「学園一の落ちこぼれ学級」と言われながらも、どうにか十一人全員で進級し続け、年々強烈な特性を伸ばし
	つつある友人達に囲まれながら、4度目の夏を迎えたある日。学園中に「二代目不運小僧」だの「医務室の主」
	だのと認識されてる猪名寺乱太郎は悩んでいた。

	何代も前からの平忍者の家系に生まれ、「息子こそは一流の忍に」との親の期待を受けて忍術学園に入学した
	彼は、その期待に応えたかったし、自身もずっとそうなることを夢見て学んで来ていた。けれどその一方で、
	保健委員として他の生徒どころか、時には通りすがりや敵の忍にまで治療を施している内に、人を癒す喜びや
	手応えを覚え、「医療従事者」という進路も頭の片隅をよぎるようになった。
	そんな状況の中、上級生に課される「危険な実習」こと「実戦実習」でとある城に忍び込んだ際、敵方の忍者
	だけでなく、うっかり鉢合わせた下働きまで斬る羽目になった。まずそのことに心を痛め、更に学園に戻って
	そのことを報告すると、「無関係の者に姿を見られた」ことだけを責められ減点された。そのことに、現実を
	突き付けられたような気がして愕然とし、忍びになる自信が無くなってしまったのだという。


	そんな相談を、顔色一つ変えずに実習だけでなく危険なお使いまでこなす、友人の摂津のきり丸にしてみると、
	数日後に

	「良い相談相手を知っているから、夏休み半分くらい明けとけ」

	との答えが返ってきた。


「おじゃましまーす」 「いらっしゃい。まだ何人か患者さん居るから、ちょっと待っててね」 夏休みに入り、きり丸に連れられた乱太郎がやって来たのは、忍術学園から三日程の距離にある城下町の 外れの、診療所も兼ねているらしい家で、訪問相手の素姓もきり丸との関係も、道中ではいくら訊いても 教えてもらえなかったが、どうやら大分親しい相手らしい。 「お茶はね、上から二段目。一番左端のが、貰い物の高価くて美味しいのだよ」 「それもいいけど、久々に姉ちゃんの、アノ奇怪な味のお茶の方が飲みたいかも」 「そう? それじゃ、後で淹れてあげるから待ってて。アレ、適当な淹れ方すると臭い凄いから」 問診や手当の合間に、まるで姉弟のような気易さできり丸と言葉を交わしているのは、妙に若い女医だった。 「今日は旦那は?」 「ちょっと出掛けてるだけだから、夕方までには帰ってくる筈」 親しげに言葉を交わす二人に、置いてきぼりにされて焦れた乱太郎が、素姓や関係を問おうとした瞬間。 部屋の端の方で、何かが動く気配がした。 「お。伊織起きたか」 「あー。きぃにいちゃだ」 もぞもぞと寄ってきたのは幼い子供で、きり丸に抱き上げられて撫でられると、嬉しそうな声を挙げた。 「元気にしてたか? 母ちゃんの手が空くまで、俺らと遊んでような」 「あい」 「良かったねぇ、おんちゃん。…あ、そうだ。患者さんに貰ったお饅頭あるから、分けて食べちゃっていいよ」 口ぶりからするに幼女は女医の子なのだろうが、妙にきり丸に懐いており、勝手知ったる様子で当然のように 棚を漁って饅頭を取り出すきり丸にも、乱太郎は困惑した。その上、きり丸達の素姓を患者の一人が訊くと、 「えっと、義理の弟と、その友人です」 「へぇ。じゃあ、旦那さんの弟かい。似てないねぇ」 「…あははは。そう、ですね」 その女医の答えにも驚いたが、このやりとりを聞いていたきり丸が妙な顔をしたのも、物凄く気になった。 「……姉ちゃん、さっきの」 「うん。ごめんね。だけど、一応身内全員亡くしたことにしてあるから……」 「だったら、せめて従弟くらいにしといて欲しかったな」 ようやく患者が引き、「本日の診療は終了しました」との看板を出した後。約束通り茶を淹れている女に、 きり丸が口を尖らせ抗議した。そんなやり取りを見ながら、未だ困惑している乱太郎は、差し出された妙な 色の茶を一口飲んだ瞬間。その味をとても懐かしく感じ、同時により一層謎が深まった。 「……あのさきり丸。いい加減、詳しい説明してくれる? こちらの方は誰で、君とどういう関係なの?」 「解んない、か。まぁ、仕方ないかもな。意外に変わってるし、先入観があるもんなぁ」 痺れを切らした乱太郎の問いに、きり丸は少し苦笑した。それから改めて女のことを紹介をしようとする前に、 本人がにっこりと笑いながら、声音を変えて呟いた。 「……ほんの三年で忘れられちゃっただなんて、哀しいな」 その声には、明らかに聞き覚えがあるし、妙な味の茶とも繋がる。しかし、それは絶対にあり得ない答えだと 思い、早々に除外した可能性だった。 「え。あの、まさか、本当に伊作先輩、なんですか?」 「うん。久しぶりだね、乱太郎」 よくよく意識して見れば、確かに乱太郎の目の前の若い女性は、かつての先輩とよく似ているし、奇妙な味の 薬草茶は彼がよく作っては後輩などに供していたものと同じ味で、年格好も合致する。けれど三年前に卒業を 目前に控えて事故死した、「元祖不運小僧」こと元保健委員長の善法寺伊作は、男子生徒だった筈である。 「詳しい話は長くなるからかいつまんで話すと、私は女として生まれたけど、男と偽って育てられ、色々あって  今は女に戻って、こうして町医者としてこの町で暮らしているんだ」 俄かには信じ難い話だが、実際目の当たりにしている状況が、それが事実なのだろうことを示している以上、 信じる他手はない。 「きりちゃんは、いつから知っていたの?」 「二年の秋。たまたまバイトでこの町に来た時に逢って、そん時から」 「その時にね、『ここを第二の家にして、お姉ちゃんって呼んでいいよ』って言ったんだ」 言われてみれば、二年時の秋休みにきり丸は遠方でのアルバイトをしており、やけに上機嫌で帰ってきたような 覚えがあった。 「へぇ、そうなんですか。…ああ。それでさっき」 「あ〜、いや、そこじゃなくて……」 きり丸が、「複雑な気持ち」について乱太郎にどう理由を説明したものか考えていると、 「今帰った。……客か? って、ああ。奴らが来てんのか」 ちょうどよく原因が帰宅してきた。 「お帰りー」 「ちーっす。しばらくお邪魔します」 「!? え。うそ。潮江先輩、が、旦那さん!?」 おそらく伊作が女性だった事実よりも驚いた乱太郎に、帰宅するなり叫ばれた文次郎は、気にも留めずに 手にしていた籠を伊作に渡した。 「うわぁ。一杯採って来てくれたんだね、ありがとう」 どうやら今日の文次郎は、伊作に頼まれて薬草採取をしていたらしい。 「これで足りるか?」 「うん。充分過ぎるくらいだよ。しかも、これとか頼んで無い奴だよね。割と貴重な奴だから助かるけど…」 「たまたま見つけただけだ」 「……手、見せて。ああ、もう。やっぱり傷まみれになってる。無理して採ってきてくれなくてもいいのに」 「別に。無理はしてねぇよ」 「ああそう。これ、岩場にしか生えないやつなのに?」 まるで学園時代のやり取りのようで、何故かその何倍もむず痒い空気が漂う中で、乱太郎は伊織をあやしている きり丸に話しかけた。 「きりちゃんが嫌だったのって、潮江先輩の弟だって思われること?」 「あー、まぁ、そんな所だな」 「ところで、何で伊織ちゃんは、きりちゃんにしがみ付いてるの?」 実は文次郎が帰ってきた時から、伊織は何故かきり丸の背中に張り付いていて、父親であるはずの文次郎に 近寄ろうとしていなかった。 「おんちゃん、何かお父さん苦手なんだよねぇ。…ほら、おいで。お父さんに『お帰りなさい』言おうね」 どうやら文次郎に薬を塗り終えたらしき伊作が、きり丸から伊織を受取って文次郎の方を向かせたが、 その途端に伊織は、顔を伏せて伊作に抱きついた。 「う〜ん。まだお顔怖いのかな? でも、お父さん嫌いじゃないよね? だったら、『お帰りなさい』は  言おう? でないと、お父さん拗ねちゃうよ」 「拗ねねぇよ!」 「えー。こないだ大泣きされた時は、こっそり夜中に凹んでたよね?」 「……。何か、すごく奇妙な光景に見えるのは、私だけかなぁ?」 「いや。俺も結構変だと思う。でもほら、アノ人達だし」 家を空けていることが多く、顔が怖くて、子供の扱いが苦手な為、文次郎は実の娘にまで人見知りされている ようなのだが、伊作は一向に気にせずに笑って受け流しているだけで、口調も男子学生時代とあまり変わって いない辺りがより一層奇妙だった。しかも、伊織が顔は上げずに伊作にしがみついたまま、それでもどうにか 「おかえいしゃい」 と言った瞬間。一瞬だけ文次郎の顔がゆるんだように見えたのを、周りの三人は見逃がさなかった。 「はい。よく言えました。それじゃ、今からご飯作るから、きり丸と乱太郎は伊織看ててくれる?」 「あ、はい。食事の支度手伝いましょうか?」 「ううん。平気だよ。何か食べたいものはある?」 微笑みかけて褒めてから伊織をきり丸に託し、乱太郎の手伝いの申し出を断った伊作は、台所に降りようと して転びかけた。間一髪で文次郎がその腕を取って支え、同時に以前と同じ様に怒鳴り飛ばしたが、その 内容に四年生二人は驚いた。 「テメェは無茶しないで、その辺座って伊織でも看てろ! 飯は俺が作る」 「だからぁ、妊娠は病気じゃないし、こないだの子は無茶をしたからとかじゃなくて、そもそも生まれて  くるのに適さないような卵だったから自然に流れたんだって、何度も言ってるでしょ!」 「姉ちゃん、子供流れたのか?」 「ああ、うん。半月くらい前にね」 「だったら、言ってくれれば……」 「別に、本当に大したことじゃないから気にしないで。そりゃ、出血や何かはあったから、居合わせたら  驚いて心配してくれるのは解るけど、自然淘汰で流産しただけだから寝込むほどでもなく大丈夫。って、  再三言ってるのに心配し過ぎなんだ」 どうも伊織の産前産後に、鬱も相まって心身共に弱り切っていた伊作を独りにしてしまっていた。という 負い目から、文次郎は妊娠出産に関して少々過敏になっているらしい。けれども伊作は、元保健委員かつ 己の身体に関することなので、文次郎の何倍もよく状態を解っているため、それを過剰だと言い切った。 伊作と同じく保健委員の乱太郎は、妊娠に気付くか気付かないかの時期に、うまく育たず自然に児が流れて しまうことがあるのは知っていたが、仮にも男として、自分の妻が目の前で流産したとしたら、慌ても心配 もする気持もよく解る。そのため夫婦のどちらに賛同したものか悩んでいると、きり丸が茶化すようにとり なした。 「まぁ、でも、男の方が血とか病気には弱いみたいっスからね。心配されないよかマシでしょ」 「それはそうなんだけど、この時期に自分で薬草採取に行けないのは、ちょっと勿体ない。もう体調も戻って  いて、せっかく色々沢山生えてるのに……」 伊織の産後一か月近く寝込み、実はきり丸に再会した頃ようやく近所を散歩出来る程度に快復したという 前例があるからか、家に居て患者を診る程度なら構わないが、野山や川岸へ散歩がてらの採取は、あまり 良い顔をされないのだという。薬草の中には、時期を逃すと育ち過ぎしまい使えないものや、ありふれた 雑草や花だと思われていても使える部位があるものもあり、それらを全て教え込んで代わりに採取を頼む のは実に面倒だという考えは、乱太郎にもとてもよく理解出来た。 「伊織の時は、色々弱ってたし、予定日より十日近く長いことお腹にいたから、産んだ後の消耗も激しかった  けど、今は本当に元気なのにさぁ」 「……でも、反対を押し切ってまで自分で行ったりは、してないんですね」 文次郎に代わりに採取を頼んだということは、文句を言いながらも大人しく家に居るという意味で、以前の 伊作ならば、屁理屈を駆使してでも言い負かして動こうとしていたような気がした乱太郎がポツリと問うと、 照れ笑い混じりの答えが返ってきた。 「表向き私が作った薬の行商ってことにしてある以上、効能や種類を知らないわけにはいかないから色々と  教えたんで、一応任せられないこともないんだ。ただ、自分で行った方が採る量の目安や、品質が見極め  易いから」 学生時代から伊作が作りためた手製の薬草図鑑などを、伊作本人の解説付きで、実物と照らし合わせたりも しながら読み込んだ結果。現在の文次郎は、保健委員の三〜四年生並の知識はあるらしい。 「まぁ、昔から、仙蔵とは違った意味で完璧主義者だったし、融通は利かないけど優秀だったのは事実だけど、  本職の方も名前が売れ始めた頃だから、そっちに力入れて欲しいんだよね」 伊作のその言葉が、暗に 「心配してくれるのは悪い気はしないが、いい加減忍仕事を入れろ」 と言っているように、四年生2人には聞こえた。そして同時にきり丸は、あることに気が付いた。 「……姉ちゃん。乱太郎の相談に乗る話請けたのって、もしかしてついでに此処手伝わす気だった。ってのも  あったりする?」 四年間忍術学園で保健委員を務め、その内の一年間は自分が直々に仕込んだからには、乱太郎が相当使える 人材である事を伊作は解っているので、進路相談にかこつけて助手として呼んだのではないか。ときり丸が 疑いの目を向けると、伊作は少し心外そうな顔をした。 「そういうつもりが、全く無かったとは言わないよ。でもそれはあくまでも『もしも手伝ってくれる気が  あるならば』って程度。町医者なんて急患も重傷者も滅多に来ないから、忍術学園の医務室よりヒマで、  普段は一人で充分やって行けるもの」 裏で知人の忍び―文次郎や留三郎など―の治療や、効能の強い傷薬や毒薬の精製もしてはいるが、それでも 基本的には一人で切り盛り出来る程度なのだという。 「僕の場合は、端から忍びになるわけにはいかなかったから、参考になるかは解らないけど、とりあえず  相談に乗ることと、町医者の日常を見せてあげることくらいは出来る筈だから」 翌日。きり丸をバイトに送り出し、伊織を文次郎に任せ―「頑張って慣れてね」と言って託したが、その 手付きは相当危なげだった―、診療所を開く前に伊作は乱太郎にこう声をかけた。昨夜は、伊織を寝かし つけながら伊作も眠ってしまったため、あまり話が聞けなかったのだ。 「先輩は、もしも性別を偽っていなかったら、医師と忍びのどちらを選んでいたと思いますか?」 「う〜ん。女として生きてたら、そもそも忍術学園にやられはしなかっただろうし、男に生まれていたら、  入学はさせられていても、保健委員になって無かったかも」 患者が引いてヒマな時間帯に、置き薬の調合をしながら乱太郎が問うと、伊作からは意外な答えが返ってきた。 「そもそも、性別を隠す為に自分で大抵の治療が出来るように。っていうのと、新野先生のお傍に居た方が  誤魔化すのに協力して貰いやすかったから。っていうのが、保健委員会を選んだ主な理由なんだよね」 「そうだったんですか」 「うん。極めようと思ったのは、体力や筋力では絶対に敵わないようになるのは解り切っていたから、何か  特化したことがあった方がいいかな。って考えたのと、ただの性分。意外に凝り性だから、これでも」 たったそれだけの理由で、あそこまでの知識と技術を身に付けたのは見事だと乱太郎は感じた。 「あと、自分には家族が居ないけど、代わりに周りの友達や君達みたいな後輩のことが大事で、失いたくない。  って思った時に、他の人にもそういう大事な相手が居るんだってことに気付いて、そしたらその見知らぬ  誰かを悲しませたくなくて、それでついつい治療しちゃってたんだよね」 かつて、目の前に対峙している相手が、有象無象の雑兵や忍者である以前に、一個人であると気付いて しまった瞬間。伊作も人を傷つけることが恐くなったことがあるのだと聞いて、乱太郎は心のつかえが 取れたような気がした。 「別に過去の自分を肯定したいわけじゃないし、君にそうなって欲しいわけでもないけれど、もしも一切の  損得抜きに、『命』を優先するような奇妙な忍びが居て、そんな忍びと戦場で行き逢ったことで、大切な  人が無事に戻ってくることが出来たなら、私はその相手に一生感謝すると思う。……ただ戦場に於いては、  一思いに殺してあげることも、時には慈悲だよ」 優しく微笑みながら、己の悩みに対する一つの答えを与えた伊作の付け加えた言葉に、乱太郎は彼女なりの 覚悟を垣間見た。そこを割り切ることが出来たからこそ、伊作はきちんと六年間忍術学園の生徒でい続ける ことが出来たのだろう。 「ありがとうございます。まだ答えは出せそうには無いですけど、肝に銘じておきます。……それで、えっと、  こんな事言ったら失礼かもしれませんが、何だかんだ言っても、ちゃんと『奥さん』なんですね、伊作先輩」 おそらく無意識で、自然に夫を想う様な言葉を口にしたことを、乱太郎が羨ましそうに指摘すると、伊作は 少し驚いた顔を見せてから苦笑した。 「う〜ん。いや、『妻』というよりは『母親』として、かな。伊織が出来て初めて『生きたい』って自分から  思えるようになったし、今の所文次も留さんも仙蔵達も、きり丸や君も、多分同じ位大事だから」 後からきり丸に聞いたところ、「色々複雑なんだよ、あの人達」という、よく解らない答えが返ってきた。 それでも、解らなくても、乱太郎は伊作の変化を好ましく感じるし、憧れで目標で拠り所とすることに、 こっそり決めた。 「また悩んだら、いつでもおいで。いくらでも相談に乗るし、出来得る限りの協力はするよ」 そう言って穏やかに微笑う伊作の笑顔を守れるよう、如何なる道を選ぶにしても、彼女に誇れる人間になろう。 その決意こそが、乱太郎がこの訪問で得られた、最大の収穫だった。
四年生と18歳夫婦と2歳児。 旦那より義弟との方がらぶらぶ(笑)ですが、ちょっと過保護な潮江さんを書くのは楽しかったです。 さぁて。これで信者何人目かなぁ、この人 一応進路シリーズ第一段のつもりなのに、進路相談的な部分が少なくてスイマセン。 ただ、乱太郎の場合はもう1回転機がありますんで…… 2009.9.16 天竺葵=ゼラニウム:花言葉『尊敬と信頼』