とある日曜の昼下がり。集金を終えて帰って来たら、最近ウチの組に入った頭痛の種が、また頭の痛くなる
ようなことを言っているのが耳に入った。
「何で、ちょっとイチャモンつけただけで3日も外出禁止とか言われなきゃなんないんスか!」
不貞腐れた顔で古株連中に噛みついているのは、どこぞのお偉いさんの放蕩息子か何かで、下手に犯罪に
手を出されるよりはマシだからと、ウチ―七松組―に預けられている新入りだった。どうもヤツは、若に
面と向かって逆らうのは止めたようだが、まだ滝さんやウチの組の方針には不満があるらしい。
「アンタみたいな馬鹿なチンピラを野放しにしてるだなんて思われたら、七松組の名折れになるからよ」
ヤツらのいる大部屋の襖を、俺が開けようとした直前。聞き覚えのある勝気な女の声が、バッサリとヤツを
切り捨てたのが聞こえた。
「何様っスかこの女」
「先生様よ。チンピラ小僧」
「……しろ坊の中学の時の担任で、滝さんの友達でもある、北石照代さんだ」
また男と別れたとかで昨日の夜押しかけて来て、滝さんの部屋で飲みながらグチり、そのまま泊まっていった
筈なので、居るのは解っていたが、相変わらず物怖じしないし、ハッキリとモノを言う人だよな。そんな風に
思ったのは、俺だけではないだろう。
「中学のセンコーが、何でこんなエラそうなんスか!?」
「生まれ持った性分だろうな。けど、間違ったことは言ってないぞ」
「お帰んなさい金吾。ねぇ、いつから七松組は、こんなバカ飼ってんの?」
「つい先日からですよ、北石先生」
しろの中学の担任ということは、俺がまだ下っ端だった頃から出入りしているわけで、尚且つ滝さんの友人
として対等な扱いを受けているので、北石さんは俺に対してかなり気易い口を利く。そのことに、俺自身は
異論はないが、ヤツは目を丸くしている。まぁ、当たり前だろうな。最初に滝さんに説教されて矯正された
のは、目上の人間に対する言葉使いで、俺は一応下っ端をまとめているだけとはいえ、幹部だもんな。
「……。あのな。前々から言おうと思ってはいたが、暴対法やら何やらあって、実際の暴力団てのはむやみに
力を誇示するわけにはいかないんだ。しかも特にウチの組の場合は、表向きは害がないように振舞っている
からこそ、ある程度以上の信頼を地域の人達から得られているんだ。だから余計な問題を起こすな。次から
は、俺らだけでなく、滝さんにも楯突くような言動だけでも容赦しないことに、今決めたからな」
正直に言えば、ヤツの言動の所為で、若や滝さんに心酔している古株からかなりの不平不満が上がっている。
それをどうにか抑えるのに、俺もいい加減疲れてきていたんだ。しかも、一応これでも10年近くコッチ側に
居るから、その気になれば青二才の1人や2人、睨みを利かせるのは容易いことを、この舐めた若造に思い
知らせておくいい機会かもしれない。そんな風にも考えた。
「良い事教えてあげるわ。能ある鷹は、爪を隠しているからこそ怖いのよ」
的確な例えだと思いますけど、ヤツは意味が解らず怪訝そうな顔をしてます、北石さん。そんな突っ込みを
俺が入れる前に、周りの連中が彼女に賛同して、補足のように口を挟んできた。
「滝さんはなぁ、ダーツでもナイフ投げでも、小石投げるんでも、百発百中で絶対に外さないらしいんだぞ」
自慢げに言われても「それがどうした」って思うよな。けど、本気で恐ろしいんだよ、その特技は。
「俺も入ったばっかの頃、滝さんに楯突いてて、首の皮スレスレに包丁投げられたことがあるんだ。で、
そん時に『万一当たったらどうするんだ!』って怒鳴ったら『誰が当てるか』って返ってきた」
そこまで怒らせた奴は少ないが、包丁・果物ナイフ・鉄串・カッター・ハサミ辺りは、滝さんが手にしている
時には絶対に怒らせてはいけないという暗黙の了解が出来ている。何しろ頭に血が上っていても、ミリ単位で
ギリギリの所に投げて来るから、傍から見ているだけでも肝が冷えるんだ。
「コイツが、いつも頭にバンダナ巻いてる理由は、後頭部に結構デカいハゲがあるからで、その原因は滝さん」
「俺、元ひったくり犯で、通りすがりのバァサンのカバンひったくった時に、たまたま近くに居て叫び声が
聞こえた滝さんに、思いっきり小石ぶつけられてとっ捕まったんだ」
ウチの下っ端の連中は、結構元族や不良あがりで若やハチさんに拾われた輩が多い。その中でも特に若や
滝さんに心酔しているのは、警察に突き出される代わりに七松組に連れてこられた奴だったリする。
「んで、滝さんに目一杯説教されて、若に扱かれて改心したんだよな? あと、あっちの額割れてる奴も、
似たようなもんだよな」
「ん? 俺っスか? 俺は直で滝さん襲って返り討ちに……」
滝さんが高校生くらいの頃は、まだ性別を疑ってよからぬことをたくらみ、滝さん自身に返り討ちにされた挙句
若に殺されかけた奴も、結構居たらしい。その頃俺はまだ小学生くらいだったので、よくは知らないが。
「他は、隠れてヤクやってて半殺しの目に遭った奴は……」
「今はいねぇよ。半身不随で病院暮らし。何か事故として処理したらしいけど、アレ滝さんがやったんだろ」
いや。最初にキレて手を出したのは滝さんだけど、実際にボコったのは若と俺。で、闇医者は若の友達の、
善法寺さんのパトロンの伝手らしい。どうもソイツに薬を流したのが善法寺さんとかいう噂があって、今後
一切扱わないことと、ソイツの処理で話を付けたようだが、俺は詳しいことまでは知らない。けれど、あの
騒ぎ以降、本格的にヤクが七松組において禁忌になった。それだけは事実だ。
「ふ〜ん。滝ちゃんてば、意外に過激なのねぇ。あたしが知ってたのは、若のお見合い相手か何かに説教
かました。とかいうのと、つまみ食いに鉄瓶投げた話と、草刈りのカマ投げたことあるのも聞いたこと
ある位かしらね」
そりゃそうでしょう。北石さんは一応一般人なんですから、そんなヤバい話は誰もしませんよ。鎌は、
ブーメランの如く戻ってきたのが凄かったけど、状況は言えないような事だったような気もしますが。
「そうねぇ、確かにあんまり詳しくは聞いていないわね。でも、見合い相手に啖呵切った話は、何人からも
聞いてるわよ。ソレが、『姐さん』て呼ばれることになった決定打だったんでしょ?」
話したのは、親父(五代目)やお嬢や三之助さんやハチさん辺りだろうな。又聞きの食満先生や立花さん、
それからもしかすると、若自身もあるかも知れないが。
「アレは、半分私怨も入っていましたが、ただの職業意識から来たものです」
「あら滝ちゃん。いつから聞いてたの?」
「ほんのつい先程からです。何なさっているんですか、照代さん」
いつの間にか現れていた滝さんは、呆れた顔をして北石さんに訊いたが、俺もそう思う。滝さんの部屋から
大部屋は決して近くないのに、何でわざわざ来たのかを最初に問い正し忘れていたが、おかしいだろう。
「単なるおしゃべりよ。滝ちゃんが家事に追われていて、暇だったんだもの」
「でしたら、帰宅されれば良かったでしょう」
「嫌よ。この後、滝ちゃんと出掛けるつもりだったんだもの」
「勝手に決めないでください!」
全くです。それにしても、北石さんと話しているのを見ると、より一層滝さんが女性のように思える。とは、
言ったら後が怖いので口が裂けても言えないが、北石さんの滝さんへの態度は、完璧に女友達に対するもの
なんだよな。
「……で、何言ったんスか?」
滝さん本人が現れて途切れた話の、具体的な内容を訊いてきたのは例のヤツだったが、他にも何人か
興味津々な態度の奴が居た。…コレは、俺が話さなきゃいけない状況なのか?
「5〜6年位前に、若の嫁候補として他所の組のお嬢が七松組に来たことがあったんだ。で、その人が
若達に気に入られようとして、色々と家事やなんかもやろうとしたんだが、滝さんからすれば邪魔で
しかなかったらしい。それでも、一応姐さん候補だってんで結構我慢はしていたみたいなんだけども、
ある日ついにキレたんだ」
×××
「味より量の大人数の食事を、『趣味のお料理』と同じ感覚で考えないでいただきたい。手間も時間も
お金も、そんなに掛けてはいられないんです! しかも、食材の使い方は勿体ないですし、手際も
悪すぎで、足手纏いでしかありません」
掃除や洗濯は、時間がかかろうと上手く出来ていなかろうと、手直しやフォローをすれば良かったようだが、
料理に関してはどうしても耐えがたいことがあったらしく、滝さんはこう言い放った。それは、言うなれば
学校給食とお料理教室の差のようなものだろうが、馬鹿でかい寸胴鍋一杯の煮物を作りながらキレた滝さんの
言い分が正しいとされ、このどこぞの組の娘との話は破談になったらしい。
そしてその話を実家に帰ってグチりまくり、七松組の側の人間も事あるごとに話の種にした所為で、完璧に
滝さんは「若の嫁」扱いをされるようになり、一部では未だに女性だと勘違いされたままなんだとか。
×××
「…という訳で、若がこの先嫁さんを貰うまでは、滝さんが暫定的に姐さんポジションなんだよ」
実際、口では否定しながらも滝さんは、ちゃんと「姐さん」の役割を果たしていたりするので、古い付き合いの
組の人間の中には、本気で滝さんを若の妻だと思い込んでいる人もいるとか。
「ねぇ、所で滝ちゃん。その啖呵が『私怨混じりだった』ってどういうこと?」
「私の母が、そういった点を無視した、金銭感覚のまるで無い人だったんです。今思えば、そんな母を養う
ために、父がああいったことに手を染めていた可能性も、否定は出来なくもないのですが……」
元々滝さんが七松組に身を寄せるきっかけになったのは、ヤクの売人な父親への反発から七松組に火を付けた
からで、未だに実家とは絶縁状態の筈だ。「それでもここまで思えるようになったのは、成長した証だろうか」
と苦笑する滝さんに、北石さんは少し目を丸くしてから、きっぱり断言した。
「あたしには解らないけど、別に一生解らなくていいと思うわ。滝ちゃんだって、別に理解する必要も、
許す必要もないわよ。あの両親の所為で苦労したのは事実なんだから」
まるで若のような理論に、今度は滝さん―と、俺達も―が目を丸くする番だったが、確かにそれは正しいかも
知れない。……というのが解るようになる頃には、この問題児も滝さん信者になってそうだな。あとどれ位の
時間がかかるかまでは判らないが、反発が強ければ強い程、心酔することが多いんだよなぁ、ウチの場合。
1周年リクの、アノ生意気な新入りネタのフォローみたいなもんです。
金吾と照代さん以外は、名もなきモブ組員で
金吾目線なことに深い意味はありませんが、「アンタみたいな〜」は照代さんにしか言えないセリフだと思ってます。
戦輪に代わる物を現代で…と考えた結果、投げモノ全般になったんですがアリですかねぇ?
2009.9.10
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