3.長次 周囲にどう思われていようとも、俺は祖父の世界が好きだった。 他人にはガラクタでしかなくても、祖父の眼には素晴らしいものとして写っていた置物や彫刻。 無名の画家の描いた、見知らぬ外国の田舎の風景画。「色遣いが好みだ」と言っていた抽象画。 時には有名な芸術家の作品も交じってはいたが、国も時代も様式も形状も値段も、何もかもが バラバラな美術品の共通点はただ一つ。祖父が「好ましい」と感じたもの。それらが、祖父に とって最適の配置で並べられた、祖父による、祖父のための、祖父の趣味の美術館。 そこを、祖父と同じくらいに好ましく感じていたのは、親族の中では俺1人きり。 けれど世間には、ほんの一握り程度ながら、共感者が存在した。その中で、俺が最初に知り合った のは、美術館のある町に住む祖母の元に身を寄せていた、俺と同い年の子供―仙蔵―だった。 喘息の療養のために祖母の家に身を寄せていて、気位も高かった仙蔵は、町の子供達と打ち解け ようともせずに、1人でたびたび美術館を訪れていたという。そしてその内に館長である祖父と 親しくなり、俺とも引き合わされた。 けれど互いに、あまり他人と馴れ合うような性質でなかった為、共感者であり、共に居て不快 ではなかったが、取り立てて熱く語り合うようなことは無かった。 だからこそ、偶然同じ高校に進学し、1人の友人―伊作―に執着している仙蔵を目の当たりに した際、珍しくとても驚いた事を覚えている。更に「共に伊作を護ってくれ」と頼み込まれた 時には、一瞬己の耳を疑った。それは、俺が知る限りの、それまでの仙蔵ならば、決してあり 得ない言葉だったからだ。 けれど、「伊作」という人間を知っていく内に、次第に納得がいくようになった。 気位の高さ故に孤立していた仙蔵を、全て受け入れたのが伊作なのだろう。伊作は、それだけの 寛容さと同時に、深い闇も持ち合わせ、酷く脆い所があるように、俺の目には映っていた。 その寛容さも、闇も、脆さも、全てを併せた物が「伊作」なのだから、自分を卑下し、蔑ろに するのは良くない。小平太から、伊作に纏わるとある噂を聞いた時、俺は伊作にそう言った。 「ありがとう長次。でも、それは綺麗事だよ。僕には、君にそんな風に言ってもらえるような、 価値は無いんだ」 違う、伊作。仮にお前が、自分自身に価値を見出せなくとも、お前は俺達にとって必要な存在だ。 たとえお前が何を抱え、隠していようとも、俺達はそれを受け容れる。持てる力の全てを使って でも、お前の望みを叶えてやる。そう思わせたのは、お前の力だ。 何故、そのことを解ろうとしない。俺達はお前にとって、そんなにも信用が置けない存在なのか?2009.5.8