三重が、
「母さまに会っていただきたい方が居るんです」
と言って閧志を連れて来た時、重雪はようやく
「ああ。この子は私が、初めて母上に『子を授かりなさい』と言われたのと、同じ年になるのね」
と気が付いた。
しかし、成重の
「閧志さんはとても良い方ですけど、三重に結婚はまだ早いですよね」
との言葉を「ええ、そうね」と肯定したのも、おそらくは本音だった。
愛さないと決め、年も、趣味も、クセも、日々の暮らしも、何にも気に留めず突き放していたのに、
「母さまが私を嫌いでも、私は母さまのことが好きで、母さまのことを知りたいです」
と希望を捨てなかった強さは、果たして誰に似たのか。ただ「2人目を産まなければならないから」と
選んだ男が、どこの一族のどんな男だったかは憶えていないが、その父親に似たのだろうか。重華には、
そんなしなやかな強さを持った女は、おそらく居なかった筈。
そこまで考えてから、例え誰に似たのでも誰とも似なかったのでも、三重は自分とは真逆の情に溢れた子に
育ってくれ、あの落ち着いた青年となら、きっと暖かな─重華の女達は違う─家庭を築けるだろう。ならば、
それで良いではないか。そう、心から思えた。
けれど、長年に渡り感情を殺してきた名残で動かない表情筋のため、そんな重雪の内心は誰にも読めず、結局
閧志が仲間達に相談し成重にも探りを入れて「いい加減大丈夫だろう」と判断して改めて挨拶に訪れたのは、
三重が18歳になってしばらく経った頃だった。
その約1年半後に、三重から懐妊を告げられた際、重雪は自分が三重を数字の子とする為に周囲に告げた
「子が出来ない体質」という理由が言霊とならなかったことに心から安堵し、更に生まれた子と接する
三重を羅貫が
「何か母さんを思い出す」
と言っていたと成重から聞いた時。「三重」は「冴」に似たのだと気が付いた。
だからといって、三重を数字の子としたことも、冷遇したことも、その他全ての所業も赦されはしないことは、
重々解っている。それでも、三重に「さえ」の名を与えたことが、三重を重華の楔から解き放つ1つの要素に
なったのだとしたら……。そう思うこと位ならば、許されるのではないだろうか。
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