忍術学園の卒業生でもある教科担当の笹山兵太夫(25)が、2年連続で立て続けに教師として学園に戻ってきた
かつての先輩達に、その理由を訊いてみたのは、単なる好奇心からだった。
「俺は、左近や彦四郎と同じような、いわゆる『次世代育成』で誘われて、国からも許可が下りたからだ。
……初めは、食満先輩にお声が掛かったそうなんだけど、先輩は奥さんの宿の手伝いもあるし、前線から
退く気は無いから。って代わりに俺を推薦して下さったらしい」
兵太夫の問いにそう答えたのは、実技担当として戻ってきたばかりの富松作兵衛(27)で、彼は転職前は
とある城に仕えていた。ちなみに、忍術学園教員採用資格は
”実務経験五年以上の忍であること
尚 事務員・校医・食堂従事者・非常勤講師等はこの限りではない”
となっており、兵太夫自身はこの規定にそうように、卒業のきっかり5年後に城仕えから舞い戻ってきた
口で、「毎年卒業生を一人以上推薦する」という条件で、5年経ったら転職することを前提に就職した
変わり種だったりする。そして、卒業後そのまま学園に残った職員には、校医の川西左近(26)や事務員の
今福彦四郎(25)がおり、2人共「自分達が退職する時に向けて、残ってくれると助かる」と現役職員達に
頼まれたのだという。それと同じように、教員も現在居る者が引退しても水準を落とさない為に、事前に
採って経験を積ませる方向に動き始めた結果が、作兵衛の言う「次世代育成」である。
ということは、去年戻ってきた教科担当の久々知兵助(29)も、同じ理由だろうと兵太夫は解釈したが、
「俺は、右目がイカれて、現役でやって行くのは無理だって言われたから」
という、予想外の答えが返ってきた。
確かに採用資格には、「教科担当の場合は、怪我等で一線を退いた者も可」との註がある。しかし、兵助の
顔には特に目立つ傷も無く、普段の行動にも何の支障も来たしていないので、片目が見えていないようには
到底思えなかった兵太夫が怪訝そうな顔をすると、兵助は
「俺の実力も性格もとてもよく知っていて、おまけに目に欠陥を抱えている医師達の診立てだから、
間違いは無い筈だ」
そう呟いてから、
「俺の目を診たのは、城の医者じゃなくて、お前らも知っている人達だぞ」
と、少し挑発的に笑った。
「え? 新野先生ですか」
「いや。違うだろう兵太夫。新野先生は、目ぇ悪く無いし」
「そうですよねぇ。……目が悪くて、僕らの知り合いってことは、まさか、乱太郎ですか?」
兵太夫と作兵衛に思い付けるのは、忍びから医師に転職した、元不運小僧こと保健委員で近視の猪名寺
乱太郎(25)位しか居なかった。しかし兵助は「半分当たり」と言ってから、意外な人物の名を口にした。
「乱太郎も居たけど、主に診てくれたのはその師匠で雇い主の、潮江先輩の奥方の方だ。……あの人、実は
生まれ付き左目は殆ど見えていないらしい」
「え。嘘」
兵助があえて名を伏せた医師が何者なのかを知っている兵太夫は、俄かに自分の耳を疑った。何しろ
彼女は、かつて性別を偽って忍術学園に6年間在籍していた元先輩で、「元祖不運小僧」と言われて
いたとはいえ、それでも最上級生まで進級出来る程度の実力は持っていたのだ。
「どういうことですか? というか、誰の話を……」
「あのですね、富松先輩…じゃなくて富松先生。乱太郎の転職先で、潮江先輩の奥さんていうのは、実は……」
1人蚊帳の外で首を傾げる作兵衛に、兵太夫が口止めしつつ説明をしている間。兵助は右目の視力を失った
頃の事を思い返していた。
×
3年程前。自国の城に忍び込んだ曲者を追っていた際に、曲者の投げた閃光弾が目の間近で炸裂し、気を
失った。そして、意識が戻った時に何か違和感を感じたが、城の抱える医師は何の問題も無いと判断した。
けれどやはり違和感が拭えなかったので、休暇を取って旧知の医師の元を訊ねてみた所。状況から考えて、
強い光によって、目が焼きついてしまい機能しなくなったようだ。という診断が下された。
「目玉自体には傷がついていなくても、そうやって見えなくなることがあるんだ。もしくは、頭の打ち所に
よっても、目に異常が出ることが、無くはない。だから、君の場合おそらくそのどちらかが原因で間違い
ないと思う。……左目を覆うと何も見えないのは、確かだろう?」
問診と診察といくつかの実験の結果、右目が見えていない事が確認された後。かつて「善法寺伊作」と
名乗っていた医師は、ゆっくりと、言い難そうに説明―と言うよりも説得―を始めた。
「それでね、久々知。とても残酷な宣告だって解っているけど、その症状は一時的なものではなく、君の
視力が回復することは二度と無いし、その目ではもう一線には決して戻れない。確かに、隻眼の剣豪や
武将だけでなく、忍びも居ない訳では無いよ。でも、君には無理だって、私には解る」
忍術学園で5年間先輩後輩として過ごし、尚且つ保健委員として怪我の手当ても幾度となくされ、卒業後も
フリーの忍びとして活躍している彼女の夫―潮江文次郎―の力を借りたことが何度かある為、彼女は現在の
兵助の力量も概ね把握していると思われ、診立てもおそらく間違ってはいない。けれど、今すぐは無理でも
回復訓練や鍛錬次第では、現場復帰できる可能性だってあるのではないか。そう兵助は反論しようとしたが、
それよりも前に、
「片目が見えないということは、視野が狭まるだけでなく、対象との距離や焦点が合わなくなるということ
でもあるんだ。だから例えば手裏剣を当てたり避けたりするのも、自分に見えているものと実際の距離や
位置にはズレが生じるし、もちろん視野が欠けた分、死角も増える。つまりそれらを補って余りある能力
でもない限り、前線に戻るということは、即ち死を意味すると言ってしまっても、過言ではないと思う」
などと具体例を挙げて説き伏せられてしまっては、兵助に反論の余地などなかった。
「……生まれ付きで、慣れていて他の感覚で多少は補えていたって、不都合は生じるんだ。だからこの年に
なってからじゃ、慣れて日常生活を不自由なく送れるようになれば、それだけですごい位なんだよ」
「って、まさか……」
「運が無いのも本当だけど、生まれ付き左目は軽く光を感じられる程度にしか見えていないんだ。だから、
気配と闇にだけは、未だにちょっと強いんだよ」
まるで言い訳でもしているかのような、バツの悪そうな表情で彼女はそう語ったが、兵助はそれでいてあの
程度の能力があったということは、実はかなり凄いのではないか。と、素直に感心した。
そしてその後。学園時代の同期で同じ国に仕えているが他国に潜入捜査中の尾浜勘右衛門や、同盟国に仕える
同じく同期の竹谷八左ヱ門などの口添えで城を辞し、2年以上掛かったとはいえ、驚異の早さで片目が見えて
いないことを、気取られないように振舞えるようになった頃。潮江家とは家族ぐるみで付き合いのある、忍術
学園の教科担当である土井半助の斡旋で忍術学園への再就職の話を持ちかけられ、1年間の研修で特に問題は
無さそうな事が確認され、本採用が決まった。
尚、現在の兵助は、自分の限界は
「前線は無理だろうけど、多少の厄介事ならどうにかなる」
程度だと捉えており、それで今の所特に支障は無い為、旧友や身内と一部の古参職員以外に、彼が目に
問題を抱えていることは知られていなかったりする。
前から考えていた設定を、ようやく出せました。
コレが兵助(と、ついでに作兵衛)の転職理由です。
(ちなみに失明原因の元ネタは榎さんです。と言って解る方は、どれ位居ますかね?)
2010.10.16
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