今日も今日とて、忍術学園の学園長大川平次渦正は、いきなり思い付いた。

	「忍びたるもの、いかなる状況でも臨機応変に対応し、その場に溶け込めねばならん! ということで、
	 各委員会の委員長及び委員長代理を入れ替えじゃ☆」

	そんなわけで、口頭での軽い引継ぎ程度しか準備も出来ぬまま、その日の放課後から三日間の入れ替えが
	決行された。



						♯○



	作法委員長立花仙蔵は、普段から図書室の常連で、本来の図書委員長中在家長次と親しく、実は下級生時代に
	図書委員の経験もある。
	しかも図書委員会は、唯一56年の両方が揃っている委員会で、下級生も比較的マトモな者が多い。

	そんなわけで、返却や貸出作業の合間に、後輩達にお薦めの火薬関連や作法に関する本を教えたり、逆に
	面白そうな読み物のお薦めを訊いてみたりと、双方にとって実に有益な時間を過ごすことができたという。

(作法→図書)

♯○ 用具委員会に割り振られた図書委員長の中在家長次は、顔も雰囲気も何となく怖く、無口である。 ということで、想像力―というか妄想力―豊かな3年の富松作兵衛や、普段あまり上級生と関わりの 無い1年ろ組の下坂部平太は少々身構え一歩引いていたが、残る2人の1年生は、は組の中でも特に 警戒心が薄く能天気な福富しんべヱと山村喜三太だったため、臆することなく接していた。 けれど、遠巻きに様子を窺いつつ、留三郎に指示された物の修理や手入れなどをしている内に、口数は 少なく威圧感はあるが、長次が器用で作業が丁寧なことや、重い物や高い所の物はさりげなく代わりに 取ったり持ってくれ、解らないことがあれば訊けば―訊きとり辛いが―ちゃんと教えてくれることなどが 解ってきた平太は、徐々に打ち解けて行き、入れ替え期間が終わる頃には、それなりに懐くまでに至った。 そのことに関して、留三郎がこっそり拗ねていたらしいことは、彼の同期しか知らない。 ……ように見えて、結構バレバレだったとか(笑)

(図書→用具)

♯○ 用具委員会と生物委員会は、 ・1年生の数が多い ・委員長(代理)以外の上級生が3年生しか居ない ・委員長(代理)が若干熱血な兄ちゃん気質 など、活動内容以外の所で共通点が多い。 そんなわけで、生物委員会に出向してきた用具委員長の食満留三郎は、初日は孫兵に委員会の活動内容の 説明を頼んで、それを聞いたり実行しながら後輩達の観察をして大まかな特性を掴み、2日目3日目は、 丁寧に教えながらそれぞれの得意分野に合わせた作業を割り振って飼育小屋やその他道具類の修理や補強を して過ごした。 そして入れ替え期間終了後。色々直っているし、後輩達も簡単な修補なら自力で出来るようになっている しと、留三郎は帰って来た本来の委員長代理の竹谷八左ヱ門に、大いに感謝されまくったという。

(用具→生物)

♯○ 生物委員会から出向してきた竹谷八左ヱ門が、 「なあなあ、学級委員長って、何すればいいんだ?」 と訊くと、1年生2人は顔を見合わせ、 「さあ?」 「何をすれば良いんでしょうね」 と首を傾げ、少し3人で検討しあった結果。 「とりあえず、学園長に訊きに行きましょうか」 という結論に達した。そして、学園長のお使いやら雑務で3日間を過ごした八左ヱ門の感想は、 「単に面子が目立ってるってだけで、実際は火薬より学級の方が、『なにしてんだかわかんない  そんなことでいいんかい』じゃねぇか?」 だった。

(生物→学級)

♯○ 火薬委員会は、委員長代理の久々知兵助が抜けると、下級生と編入生しか残らない。 なので、念の為兵助に業務内容の確認を取りはしたが、そんなことはおくびにも出さずに 「さて、私は何をすればいいのかな?」 と、鉢屋三郎が試しに訊ねてみると、2年の池田三郎次から的確な指示が与えられた。 更に1年の二郭伊助も4年の斉藤タカ丸も、雑談交じりではあるがキッチリ与えられた作業を こなしており、三郎を驚かせた。更に、最終日の3日目に 「意外としっかりしてんだな、ここ」 などと褒め言葉なのかどうかよく解らないことを言うと、三郎次からは 「確かにウチは、下級生ばかりではありますが、久々知先輩がいらっしゃらなくても土井先生が居て、毎日  その日の作業の指示は、先生に貰いに行っています。だから、タカ丸さんやあなたが余計なことをしない  ように見張ってりゃ、大丈夫なんですよ」 との答えが返ってきた。その若干生意気な返し方にカチンと来た三郎が、後で兵助に 「お前、後輩に良い教育してんのな」 と嫌味のつもりで言った所、 「そうだろ。ホントに、良い子なんだアイツらは」 から始まり、延々後輩―タカ丸を除く―自慢を聞かされる羽目になったのだった。

(学級→火薬)

♯○ 火薬委員会から体育委員会に出向してきた久々知兵助が、まず3年以下の後輩達に活動内容を訊いたところ 「えっと、実技のマラソンコースの下見とか。ですよねぇ?」 「他の正しい業務って、何でしたっけ」 「俺に訊かれてもわかんないぞ」 との、実に情けない答えしか返って来なかった。 「実技の授業場所等の下見及び整備。校庭の清掃。他、一部道具類の管理も、本来は我々の管轄の筈なの  ですが……」 改めて解説をした4年の平滝夜叉丸は、若干遠い目をしていた。そんな彼に若干同情しつつ、せめて自分の 居る3日間は、正規のマトモな委員会活動をしようと兵助は思った。けれども、マラソンコースの下見中に 3年の次屋三之助が迷子になったり、校庭で下級生が前からある穴に落ちたり、その他諸々、些細だが慣れ ない身では対処しきれないことが重なり、結局殆ど何の成果も上げられないまま入れ替え期間が終わったが、 滝夜叉丸からすれば、 「実に真っ当で、心休まる3日間だった」 とのことらしい。

(火薬→体育)

♯○ 作法委員会にやって来るのが、体育委員長の七松小平太だと判明した瞬間。 1年生2人は、揃って物凄く嫌そうな顔をして 「げっ。穴掘り2人が揃うってことじゃん」 「僕らじゃ、絶対止められないよね」 などと、ヒソヒソとグチリ始めた。そんな後輩達に、3年の浦風藤内は 「安心しろ。策はある」 と言い聞かせたが、1年生達は「上手くいきっこない」と思っていた。 しかし結果として、彼の策は大成功を収めた。その策というのは―― 「今日は、七松先輩と綾部先輩に、実験をお願いしたいのです。……まずは、校庭に深い穴を掘って下さい。  そして掘った穴はすぐに埋め戻し、また穴を掘って、埋め戻す。それを今日の委員会の時間中繰り返して  いてください」 藤内が初日に用意したのは、とある国の拷問で、 「その無意味な行為によって、精神に異常をきたすそうなのだが、普段から穴を掘りまくっている者にも  辛いのかどうかを、確かめてみたい」 との理由づけがされていた。 2日目は、 「埋葬の作法についてをやりたいので、墓穴を掘ってください」 との名目で、残りの3人で食堂の残飯やゴミなどで死体の人形を作り、ひたすらそれを埋めさせた。 そして最終日の3日目は、 「買い出しに行くので、荷物持ちをお願いします」 ということで、普段だと重くて持ち帰るのが面倒な物などを大量に買いに出掛けた。 そうして入れ替え期間が終了した後。流石にちょっと気分が滅入った小平太が、作法委員長の立花仙蔵に 確認を取ってみた所、全て藤内独自の策であったことが判明した。そして、そのことが瞬く間に学園中に 伝わり、藤内は「意外と末恐ろしい存在かも」などと囁かれるようになったとか……

(体育→作法)

♯○ 一時的に委員長の交換が行われると聞いた時。会計委員会の後輩達は、全員同じことを考えた。 それは 「よし。これで最低でもその間は、徹夜させられることがない」 と 「なるべくマトモな先輩が来ますように」 で、彼らが望んだ通り、会計委員会に割り振られたのは、人としてかなり真っ当かつ、本来の会計委員長 である潮江文次郎ともそんなに対立していない筈の、保健委員長の善法寺伊作だった。 しかも彼は、意外なことに計算が早くかつ正確で、ついでに何故か10kg算盤―代わりの普通のを用意する 前に、気付いたら使っていた―が扱えていた。 それらのことについて、1年生達が「凄いですねぇ」などと感心した声をあげると、苦笑いで 「うん。まぁ、薬擂り潰したり混ぜるのに、結構力居るし、文次に算盤借りるとコレだから、多少慣れてるんだ」 「調合の比率とか、薬種の仕入れ計画でよく暗算するから、これ位の単純計算は簡単だよ。ちなみに、  予算会議で論破されないように、薬種の大体の仕入値は覚えてるから」 等の答えが返ってきた。更に、それらは後輩達も同じなのかと訊いた所 「いや。それはまだ無理かな。……伊達に、6年不運委員を務めてるわけじゃないからね」 そう答えた伊作の笑みがちょっと怖かった。と思ったのは、1年生達だけでは無かったとか。

(保健→会計)

♯○ 委員長の入れ替え話を聞いた時。保健委員会の後輩達は皆、 「誰が来ても、伊作先輩程の知識や腕はないだろうから、重病人や重傷者が来ないといいな」 と思った。 しかし保健委員の異名は「不運委員」な訳で、彼らの元にやって来たのは、普段彼らや委員長の 善法寺伊作を「ヘタレ」だ「不運」だとけなしまくる、会計委員長の潮江文次郎だった。 そんな訳で文次郎は、顔を出すなり後輩全員にかなり厭そうな顔をされ、ついでに戦力扱いは一切されなかった。 しかし、医務室を訪れる生徒を「未熟だ」「精進しろ」と叱りとばしながらも、妙に手当ての手際は良くて 上手いし、薬や道具の種類や場所も―下手すれば1年生よりも―詳しかった。 そのことについて、感心しつつも怪訝そうに2年の川西左近が 「意外に、手当てとかお上手なんですね」 と声を掛けると、文次郎は何故か一瞬バツの悪そうな顔をしてから、当然のように 「ある程度までは教科で種類や効能を習うし、実習時には自分や組んだ相手の手当をせざるを得ない状況もある。  だからこの学年まで在籍している以上、この程度は出来て当然だ」 と、若干ふてくされた口調で言い切った。その妙な反応と、医務室の配置にも詳しかったことについての謎は、 顧問であり校医の新野先生の 「潮江くんは下級生の頃からの常連ですし、善法寺くんが他の患者を診ていて忙しかったり機嫌が悪い時には、  軽い怪我なら自分で手当てしていたからねぇ。薬の名前は場所なんかは、多少詳しい方なんですよ」 との補足で何となく理解出来たが、 「伊作先輩の機嫌が悪い時って、どういうことですか?」 と、他の全員があえて流そうとした点を、1年ろ組の鶴町伏木蔵は、躊躇なく訊ねた。 「……ケンカしてたり、怪我の原因が下らなかったり、無茶して悪化させっと、時々『勝手に自分でやれば』  とか言って、救急箱顔面に投げてきたり、治療丸投げすんだよ、アイツ」 「まぁ、私の見る限りでは、そのような対応をされることがあるのは、潮江くん位ですがね」 主に、一番無謀で力量も人格も未熟で中途半端だった中学年頃に、よくそんな光景が繰り広げられていたの だという。

(会計→保健)


元拍手お礼 入れ替え先は、本当に純然たるあみだくじの結果なのですが、オチの相互以外もかなり私的に楽しいことに(笑) ちなみに、「藤内凄い」と言われたあの拷問は、実際はナチのなので、時代が違うんですけどね 2010.3.25