いさが泣く様を初めて目にしたのは、伊織が胎に居ることを聞かされた時で、それ以降も「声を殺して涙だけ溢し
続ける」という、心臓に悪い泣き方をしているのは、偶に見た。
しかし、泣けない時の方がヤバくて参っているのだと気付いたのは、二人目が流れた後、ひたすら謝られた時だった。
一番辛いのは自分だろうに、ひたすら謝るいさに
「お前に何か非があるわけでは無いだろう」
と慰めのつもりで言ったら、より一層青褪め泣きたいのに泣けない顔で、「ごめんなさい」を繰り返された。
今思えばアレは、あの時のいさにとって、最大の禁句だった。
アイツは、無事に産むことの叶った二人―伊織と文多―以外の児を喪ったのは、仙蔵と通じ泉を産んだ自分への
罰だと捉えていた。だから、何も知らず気付いてもいなかった俺の言葉に他意が無いことは解っていても、暗に
責められているのだと感じたとしてもおかしくない。
泣くことはおろか、弱音を吐くことさえ出来なかったいさに、俺が掛けてやるべき言葉―というか、してやるべき
こと―は、おそらく「何かあるなら全て話せ」と「泣いても構わない」だったのだろうと、今更になって思う。
学生時代から―内容はともかく―、いさが何か隠しているという事実にだけは気付いていたし、その後幾度となく
それを俺に話そうとして止めたことも、察していなかった訳ではない。それでも、それらを明かすことはかなりの
覚悟を要し、相当の苦痛を伴うのだろうと解釈し、俺から訊き出すようなことはしなかった。けれど、時が経つに
つれて、言い出す機会を失った秘密が、いさにとってどんどん重荷になっていっていることに気付いてやることが
出来なかったのは、完全に俺の落ち度だ。
いさに、全て自分の内に溜め込み、自己完結しようとして、処理しきれずに混乱する癖があることは―本人的には
隠そうとしていたのかもしれないが―、同期の五人共が気付いていた。そして、最も言いたいこと程言い出せず、
挙句の果てに身動きすら取れなくなることも、俺は身を持って知った。
俺の方から「どうすればいい」「どうして欲しい」などと訊かない限り、いさは滅多なことでは自分から感情的な
主張―「傍に居て」「独りにしないで」など―を口にしなかった。それでも、悪夢から逃れ、助けを求めるように、
俺の元に身を寄せて来ることは多々あった。そんな時俺は、何も訊かずに引き寄せ、そのまま穏やかに眠れるよう
落ちつけてやる位のことはしたが、本当はあの場で悪夢の内容を聞いてやれば良かったのではないかとも思う。
とはいえ、過ぎたことを悔やんでも、どうにもなりはしない。それはいさ自身にも言えることで、仙蔵とのことに
関してだけは、全く否が無いとは言い難いが不問にすると決めたし、それ以外の悪夢の元となった事実に関しては、
罪を背負う必要も無ければ、どこも穢れてなんかいない。
実際の過去を消すことは出来ないが、無かったことにしたり、仕切り直すことは捉え方次第で出来なくもない。
そして、―出来るなら泣き顔はあまり見たくないが―泣こうが喚こうがどんな我儘を言おうが、それでいさの気が
済み、また笑えるようになるのなら、俺は全てを受け容れ、受け止めると決めた。
それが俺の覚悟であり罪滅ぼしで、この先―いさが望まない限り―何があろうと、いさを手放すつもりは無い。
それほどまでに強く想っていることを、一度も告げたことがないのも、アイツを不安にさせた原因で、俺の
落ち度なのかもしれないな。
『玉箒』と対のつもりの、文→伊への独白
時期はおそらく、本編の二十二話と二十三話の間の、立花邸からきり丸の所へ向かう道中かと
2010.8.1
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