七松組の家政夫である平滝夜叉丸(30)は、実は14歳の時から住み込みで勤めているが、七松家とも前の
	家政婦とも親戚どころか何の縁もゆかりも無い。しかし、雇われることになった経緯は、滝夜叉丸本人が
	「私の過去の最大の汚点」
	と称して話そうとしない為、基本的には当時からの関係者しか知らない。

	その為、男子学生な制服姿だった中高生の頃から「若(小平太)の許嫁」説が最有力で、次いで「小平太に
	見染められた」「押し掛け幼妻」辺りが有力で、「借金の代わりに差し出された」という説まであったが、
	とにかく女子で小平太の相手に見られることが殆どだった。しかも、滝夜叉丸自身は再三

	「私は、若の許嫁でも恋人でもイロでもありませんし、もちろん、親父さんのでもありません。そもそも、
	 私は男ですから!」

	そう主張し、小平太や旧知の面々もそう説明しているにも関わらず、最も肝心な性別の部分だけが欠けた
	状態で伝わることも多かったようで、―ここ数年は減ったが―「若の女じゃ無いんなら……」と口説いて
	来たり、手を出そうとする若手もたまに居た。それでも、大半は面と向かって「私は男だ!」と言われ、
	場合によっては証拠を見せられれば引き下がったが、中には「こんだけ美人なら男でもイケる」とぬかす
	ろくでなしも居た。そんな輩の中でも、最悪だったのは滝夜叉丸が21歳の時に居た元ヤンの新入りだった。


	その男は、小平太が「多分今日は遅くなるから、先寝てて良いぞ」と言い残して友人達と呑みに行った日を
	狙って滝夜叉丸の部屋に忍んで来た。そのこと自体は、七松組に身を寄せ始めた当初は中学生に手を出す程
	女日照りの者も変態も居なかったし、高校生の頃は四郎兵衛が拾われた時期とほぼ被っており、四郎兵衛は
	小学校に上がって自室を与えられるまで滝夜叉丸の部屋で寝起きしていたので無かったが、四郎兵衛が手を
	離れ1人で部屋を使うようになって以降、たまにあったため、毅然とした態度で「何の用だ」とねめつけた。
	しかし男はひるむことなく、へらへらと笑いながら
	「滝ちゃんて、若や組長のオンナじゃないんだってぇ」
	と話し掛けてきたので、いつも通り
	「ああそうだ。私は男で、若にも親父さんにも同性愛の気はないのでな」
	と返し、「証拠も見るか?」と挑発すると、
	「おれさぁ、どっちもイケるか、いっぺん試してみたかったんだよねぇ」
	ニタニタ笑いながら腕を掴まれた所で、滝夜叉丸は「ヤバい」と思い、身を捩って抵抗しつつ何か武器に
	なりそうな物を目で探したが、重量のある辞書も、切れ味は良くないが脅しには使えるペーパーナイフも
	手の届かない場所にあった。けれど、諦めずに他に何か無いか見回しながら、とりあえず足払いを掛けて
	男から逃れようとしたが、諸共倒れ込み、逆に床に縫いつけられる結果になった。

	いよいよ身の危険を感じてきた滝夜叉丸は、大部屋にまでは声は届かないだろうが、せめて四郎兵衛に聞こえ
	起きてくれさえすれば、誰か呼んできてもらうことも出来るだろう。と声を上げようとしたが、男はすかさず
	滝夜叉丸の口を手でふさぎ、
	「騒ぐなよ。暴れなきゃ、痛い思いも多分させないし、むしろキモチ良くさせてやるから」
	などと言いながら、持参して来たと思われるベルトで手足を拘束し、猿ぐつわをかませてきた。それでも、
	身を捩ったり足をばたつかせたりと、必死で抵抗していると
	「いい加減大人しくしろよ」
	と、馬乗りになった男に頬を叩かれた。

	しかし、一向に抵抗をやめず、何とか逃れようと奮闘していると、玄関の方から「ただいま〜」という聞き
	慣れた声が聞こえ、少し間を置いてから「アレ? 滝ももう寝てんのか?」などと呟きながら近付いてくる
	足音がした直後。
	「ただいま、滝。電気ついてるってことは、まだ起きてる?」
	との声と共に戸を開こうとしたが、男が鍵が閉めていたため開かなかった。けれど、普段の滝夜叉丸は基本的に
	自室の鍵を閉めないので、怪訝に思った小平太が「滝?」と呼びかけながら戸を叩いたので、滝夜叉丸は在室を
	知らせ助けを求める為に、手近に見えたコードを引いて、机の上に置いてあったライトスタンドを落とした。
	その音で、中で何か異変が起きていることに勘づいた小平太は、「悪ぃけどドア壊すぞ」と言うと同時に戸を
	蹴破った。



	「…………。何してんだ、お前」
	「お、おかえりなさい、若。早かったんすね」

	小平太の声が聞こえた辺りで、男は滝夜叉丸を置いて逃走しようとしたが、滝夜叉丸は逃がすまいと目一杯
	身を反らして反動をつけて足払いし、縛られたままの腕で服の裾を掴んでいた。
	その為、小平太が戸を開けた時に目に入ったのは、手足を縛られて猿ぐつわをかまされた上、服を半ば剥かれ
	頬も軽く腫れている滝夜叉丸と、逃げようとして逃げ切れなかった新入りの男の姿だった。
	
	言い逃れなど出来ようも無い状況なのに、しらばっくれてそそくさと立ち去ろうとする男の胸倉を掴み上げ、
	再度「お前はここで何をしていたんだ」と言いながら、胸倉を掴んだ腕を思い切り振り降ろし男を床に叩き
	つけた小平太は、倒れ込んだ男の鳩尾を蹴飛ばし、男が悶絶している間に滝夜叉丸の腕の拘束と猿ぐつわを
	外してやると、しゃがみ込んで男の前髪を掴んで顔を上げさせ、三度
	「なぁ。お前はうちの滝に、何をしようとしやがったんだ」
	と問い掛けた。


	「興味本位で手を出そうとし、拒んだ所あの通り動きを封じられました」

	自由になった腕で自ら足の拘束を解き、少し身形を整えた滝夜叉丸が答えると、小平太は男を睨みつけたまま

	「それ以上のことはしてねえよな」

	と問いを重ねた。

	「…………」
	「本来の目的は、若のおかげで未遂に済みましたが、抵抗している最中に何度か殴られ、未遂ではありますが、
	 多少危うい所までは。あと、聞き捨てならないことを言っていました」
	「ふぅん。何を?」

	ヘビに睨まれたカエル状態で何も言えないの男の代わりに、平静を装いつつも微かに震えた声で報告する
	滝夜叉丸に、小平太はいつも通りの口調で問い返したが、男を睨んでいるその目は据わりきっていた。

	「おそらくは、催淫剤の類……もしかすると、ドラッグかもしれませんが。を所持していることを仄めかす
	 ような発言があり、猿ぐつわの隙間から、何かカプセル状の物を飲まされかけました」
	「……飲まされてはいないんだ」
	「ええ。辛うじて。首を振って抵抗した時に飛んだようなので、おそらくその辺りに落ちていると思います」

	滝夜叉丸が更なる証言を口にした瞬間。男は小平太を振り切って逃げようとしたが、逃れられる訳もなく、
	より一層迫力を増した小平太に、「どこへ行く気だ」と問い掛けられながら、力の限り顔を張り倒された。

	「俺が、女子供や弱い奴に手ぇ上げんの嫌いなのも、ウチの組で薬はご法度な事知ってるよな? それなのに、
	 そんな真似しやがったんだ。良い度胸だな」

	そう言いながら、男をボコボコにしている小平太は、被害者である所の滝夜叉丸ですら
	(しろが起きて来ないと良いが……)
	と心配になる程に容赦なく、その手は男の鼻血や吐血で真っ赤に染まっており、少なくとも男の鼻の骨と歯
	数本は折れているように見えた。



	そして、拾い上げたカプセル及び、男の所有していたその他の薬物も、小平太の友人でオーナーがどうも
	裏社会の人間らしい薬局の主・善法寺伊作に成分を分析してもらった所、典型的なその手のドラッグで、
	更には警官な友人潮江文次郎によると、最近この辺りの若者の間で流行っているドラッグと合致する上に、
	薬物を用いた婦女暴行事件が数件起きていることとも関連があるかもしれない。とのことだった。
	その報告を受けた小平太が、伊作の伝手で闇医者に入院中の男を更にボコり、「死んではいないが再起不能」に
	したとの噂が、七松組の若手を中心に囁かれたが、真偽の程は定かでは無かった。

	更に、このことを期に、
	「若のお手を煩わせ汚させない為に、自衛手段を持たんとな」
	と、滝夜叉丸が「刃物投げの達人」という物騒な特技を身に付けた。との噂も実しやかに囁かれており、
	こちらも真相は不明であるが、実際何故かカッターや剃刀の刃をどこからともなく出して来たり、包丁や
	ハサミ、鎌などを寸分の狂いなく投げることが出来るようになったのはこの後のことだという。





4周年記念 紅椿様リクエスト こへ滝(orこへ+滝)で、 ”「斑雪」設定か「七松組」設定で、滝夜叉丸関連でブチギレた小平太の話が読みたいです” とのことでしたので、七松組の若の逆鱗に触れてみました。 ちなみに、文中には出てきませんが、このモブ男の行為には、もう1つ「離」設定な小平太(+友人達)の 逆鱗が含まれていて、滝もそれを解っているから自衛策を身に付けたんだったり 2012.6.10