僕の名前は、時友四郎兵衛といいます。今年17歳で、お世話になっている家はちょっと特殊だけど、僕自身は
一介の、単なる高校生だと思っています。
お世話になっているのは、「七松組」というヤクザのお家で、3歳の時に六代目の小平太さんに拾われました。
それだけ小さい頃のことなので、拾われた理由も、本当の家族がどこの誰なのかも、何で七松組で育てられる
ことになったのかも、何年か前まで知りませんでした。それでも保育園位の頃に、小平太さんを「お父さん」と
呼んだら「若」、住み込みの家政夫さんで実質的に僕を育ててくれた平滝夜叉丸さんを「お母さん」と呼んだら
「滝さん」だと訂正された覚えはありますし、「ぱぱ」「まま」と呼んでいた人達のことが、うっすらとだけど
記憶の奥底に残ってもいます。
そのおぼろげな記憶によれば、「ぱぱ」は何だかいつも不機嫌で、「まま」や時々僕のことも殴る人。「まま」は、
「ぱぱ」に殴られながら謝っているか、僕を抱きしめて泣いている人でした。後から教えてもらった話によれば、
14年前に、夫の家庭内暴力に耐えかねて無理心中を図った妻が、幼い息子を巻き込むことだけは思い止まった。
という事件があって、その生き残りの子供というのが僕なんだそうです。
えっと、それで、ちょっとズレたんで戻すと、若も滝さんも僕の親じゃないけど、可愛がって大事に育ててくれて
いて、通りすがりの見知らぬ人に親子に間違われても否定はしなくて、更に若のお父さん―つまり七松組の五代目
組長さん―が
「祖父ちゃんと呼べ」
と宣言して呼ばせている上に、
「何で実の孫の俺より、しろにばっか甘いんだ?」
と、若のお姉さんの息子なハチさんに言われる位に可愛がってくれていることもあって、僕は拾われたばかりの
頃から、「七松組の子」だと、周りに思われています。それでも小さい頃の僕は、幽かに残る実の親の記憶から
暴力を彷彿とさせるものが苦手だったので、「笑う赤鬼」の異名を持つ暴走族の総長だったハチさんや、まだ
ちょっと喧嘩っ早かった若が、怪我をしたり返り血を浴びてきては滝さんにこっぴどく叱られて―静かにキレて
いる滝さんが、実は一番怖かったのは内緒です―いましたし、色んないわゆる「ヤクザ」なことからは遠ざけて
育てられ、若もお祖父ちゃんもその他の七松組の幹部の人達も、僕を若の息子=七代目にするつもりは無かった
らしく、色々と裏技を使って書類上は「ただの七松家の居候」ということになっていたので、事情も意図も全部
聞かせてもらって、僕自身の意思で七松の人間になることを選んだのは、15歳の時のことでした。
だから今の僕は、実は一応若の息子で、お祖父ちゃんの孫。ということに、書類上はなっていたりします。
――という話を、何故したのかというと、僕が通っている高校―県立第三工業高校(通称「三工」)といいます―は、
殆どの生徒の卒業後の進路は就職だけど、進学する生徒も少しは居るので、3年生は進学クラス(1組だけ)と
就職クラス(他の全クラス)に分かれるので、2年の時にひとまず進路希望を出さなきゃいけなくて、僕も一応
若と進路を相談しようとしたんですが、そもそも高校に進学したのは若に
「とりあえず、『高校くらいは出とけ』って俺も言われたから」
と言われたからで、三工を選んだのは通える距離にある高校の中では、一番向いているような気がしたからです。
そして若も三工のOBなので、2年の内に仮のとはいえ進路希望を出さないといけないことは知っていて、若は
中学時代には既に家―七松組―を継ぐことを決めていたので迷わず就職組だったそうですが、僕には
「しろの好きにしていいからな」
と、15歳の誕生日に養子縁組をした時から、ずっと言ってくれています。
その「好きにしていい」には、就職でも進学でも構わないだけで無く、今後七松組に関わろうが関わるまいが
構わない。という意味も含まれていて、
「ウチの組は、俺の代で解散させてもいい。って風に、親父と話付いてるから」
とまで言われてしまったので、正直どうしたらいいのか迷っているからなんです。
選択肢は、大きく分けて4つあります。まず、卒業までに身の振り方をちゃんと考えることにして、ひとまず
何か役に立ちそうな資格や知識の身に付きそうな大学に進学する。それから、七松組系列の会社やお店―次屋
建設や、風俗店が幾つかと、実は駅前のゲームセンターやパチンコ店もそうらしいです―に就職する。もしくは
七松組と無関係の所に就職する。そして、やりたいことが見つかるまで、フリーターとして色々経験を積む。
この中で、4つ目のフリーターの道は、できればあまり選びたくありません。そして3つ目の七松組と無関係の
所に就職する場合以外は、いずれ七松組を継ぐ路線になるような気がしますが、向いているとは到底思えません。
それでも七松組から離れたくない位には、僕は七松組の人達が好きで、尊敬もしています。
だから今度は金吾兄ちゃんや滝さんにも相談してみたら、
「俺は、インテリやくざっぽいけど高卒で、中坊の頃から若に『高校出たらウチに来い』って誘われてて入った
口なんで、ほとんど参考にはなんないだろうが、若の代で七松組を解散させた場合には、下の連中を説得して
まとめるのは俺の役目だろうし、お前が若の跡を継いだ場合は支える為に引き込まれたんだろうと思っている。
だから、本当にどんな道を選ぼうが、敵対さえしなきゃ平気な筈だ。……ただまぁ、俺個人の見解としては、
お前がヤクザに向いてないのは事実だと思うけどな」
そんな風に金吾兄ちゃんには言われ、滝さんには
「私が大学まで行かせていただいたのは、万一七松組が解散することになったとしても、何かしらの商売でも
始められるように、経営や金融の知識を身に着けて来い。との意図があったのだそうだ。……どうも若は、
どういった方向転んでも、私と食満先生を参謀役に、金吾辺りを調整役にするおつもりのようでな。お前が
どのような道を選んでも対応はできる筈だし、『しろには何も強制するなよ』と、若手は言われてるようだ」
みたいなことを教えてもらいました。後から詳しく聞いた話によると、お祖父ちゃんも若に
「俺で終いにしようが問題はねぇから、別に跡継げとは強制しねえよ」
みたいなことを言ったことがあるそうで、厚着さんや戸部さんみたいな幹部の人達も、一応足を洗う覚悟は
したことがあるらしいです。
「私も金吾も若も、ある程度決められてはいたが、最終的に今の道を選んだのは自分自身だ。だから四郎兵衛。
お前も、自分で考えて、自分の道を進め。お前はもう、親に捨てられ、若に拾われた頃の幼児のままではない
だろう?」
滝さんにそう言われてから、僕にはどんなことが向いていて、僕は何をしたいか、僕なりに色々考えている時に、
いつだか聞いた、ある事を思い出しました。
「若。僕、進路決めました。……前に、ウチのシマのお店で働くお姉さんとかの子を預かる、深夜営業か24時間の
保育所を作る話してましたよね。それを実現したいです。だから、短大か専門学校に行って保育士資格を取って
きますから、僕が卒業するまでにどうにか形にして下さい。3年あれば、何とかなりますよね?」
僕は、ヤクザにも水商売にも向いていません。だけど 何らかの形で七松組の力になりたいと思っているのは、
育ててくれた恩義とは別の、僕自身の希望です。そして若は、僕や滝さんの家庭のことも関係しているのかは
解りませんが、子供を傷つけたりないがしろにする親が嫌いなようで、子供を家に残して働いているシングル
マザーなどの為に、夜の街に託児所を作ろうかな。と、滝さん達と話していたのを聞いたことがあるのを思い
出し、僕もその考えには賛成ですし、意外と色んな事が見えそうな、それ位の立ち位置が僕には向いている気が
したのと、一応「息子」なので、1回位ちょっと挑戦的な我儘みたいな要求をしてみてもいいかなぁ。と思って
言ってみた所、若もお祖父ちゃんも快諾してくれて、滝さんや食満先生や金吾兄ちゃん達も、力になってくれる
約束をしてくれました。
そんなわけで、ひとまず進路希望は「進学」で出すことになりましたが、
「その後七松組を継ぐのかどうかは、これから考えるのか?」
と、一応訊かれました。でも、
「若も、お祖父ちゃん位の年まで引退されないでしょう? だったら、若に実のお子さんが出来てるかも
しれませんし、僕の子とか、いっそ金吾兄ちゃんやそのお子さんでもよくないですか? 七代目」
若は今30代半ばで、お祖父ちゃんは確か70過ぎなので、若の次に代替わりするのは3〜40年先の話になるとすると、
その頃には僕も4〜50代になっている筈なので、もう一世代下でも良い気がするんですよね。だから僕は、裏方に
徹し続けることにします。僕は、立場的にも性格的にも、多分縁の下の力持ちの方があっているんです。
それで、問題ありませんよね?
五万打記念企画リクで書いたんですが、「親子話」との指定だったのに親子話とは言い難かったので、
書きなおすことにして、コレはコレで単独で挙げときます。
相変わらず、何書きたいんだか解りにくいよ自分
2010.4.20
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