けれど、わざわざ
	学園まで来てこう言われても、当の潮江先輩は特に嫌な顔もせずに理由を話しだした。

	「忍務が予定より早く済んだんだが、俺だけじゃ、患者に来られてもどうしようもねえから」
	「そうだね。子供達はきり丸に預けてあるから、会いに行く?」

	いさ先輩は自宅で診療所を開いていて、潮江先輩はいさ先輩が作った薬の行商で家を離れがちという
	設定にしてあるらしい。だから、今回の依頼で留守の間は、知人の見舞いに出掛けているということ
	にして、その旨を書いた張り紙はしてきたけれど、潮江先輩だけでも戻ったのなら、ある程度の薬位
	なら出してもらえるのではないか。と解釈した患者が訪れたりなどして困ったのだという。
	
	「俺1人じゃ、大泣きされんのがオチだろ」
	「そろそろ馴れて欲しいんだけどねぇ。それじゃ、今日はもう遅いから、明日一緒に行こうか。今夜
	 一晩泊まれるように手配して、明日は外泊出すから、昼間は後輩達でも看てあげてればいいんじゃ
	 ないかな?」

	お子さんが居る事も、下の1歳の息子さんが、潮江先輩の顔を見ては泣くことも、3日前に聞いた。
	だから驚いたのは、いさ先輩が当然のように自分が使っている空き部屋に、潮江先輩も泊められる
	ように事務に申請を出しに行ったことにだった。
	何故かというと、実際は実戦経験もある元生徒であっても、表向きは「一般の女性」なのだから、
	念の為くのいち教室の山本シナ先生と、一時的に同室になる形で寝起きすることを提案された際、
	「他人の気配があると眠れないので」
	とそれを固辞し、空き部屋を借り受けた夜。不届き者の数人の上級生を返り討ちにした上、その
	生徒達に向かって艶然と笑って忠告したらしい。

	「悪いけど、素人じゃないし、気配には敏感なんだ。……今打った針に塗ってあるのは、速効性が
	 ある分抜けるのも早くて、後遺症も殆どない薬だから安心して。でも、次はないと思っておいて。
	 それと、他の子にもこのことを伝えてくれる? ただでさえ浅い眠りを邪魔されたくないから」

	伊作先輩は学生時代から仕込み針を得物にしていて、不眠症の気があった。だから、この話を聞いて
	確信を得たからこそ、僕は素姓を確かめる決意を決めたわけだ。それなのに、潮江先輩は傍に居ても
	眠れるどころか、
	「久々に熟睡できそう」
	という呟きすら聞こえた。それが僕には、もの凄く意外かつ悔しかった。頭では、「ご夫婦なんだし」
	とか、「そもそも、だから付き合っていたんじゃないか?」などと考えはしたけど、何やら胃の辺り
	がムカムカして、翌日の朝食時から、お二人が揃っている所は見たくなくて避け、お子さん達の顔を
	見に行くのにも同行しなかった。


	自分でも、この感情が何処からくる何なのかはよく解らないけど、とりあえず後日きり丸と会って
	話した時にヤツの言った

	「いさ先輩が幸せなら良いけど、困らせたり泣かせた日には許さない」

	に、賛成だ。どの程度、事情を知っている人間が居るのかは知らないけど、多分その知っている人の
	大半が、同じ意見なんじゃないかと思うがどうだろう?






校医見習い君17歳と、先輩夫婦21歳。 「各学年1人以上、学園に残すか戻って来させよう計画」の2年を校医の川西先生にしてみたら、 ふとネタが浮かんだので書いてみました。(地味〜に『落花』本編にも繋がる話かも) 左近→伊作 風味なのは、何故か流れでそうなっただけですが、恋愛感情というよりは憧れ寄りだと思います。 「憧れていた知り合いのお姉さんの結婚に対するショック」てな感じですかね? 曼珠沙華=ヒガンバナ:花言葉「再会」(※他に花言葉が「再会」なのが見つからなかっただけです) 花名なのは『落花』と繋がっているからです 2009.6.6