幼い頃の私は、姉に生き写しの自分の女顔が嫌いだった。
しかし、忍術学園に入学し、伊作と出会い、その傍に居て支え、庇う為に使えると判った
瞬間から、己の容姿に価値を見出だした。
どれだけ隠そうとしても、外見に差が出始めてくる三〜四年頃に、
「我らの代に女がいる」
との噂が立ったことがあった。それは確かに事実ではあったが、極一部の下郎を除けば、
確信を持って噂の主が伊作であると特定している者は、ほとんどいないように思えた。
しかし、下手に噂を打ち消して回ろうものなら、逆に不信感から特定されかねない。
そう考えた時に、私が思いついた―おそらく他の数人も考えはしたが、自重しただろう―
策は、自分から
「この私がおなごに見えるというのか。いい度胸だな」
と、噂をしている者に食ってかかってみたり、食堂などで周囲に聞こえるように
「人が女顔を気にしているというのに、『実はおなごなのではないのか』などという、
実に無礼な噂が蔓延していると思わんか?」
「仕方ねぇだろ。本当に、そこらの町娘やくのいちよりも、よっぽど整った顔してんだから
諦めろよ。その内周りも飽きるって」
などと、事実を知る長次や留三郎などに、愚痴る芝居につきあわせてみたりもした。
さらに、元の作りは悪くない留三郎が女装の腕をあげ、逆に伊作はわざとらしい化粧で
誤魔化し続けている内に、噂の方はほぼ収まった。
噂のことよりも深刻で、尚且つ私が女に見紛う容姿であることをありがたく感じたのは、
同じ時期に、伊作が「男臭い」というだけで、先生方や上級生、長次、文次郎、小平太
などはともかく、場合によっては留三郎にまで反射的に拒絶反応を示すことがあった中、
私だけは大丈夫だった時だった。
精神的にも肉体的にも、最も酷い時期の伊作は、必死で押し隠し誤魔化そうとはしていたが、
発作的に震えが止まらなくなり、うまく息が吸えないこともしばしばあった。
そういった時に他の者が近づくことは逆効果で、落ち着かせて発作を治めることが出来た
のは、私かくのいち教室の山本シナ先生位のものだった。
山本先生と同列ということは、すなわち「男扱いされていない」ということにも繋がるが、
だからこそ私相手には一切警戒心を抱かないで済むことが、伊作にとって僅かでも助けと
なるのならば、それで構わないと思っていた。
その後しばらくして、文次郎についての相談を伊作から受けた。
より一層、汗臭くかつオヤジ臭くなっているにも関わらず、個人を識別さえできれば、
辛うじて無意識の発作を伊作は起こさなくなり、それで傍にいても平気になっただけ
だというのに、何の勘違いをあの暑苦しい男はして調子にのっているのか。
と、瞬時に殺意が湧いたが、それを気取られぬように、無理難題に近い提案を授けてみた。
それから半年後。「付き合うことになった」と報告を受けた時には、かなり本気で
留三郎に「文次郎殺害計画を共に考えないか」と持ち掛けそうになってしまった。
それでもどうにか思い留まったのは、長次に諭され、留三郎が
「俺は万に一つの可能性であっても、伊作が悲しむようなことはしたくない」
と言うので、仕方なしに経過を見守り、何かあった場合は容赦はしないこととした。
今はまだ、「名ばかりの恋人」などよりも「親友」の私の方が、格段に伊作に
近い位置にいる。それで良いとしておいてやろうではないか。
仙様と留さんは、基本的には共犯関係の時のみお互い名前呼び。
緊急事態を知らせるときには「仙」「留」と呼び掛けるのが暗号代わりだったりも。
留さんと長次は混じりがちだけど、やっぱり一文字呼びは緊急時のみ
六年時にはだいぶ治まりかけておりますが、睡眠障害と過呼吸が『落花』の伊作の持病です。
『合歓』『月下香』『柊』はほぼ同時期の「あること」が中心になっているので、
少しずつ繋がっています。(ついでに『は組観察日誌』の一部も)
月下香(げっかこう):ヒガンバナ科の球根植物。花言葉は「危険な快楽」 香水の原料となる香りの強い白い花のようです。
2009.2.27
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