「ご卒業おめでとうございます」と言ったら、「お前ら暇か?」と返された。
「は?」
「『この春休みに、何か予定はあるか』と訊いている」
怪訝そうな俺達に、少し言葉を変えて訊き返したのは、この日無事卒業した、俺らの
1年先輩である立花仙蔵先輩。……前々から感じていたんだが、絶対にこの人の方が、
綾部なんかよりも、何を考えているのか解らない不思議な人だと思う。しかも何故か
常に偉そうで、大抵のことは当然のように言い放つし。
ん? 何だ雷蔵。「それはお前もだろ、三郎」? いやまぁ、あえて否定はしないが、
絶対に立花先輩の方が、唯我独尊を地で行ってるだろう。
「一応、帰省くらいはするつもりですが」
「それ以外は、特に何も……」
「ならば、休みに入ったらこの場所まで来い。…お前達に会わせたい人間が居る」
困惑しながらも兵助やハチが律儀に答えると、立花先輩は一枚の地図を俺らに手渡し、
ニヤリと笑った。…ああ。そういうことか。何となく、目的が読めた。
「……で、どうする? 私は帰省もしないし、興味があるから行くけど? 地図に依れば
そう遠くない場所だから、春休み一杯潰れはしないだろうからな」
手渡された地図に記されていた場所は、学園から3日とかからない程度の距離の、とある
城下町だった。ただ、もしかするとこの地点は、待ち合わせ場所なだけの可能性もあるが。
「ああ、確かに。なら、俺も行こうかな。立花先輩の誘いを断るってのも、何か怖ぇし」
「それもそうだな。それじゃ、俺も参加。…雷蔵はどうする?」
ハチ・兵助と続いて話に乗ると、迷って悩んでいた雷蔵も「行かない理由はないし」と
いうことで、用があるので不参加の勘右衛門以外の4人で謎の誘いに乗ることになった。
先輩達の卒業式から、俺達の春休みが始まるまでは数日あって、さらに目的地まで3日弱
かかったので、立花先輩と再会したのは約10日程経ってからのこと。先輩は、学園の制服
から私服になり、その私服が学生時代よりはちょっと立派になっているように見える以外は、
何も変わっていなかった。…って、当たり前のことだが。
そして、当然変わっていないのは見た目だけでなく、俺らの顔を確認するなり「来たか」と
だけ言って先を歩きだした勝手さも、まったく変わっていなかった。
そうして先導されて連れて行かれたのは、町外れの少し広めな一軒家で、一応戸を叩いて中の
人間が顔を出すまで、待つくらいの礼儀はあったようだった。
「はい。どなたですか? ……いらっしゃい仙蔵。久しぶりだね、元気にしてた?」
「ああ。お前は…少しやつれていないか!?」
戸を開け、立花先輩を迎えたのは若い女。俺らは、家に近づいた辺りから、何となく先輩から
一歩離れていたし、俺は一番後ろからついて行っていたので、顔はあまりよく見えなかったが、
声の感じや着物の色味から、そう判断できた。
「あー、うん。まぁ、ちょっとね。でも、病気じゃないから大丈夫」
「そうか。ならいいが」
「あのぉ、先輩。俺らのこと忘れてませんか? てぇか、こちらはどちらさんの家ですか?」
「少し慌てる立花仙蔵」だなんて、面白いもんを見たものだ。などと俺が思っていると、
状況の全く分からないまま放置されていたハチが、おずおずと声をあげた。
「おお、そうだった。今日は連れが居るのだ。…懐かしいだろう?」
「懐かしいけど、まさか何も話さず連れて来たの?」
俺らを呼び寄せて引き合わせた立花先輩の顔は、やけに楽しそうだったが、相手は少し
呆れた表情を浮かべていた。その顔には、とてもよく見覚えがあった。
「「「「あ」」」」
「やっぱり生きてたか」が、俺の率直な感想で、横で雷蔵も「一瞬気付かなかった」と呟いて
いるし、ハチと兵助も「善法寺先輩、だよな?」「多分な」などとヒソヒソ言い合っている。
「えーと…とりあえず上がって。中で話そうか」
家主の許可が下りたので、全員遠慮なく家の中にお邪魔すると、そこは半分が診療所で、
残りの半分が居住空間になっているようだった。そうか。だから広い家だったんだな。
とりあえず供された茶を飲みながら、かいつまんだ事情―女の身であることを隠して学園に
在籍していたが、そのまま卒業するわけにもいかないので、策を練って自主退学した―を
一通り聞かされた後。先程立花先輩にも指摘された、善法寺先輩の顔色の悪さや痩せ具合に
ついて、兵助が訊ねた。
「ところで先輩。先程『病気ではない』と仰っていましたが…」
「うん。単なる重めの悪阻。最近はだいぶ治まってきたし、買い出しに行かなくても代わりに
行ってくれたり、買いだめもしといてくれたから、そこそこマシになったんだ」
にっこりと笑って答えた善法寺先輩に、俺ら4人は一瞬言葉を失った。
俺だけは、他の3人とは違う意味でだけど。
「え? 『つわり』って、その、妊娠初期の症状の一つの、ですか?」
「そうだよ。他に同じ音の言葉ってあったっけ?」
俺の語彙にはないですね。
「ってことは、妊娠されているんですか?」
「うん。夏の終わりには生まれる予定だよ」
つまりは、逆算すると……
「相手誰ですか? 状況的に、立花先輩…じゃないのは判るんですが」
「そうだな。残念ながら、私の子ではない」
可能性的には、一番しっくりくるんだけど、体調の悪さに驚いてたしな。明らかにこの家、
他に住んでる人間が居る痕跡があるから、しばらく一緒に暮らしてたけど今は留守にしてる
相手が居るってことだものなぁ。
「誰だと思う?」
「えーと…食満先輩ですか? 同室でいらっしゃいましたし」
無いとは言わないが、安易な発想だな兵助。あの人の接し方は、そういうんじゃないよ。
「留さんは、女の子扱いはしてくれてたけど、どちらかというと終始”保護者”って感じ
だったから」
「中在家先輩も、保護者目線っぽかった気がするよねぇ」
「正解」
「そうすると、あと残りで可能性がありそうなのは――」
かなり信じがたいが、アノ人しかないんだよな。ギンギンに忍者してた割に、そっち路線
では、ものすごく解り易かったし。
「……。潮江先輩が、一方的に惚れてたのには、気付いてましたけど、まさか受け入れて
付き合ってたとはねぇ。しかも、子供が出来るような関係まで進んでいたとは」
「あ。気付いてんだ。流石だね鉢屋」
何でそんなにあっけらかんとしてんですか、アンタ。しかも「一方的に」って辺り、否定
してないですよね?
「えー!!」
「嘘だろう!?」
「信じらんねぇ。というか、有り得ねぇ」
お前ら。気持はわかるが、そこまで言ったら流石に…
「うっわぁ、文次ったら酷い言われよう」
だから、何でそんなあっけらかんとして、楽しそうなんですか。善法寺先輩!
「ん〜。『まぁ、いいかな』とか『嫌ではないな』で付き合ってただけだし?」
「そこが、私達には解せんのだ。何故その程度で、所帯を持つ気になる」
「放っておいてよ。僕だって、まだうまく整理ついてないんだから」
全面的に立花先輩に賛成。かなり、色々ありましたよね? 主に嫌な意味で。
なのに、何でそんなことに……
「強いて言うなら成り行き? 別に恋した覚えもないし、今の所愛してもいないけど、
傍にいるのが苦痛ではないから」
何か、久方ぶりに他人に同情したくなってきた。そんなんで、この先やっていけるんですか?
「多分ね。……何もかもが初めてだから、これから少しずつ進んでいけたら。そんな風に
考えている。今はまだ、その位しか、自分でも解らないんだ」
……。そんな顔されたら、これ以上何も言えないじゃないですか。多分、立花先輩も、他の
食満先輩や中在家先輩―と、ついでに七松先輩―なんかも、そう感じるから黙認状態なわけか。
「えーと…何やらよく解んないですけど、とりあえず、『おめでとうございます』って、
言い忘れてましたよね。俺達」
「あ! そういえばそうだよね。えっと、『ご結婚おめでとうございます』でいいのかな?
でも善法寺先輩のこと、何てお呼びすれば……」
「多分、『潮江先輩』でも間違ってはいないのかもしれないけど、何か、その、抵抗が…」
先輩方が、目を丸くしている。けど、確かにこいつ等の発想は正しい、よな。
「あ、うん。ありがとう。呼び名は『いさ』で良いよ。『先輩』も付けなくて平気」
少し照れたように、善法寺先輩―いさ殿か―が微笑った。
「それでは改めて。『この度は、ご結婚並びにご懐妊、加えてご開業おめでとうございます。
いさ殿の今後に、幸多からんことをお祈りします』」
「鉢屋お前、それだけの口上が、よくもまぁ、そこまでスラスラと出てくるものだな」
「特技ですから。…しかし、口先だけのつもりはありませんよ?」
立花先輩だけでなく、他の連中まで呆れているように見えるが、一応本気で祝ったつもり
なんだけど。
「所で、仙は祝ってくれないの?」
「そんなことはないさ。あの馬鹿が相手なのは気に入らんが、お前は親友であり、妹みたいな
ものだからな。…それに、元々祝いの品代わりに、此奴らを連れて来たのだぞ」
やっぱりか。そうだよな。そんな理由でもなきゃ、わざわざ俺らにバラすわけないものな。
その後。夕食をご馳走になり、一晩泊めていただいた帰り道。ハチと兵助に、あの人が
女なことを知っていたか訊いてみた。俺は前から知っていたし、雷蔵にも教えてあったが、
2人もあまりそのこと自体には驚いていないようだったので、少し気になっていたのだ。
「まぁ、薄々とだけどな」
「俺は気付いてた訳じゃないけど、何か納得出来たから」
それぞれ、らしい答えだな。
「兵助はともかく、ハチ。何でお前は、それを確かめようとはしなかったんだ?」
意地の悪い訊き方だってのは、重々解っている。しかし、ハチは疑問をそのままにして
流すような性質ではないし、勘も悪くは無く、そこまで馬鹿じゃないから、それとなく
探りを入れる事も、出来なくはないはずだと俺は解釈している。
「何か隠したがってる感じはしたし、絶対何か訳があるに決まってっからさ」
「さっすが野生の勘」
思ってた以上に、こいつ良い勘してるし、賢かったんだな。
「茶化すなよ」
「いや、これでも本気で褒めている。ハチ、お前それ黙ってて正解だったぞ。下手に
つついてたら、今頃五体満足でいられなかったかもしれないんだからな」
正直、そんな下手を打つ奴じゃないとは思うが、一時かなり気を張ってたからなぁ。場合に
よっては、過剰防衛で痛い目見せられた可能性も、否定は出来ない。
「は? どういうことだよ」
「数年前までは、自主練中の事故や、競合地帯の罠にかかった怪我が原因で、学園を
辞めていった上級生が、チラホラ居ただろう?」
「ああ。居たけど、それがどうしたの?」
そんな怪訝そうな顔をするなよ、雷蔵。ちゃんと関係のある話だ。
「しかし私達の代や、その上下1〜2年には、そんな奴居なかったと思わないか?」
しかも、あれだけ癖が強いのが揃っているのにも係わらず、な。
「確かに。言われてみれば、実習で後遺症が残るような怪我を負ったり、命を落とす奴は
何人か居ても、完全に自業自得で。ってのはないな」
「そうだろう? つまりそれは、実際は違う理由があったり、嵌められたのを、学園側が
隠ぺいした。ということだ。……『下級生に暴力を働き、その報復にやられた』とは、
公表できるわけがないからな」
ここまで言えば、少なくとも兵助くらいは解るだろう。下級生の頃、女顔で苦労した所為で、
若干ガラ悪くなったわけだし。
「……。そういう、ことか。ようは、脅すなり力尽くで善法寺先輩をどうこうしようとした
輩に、周りの、友人である先輩方が報復をして追いだした。ってわけだな」
「いや。善法寺先輩ご本人が手を下した方が多いだろう。『だから女には気をつけろ』と、
言われたことがある。…そう考えると、ああなったのは一応先輩本人の意志なんだよなぁ」
あの人の空恐ろしさは、実際に目の当たりにしないと解り辛いが、この私以上の二面性を
持っているんじゃないかと感じることがある程なんだ。それをこいつ等は知らないだろうし、
信じたく無いかもしれないな。火薬や生物は、医務室のお世話になることが多いし、それで
無くても常連だから、間違いなく善法寺先輩に夢見てた口だろ。
「……。お前それ、どんな状況だったんだよ」
「聞きたいか?」
そんな大それた状況ではなかったが、たぶん夢は完全に壊れるぞ。ちなみに、2年半
くらい前の出来事だ。一番荒んでたのは、その少し前らしいがな。
「いや。いい。…てぇことは、要するに手篭めにした所で落ちる性質じゃなく、むしろ
返り討ちにするから、ガキが出来て、その子を産む気もあって、五体満足で生きてる
以上は、合意だった。ってことだな」
「ハチ! もうちょっと言葉選んでよ!!」
「生々しい表現すんな馬鹿!」
あーあ。雷蔵も兵助も、真っ赤になってやがる。俺らも、まぁそこそこ「お年頃」ってやつ
だから、猥談も春画の回し読みもやるし、その手の店に金を落としてる奴もいるけど、流石に
身近な誰かで、具体的な想像するのはキツイだろ。善法寺先輩は、母親並の、ある意味「聖域」
だったわけだし。…てことは、やっぱりハチの奴は獣系の馬鹿だったか。
書きたかったのは、5年生sの「有り得ない!」てな反応と、楽しそうな伊作さん。
オチの竹ちゃんも書いてて意外と楽しかったですが。
三郎の一人称は、対外的には「私」素は「俺」だと思っているので、地の文は「俺」でいきました。
なお、2年半前の伊作と三郎のやりとりはコレです。
山吹草の花言葉=「清々しい明るさ」
2009.4.19
2009.12.30 ちょっと修正
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