弟達も成長して部屋が狭くなってきたし、一応社会人になったとはいえ、家を出て1人でやっていけるほどの
	稼ぎがあるとは言い難いし……
	と思っていたら、家賃折半での同居話を持ちかけられた木下八左ヱ門が、幼馴染の土井兵助と2人暮らしを始めて
	最初の大晦日。

	年始はそれぞれ実家(兵助は兄弟が居候している叔母の家)に帰る前に、おせち作りをしていた兵助に
	「夕飯何にするかな。あと、蕎麦は何時頃にする?」
	と訊かれた八左ヱ門は、そこでまず驚いた。

	「え。夕飯と蕎麦、別なのか?」
	「うちはいつもそうだったけど、お前の家は違ったのか?」

	高校時代から兵助は、八左ヱ門の弟達の子守りと食事作りを初めとした家事をバイトとして代行していた。
	けれど、年末年始は大抵土井兄弟が叔母の家に誘われたり、木下家が帰省していたりしたので、年が明けてから
	初詣に行ったり、共通の友人大川三郎に「私が車出してやるから初日の出を見に行くぞ」と呼び出されることは
	あっても、大晦日の夕食は別だった為、どうも年越し蕎麦の扱いが違うようだった。

	更に、土井家方式で軽めの夕食から2時間ほど開けて食べることにした蕎麦は、

	「すっげ。えび天にかき揚げまで乗ってる」
	「うちは天ぷらそばだったけど、お前の所は?」
	「たぬきと月見の2択。あとこれ、食費平気なのか? おせちも作ってたよな」
	「ふぅん。じゃあ、来年はそっちにするか。ちなみに食費は大丈夫だ。かき揚げはおせちに使ったやつの端とかで、
	 そもそも雅さんに貰った野菜が多いし、えびは三郎次の所で買ったらオマケしてもらえたんだ。あと、おせちの
	 材料費は、頼まれた人達だけじゃなく兄さんや叔母さんからも出てるし」

	確かに、兵助のすぐ下の弟三郎次は高校卒業後スーパーの鮮魚売り場に就職し、八左ヱ門の叔父大木雅之助は
	農家を営んでいる。そして、「おせち作るならうちの分もお願い!」と頼まれて知人数軒分も作っていたので
	1日仕事になっているのも知っていた。だがしかし、
	(俺、このレベルを当たり前だと思ったら、絶対嫁さん貰えないんだろうな)
	と、密かに思うほど兵助の主婦っぷりは板についていた。


	ついでに、

	「ところで兵助。お前、髪伸びてきたから切りに行くとか、何日か前に言ってなかったか?」
	「ああ。そうなんだけど、斉藤さんの所へ行ったら『勿体無い』を連発されて、伸ばすならタダで定期的に
	 整えてくれるって言われて、職場で訊いたら問題ないって言われたから」

	曰く、知人のよしみと近所であることから元隣人の斉藤タカ丸の美容院に髪を切りに行った所、
	「お兄さんと違って綺麗な髪なのに」
	と妙に惜しまれた上にカットモデルに誘われ、自らの職場である新野保育園の新野園長や先輩保育士達にも
	「仕事中はキチンと結んでさえいれば、構いませんよ」
	と許可が下りた為、「床屋代が浮く」との理由からタカ丸の提案を飲んだのだという。

	その結果。兵助の「嫁度」が上がったのは、言うまでもなかったりする。





年末企画「年越しそば」 兄sの微妙な関係を気に入って下さっているようで、同棲(笑)し始めの時期をご希望でしたので、ちょっと オマケもつけて全力でリクに答えさせていただいたつもりですがいかがでしょうか (ちなみに、天ぷらそばではありませんが、蕎麦と夕飯が別なのは我が家の実話です)