忍術学園を卒業し、居処を転々としながら、その度に姿も関係も 偽り三郎と雷蔵が共に生きるようになってから五年。 互いにどこの城にも属さず、組んでの仕事のこともあれば、 別々のこともあり、別の仕事の際は相手の忍務の内容については 問わぬと誓い、適度な距離を保ちつつ過ごしていたある晩。 その均衡を破るかのような言葉を発したのは、三郎からだった。 「…以前の忍務で、情報を得るために利用した女人が、子を産んで死んだらしい」 「それで?」 言い難そうに顔を伏せた状態で言葉を紡ぐ三郎に、雷蔵が一瞥もくれずに 冷ややかに返したのは、相手が何を言わんとしているかを悟っていたからだった。 「身寄りのない女で、相手については、一切告げずに逝ったそうだ」 「だから?」 「幼い頃から長く屋敷に勤めてはいたから、主人の信頼も篤かったが、 所詮は婢女に過ぎなかったので、子は寺に預けられることになった。と」 そこまで言うと口ごもった三郎に、雷蔵は一言も返さず、 そのまましばらく沈黙が場を支配した。 先にその空気に耐えられなくなったのは三郎で、思い切って俯いていた顔を上げて 雷蔵を見ると、彼は今までに見たことも無いような、凍りついたかのような無表情をしていた。 「らい、ぞう?」 「さっさと結論を言ったらどう? 僕の顔色を窺った所で、結局はもう腹は決めているんでしょ?」 嫌悪感すら漂っている冷ややかな雷蔵の声音に、三郎は戸惑いを隠せなかったが、 言わねば先に進まぬ。と、覚悟を決め本題を口にした。 「…引き取って、私達の子として育てたい。と思っている」 「好きにすれば? 母親役でも父親役でも、演じてあげるよ?」 言葉だけを見れば、いつもの雷蔵と変わらぬ、大らかなものにも思えるが、 やはり声音は冷え切っていて、表情も相変わらず能面の如き無表情のままだった。 言うべきことは総て伝え、了承も一応は得られたことで、それ以上もう何を言えば いいのか分からない三郎が、戸惑ったまま必死で言葉を探していると、雷蔵がポツリと 「……僕だって、妬くんだよ?」 と呟いた。 「え?」 「たった一時。それも、演技で。利用するために。そんなこと解っている。 頭では、解っているんだ。だけど…君に愛され、子を宿したその娘が、憎い。 しかも、最期まで騙されていたことを、知らずに逝っただろうことも」 嫌悪と憎悪と侮蔑とが入り混じり、尚且つ泣きそうな、そんな複雑な表情で 吐き捨てるように紡がれる雷蔵の言葉が、三郎には信じがたかった。 「僕自身、こんなどす黒い感情が自分の内にあったことには驚いているよ。 でも、僕は君が思っているほど、綺麗な人間なんかじゃない。それは事実だ」 「それは、わかって…「わかってない! 君は、知らないんだ。僕が、何をしたのか」 感情が昂ぶっているらしい雷蔵を、落ち着けようと言葉を挟みかけたが、それすらも さえぎられた三郎は、相づち以外は黙って総ての言い分を聞くことに決めた。 「…調べたんだ。忍務が終わってからも、君が妙に気にしていたから。 隠そうとはしていたけど、結構そういう手を使って情報を得ているの、 実は知っているんだ。だから、何かあると思って」 己が、無意識下でいかに雷蔵を侮っていたのか、三郎はこの時初めて思い知らされた ように感じた。自分と同じ年月を忍びになるべく過ごし、現在現役の忍者であるのだから、 その程度のことに気付かないわけが無いのだ。しかも、誰よりも長く共に居たのだから尚更に。 「最初に調べるのは頼んだけど、相手の顔も周囲の評判も、忍務の帰りに全部自分で直接 見聞きしてきた。…それで解ったんだ。何故、君があの娘のことだけ、そんなに気にしていたのか」 その答えは、三郎自身にすらわかりきっていないのに、一体雷蔵はどう解釈したというのだろうか。 「…似てるんだよね。境遇とか生き様が、君にもだけど、『あの人』に」 言われて気付く。確かに死んだ女には、彼らの共通のとある知人に似ていると言えなくも ない気がする所があった。けれど、指摘されて初めてそう感じた程度で、そこまで 似ているというわけではない。少なくとも三郎はそう感じたが、雷蔵はそう思っていない らしい。もしくは、三郎に自覚が無いだけで、無意識に重ねていたのかも知れないが。 「卒業前にさ、『どちらかが女子だったら』って話をしたのは覚えている?」 「ああ。もちろん覚えているさ」 「あの時は、傍に居られるなら充分だ。って、本気で思ったけど、今はそれじゃ足りない。 君は僕の、僕だけのものじゃ無いと嫌だ。…そんなの、ムリに決まってるって解っているのに」 気付かぬ内に、雷蔵の「何か」が壊れていたのだと三郎は思った。そして、ソレを壊したのは 間違いなく自分で、その事実を愛しく感じる自分もまた、何か「壊れている」のだろうと考える。 「雷蔵が望むのなら、もうそういう手は使わない。私はとっくに「雷蔵のもの」だもの。 困った顔くらいなら可愛いけど、そんな、心底嫌そうだったり苦しそうな顔は、もう二度と 見たくない。…本当は嫌なんだったら、子供も引き取らなくたって構わない。だから、笑って?」 嘘で塗り固められた己の、たった一つの本音。そのことが、通じても通じなくても、 三郎は雷蔵が傍らでいつものように笑ってくれるのなら、それだけで充分だと思った。 「ううん。いいよ。…君の子なら、きっと可愛がれると思う。でも、「父親だ」って名乗って 引き取ってくるのはやめてね。というか、君死んだことになってるよね? あの屋敷的には」 「…そこまで調べたのか。大丈夫。「死んだ弟の遺児」ってことにするから。それで、『うちの 愛妻は体が弱くて、子供は望めそうに無いから』って付け加えてくる。それでどうだい?」 「それなら、一緒に行くから女装させて? その方が自然でしょ」 やっと、微笑んでくれた。それも心から。それを見て、三郎は自分が無意識で望んでいた もう一つの事実に気が付いた。子供と過去の自分を重ね、雷蔵に育てて欲しかったのだ。 子供がもしも雷蔵に慈しんでもらえれば、三郎自身も雷蔵に愛されていることになる。 そうやって、代替することで満足出来る気がしていたのだ。 けれど実際は、思いがけぬ形で直接雷蔵を手に入れることが出来た。 与えられることに慣れておらず、望むことを諦めていた三郎が、唯一欲したもの。 それが、雷蔵だったのだ。 さて、歯車が壊れたのはいつのことなのか? もしかすれば、初めから壊れていたのかも知れぬ。 それは誰も知らぬこと。そして、知らずとも良いこと。 彼らの歯車は、壊れたことで噛み合っているのだから。 蛇足 「ところで、『調べるのは頼んだ』って…」 「この所一部で評判になりつつある、”十一忍”って忍集団は知ってる? アレの、 ”担ぎ屋”くんに。”情報屋”くん辺りも噛んでいるかもしれないけど」 「…まさか”十一忍”って、元1‐はの連中!? あー、でも確かに。それなら納得できる。 そうすると、”担ぎ屋”はきり丸か団蔵辺り…きり丸だな。内容からして」 「流石に経験豊富なだけあって、早くて正確な情報だったよ」 「でも、何人かは家業継いだり城に就職したって聞いたような。11人だと、全員じゃないか?」 「その辺りは、追求しない方がいいみたい」

一応、”「もしも」の話”の続きです。 嫌な感じに本領発揮。叶はこういう感じのが得意です(上手い下手は別として) まぁ、書いていて滅入ったりおかしくなってきたりするので、量産は出来ませんが。 因みに、「あの人」は『落花』の”彼女”です。お互い「親の呪縛に縛られた身代わり」同士 という、妙なシンパシーを勝手に三郎が感じていた。程度ですが、雷蔵が邪推して疑心暗鬼に 陥っている感じ。真相は定かではないですが、絡ませるのは好きです。 そんな程度の関係でお願いします。 ついでに十一忍のメンバーは 「情報屋」「仲介屋」が本職持ち。「商人」「運び屋」が裏家業。「狙撃手」「剣士」が忍び以外。 「幻術遣い」「絡操屋」「担ぎ屋」が忍び。「罠師」「薬師」が忍びからその後転職。 基本は「仲介屋」経由で無いと依頼は不可。正体を知ってる関係者のみ例外。 てな感じになっています。多分、未来ネタだとちょくちょく出ます。メインにはならないけど 蛇足に到るまでの間に、何かあったのか否かはご想像にお任せします(笑) 2008.7.6