壁に背を凭れ胡坐をかく文次郎の膝に乗りかかるような姿勢で、正面から抱きついて来た。

	「逢いたかった。家を出た時から、ずっと。逢って、また君に触れたかった」
	「……いさ。悪ぃが、ちょっと離れて、隣座るとかしてくれ」
	
	伏せっていた時期から計算すると、優に2月は碌に触れていない妻に、密着された状況で平静を保つのは、
	様々な意味で酷な状態だが、流石に耐えなければマズイだろうと判断した文次郎が、切なげな目で自分を
	見つめている伊作から、僅かに目を逸らしつつ、そっとその身体を押しやると、彼女からは思い掛けない
	言葉が返ってきた。

	「今ね、生まれて初めて、そういう意味で、君に触れたい。って思ったんだ」

	その呟きが、あまりに自分に都合が良すぎる内容の為、文次郎は一瞬己の耳を疑った。しかし伊作は、
	そんな文次郎の隙をついて、その首に腕を回し、僅かに離れた身体を再び押し付けるようにギュッと
	強く抱きつくと、耳元に

	「証を頂戴。私は貴方のもので、貴方が私のものである。その証を」

	そう囁いた瞬間。文次郎の理性は飛びかけたが、勢いに任せることなくぐっと堪え、壊れ物に触れるように
	丁寧に、髪を解き、頬、首筋、くつろげた襟元と唇を落としつつ、目だけで軽く周囲を見回すと、患者用と
	思しき座布団は目に入ったが、手を伸ばした程度では届かない位置で、他に適したものが見当たらなかった
	ので、「無いよりはマシ」とひとまず自分の着物を敷いて、その上に伊作を横たえた。




	「……声を殺すな、いさ。ここは忍術学園じゃねぇんだから、天井裏や床下に潜んでる奴なんか居るわけ
	 ねぇし、隣り合った他の家も無い。それに、診察は終わらせたんだし、俺と話してんの解ってんだから、
	 きり丸が人を近付けさせないようにしている筈だ」

	条件反射のように、身体を強張らせ声を漏らさぬようキツく唇を噛む伊作に、文次郎は名を呼び、思い付く
	限りの原因を否定して言い聞かせ、口付けることで唇から歯を外させた。
	

	「ごめん、ね。やっぱり、まだちょっと、怖くて。でも、平気だから、気にしないで」

	浅い呼吸の合間に、ふにゃりと笑いながら弁明する伊作の様は、必死で理性を飛ばさないようにしている
	文次郎を、大いに煽った。けれど流石に、がっついていて余裕など殆ど無かった10代の頃とは違うので、
	様子を窺いつつ、極力負担を掛けないように気遣う余裕は残っていた。

	道中で友人達から聞いた内容と、これまでの経験を合わせ、くどいまでに逐一確認を取り、しつこい程に
	繰り返し名を呼び、それこそ最初に伊作が望んだだ通り「他の誰かの代わりでも、ただの欲の捌け口でも
	無く、彼女自身を欲している」ことを訴え続けたことが功を奏したのか、伊作の側も条件反射か癖の如き、
	強張りや怯えた反応を見せかけることはあれど、その度に口にする「大丈夫」が、以前―主に学生時代―
	と違い、強がりでは無い本音のように、文次郎には感じ取れた。


	そして、躊躇いがちに伸ばされた伊作の腕が、首に回される瞬間。文次郎は背筋が痺れたような錯覚を覚えた。
	最中にすがるような素振りをされこと自体がおそらく初めてで、そのことによって近づいた肌の感触や弾力。
	耳元で囁かれるように漏れた、甘い声。そういった要素も、勿論大いに文次郎を煽り、理性の糸を保つことを
	危うくさせたが、それよりも首筋に触れた、伊作の細くしなやかな指先に反応したのは、彼女の得物が仕込み
	針であり、その真の恐ろしさを友人達から聞いた所為か、己が忍びとして急所であることを熟知している為か、
	はたまた単なる性感帯だったのか。その辺りの判断はつかないが、それでも少しだけ新鮮な発見だった。





	ひとしきり抱きあった後。伊作の体調及び、あくまでも「話をしている」だけなので、戻るのが遅過ぎると
	きり丸に怪しまれる可能性が高いと考え、名残惜しいが一旦解放し、とりあえず小袖を羽織らせ座り直すと、
	伊作は文次郎に背を預けて凭れかかり、ゆっくりと語り始めた。