「久しぶりね、兄様」
ある日。鉢屋三郎が不破雷蔵と共に暮らす家を、一人の女が訪れた。
「楓香? 何しに来たんだ」
「どうしたの? お客様?」
戸口で珍しく思い切り怪訝そうな顔を浮かべる三郎の背に、屋内から雷蔵(女装中)が声を掛けると、
三郎は渋々「義妹が来たんだ」と答えた。
「三郎の、義妹さん?」
「初めまして。えーと、不破雷蔵さん? 三郎兄様の妹の、楓香と申します」
ニッコリと笑った楓香が、今は女の振りをしている己の本当の名を知っていたことにも、訪ねて来たという
ことは在所を教えられていただろうことにも、そもそも三郎に親しい妹が居たことにも驚いた雷蔵が、少し
低い声で三郎に問うと、彼は苦笑交じりではあるが当然のような答え方をした。
「……三郎。君、前に家とは絶縁状態で、兄弟姉妹も名ばかりだって言ってたよね?」
「ああ。しかし楓香は別格なんだ」
「どういうこと!? 妹といっても、全く血は繋がってない筈だよね。しかも、どういう字を書くのか知らない
けどさ、まさか風早の名前の由来は、この人だったりしないよね??」
「いや、あの、それは……」
三郎が己の失言に気付き、取り繕おうとした時には既に遅く、激昂した雷蔵は、幼い双児の養女達を抱いて、
奥に引き籠ってしまった。
「……兄様、アタシ達のこと話してなかったの?」
「特に話す機会も必要も無かったからな。……で、何しに来た」
目を丸くして楓香が呆れると、三郎は苦虫を噛み潰したような顔で、ひとまず用件だけ聞いて楓香を帰し、
それからじっくりと、雷蔵に弁解することに決めたようだった。
「まぁ、今回もいつもと同じような依頼なんだけど、一回位兄様の大事な人達を見てみたくて、出向いて
みただけ」
楓香は三郎を育てた乳母の娘で、ついでに三郎自身の従妹でもあるだけあって、三郎と性格が似通っており、
食えなくて並大抵のことでは動じない女である。故に「ちょっと悪いことしたかも?」とは思ったようだが、
反省する気はさらさら無いらしい。
「とはいえ、十六の女の子一人、どうにか逃がして生き延びさせなきゃいけないから、面倒といえば面倒かも
しれないけど」
楓香が語った具体的な内容は、その場しのぎでは済まない所が少々厄介ではあったが、それでも三郎は、
如何な手段や伝手をつかってでも、それを遂行すると請け負った。何故なら、その義父に目を付けられた
姫君が、己の母に重なって見えたのだ。
楓香を帰し、どうにか雷蔵に機嫌を直してもらった後。下見を兼ねて姫君の顔を見に行った三郎は、一瞬
己が目を疑った。その実葛という姫君は、旧知の女と瓜二つの顔をしており、雰囲気もどことなく似ている
ように思えたが、軽く下調べをした限りではどこにも「彼女」との繋がりを示すものは無かった筈である。
けれどもそう考えてすぐに、僅かながら接点になり得る情報を思い出した。実葛の母は元公家の姫で、その
公家が「彼女」の父だとすれば、異母姉かもしれないのだ。
「……お久しぶりです」
「うん。久しぶり。今日は、怪我? 薬? 毒? それとも情報?」
三郎が、確認と相談と協力を得る為に訪れたのは、かつて性別を偽って忍術学園に在籍しており、今は
女の身に戻って医師をしている元先輩の、診療所兼自宅だった。
「あえて言うなれば情報ですかね。……いさ殿、『桔梗』様という姉君はいらっしゃいますか?」
「さぁ? 義姉上は確か三人居た筈だけど、誰一人として会ったこと無いから。……ああ、でも、一番上の
義姉上がそんな名前だったかも」
いさ―こと伊作―は、妾腹で、母共々隔離されて育ったため、他の姉弟どころか、父とすら面識は無いに
等しいが、側女から多少の話は聞いたことが無くも無いのだという。
「でも、それがどうしたの?」
忍務内容は問わぬのが常識だと伊作も解っているだろうが、いぶかしがる気持ちも解る三郎は、かいつまんで
内容を話し、協力なり意見を求めると、伊作は目一杯嫌そうな顔を見せた。
「うわぁ、アノ話本当だったんだ。父上最低」
伊作の言う「父上」が、己の義父ではないと気付いた三郎が、逆に首を傾げると
「あのね、私は母上似なんだ。それなのに、腹違いの姉上の娘が私に似てるって、どういうことか解る?
奥方達似の母上を囲うことで、憂さ晴らししてた。ってことだよ」
伊作の父は、先々代の一人娘の婿殿が端女に産ませた息子で、直系の奥方に子が無かった為、仕方なく引き
取られ、分家筋の二人の妻をあてがわれたのだという。
「……確かに、ロクでもないですね。で、姪御なんだとしたら、何か力貸していただけます?」
身内であることを差し引いても伊作は顔が広く、更に多様な伝手を持った知人もいるが、その中から
挙げた名は、三郎にとって意外過ぎる人物のものだった。
「父上並に悪趣味かもしれなけど、仙蔵」
「は? 立花先輩ですか!? 何でまた……」
他の元同期の友人達ならば、留三郎の妻の宿の下働きでも、長次の母か妻付きの侍女でも、小平太の仕える
城に侍女として推薦するのでも、納得はいく。けれども仙蔵は、武家の息子で城仕えではあれど、わざわざ
彼を選ぶ理由が、三郎には解らなかった。
「僕と良く似た姪なんだったら、仙蔵はきっと悪いようにはしないよ。……勘付いてたかもしれないけど、
泉を産んだのは私だし、少し前まで泉は伊織を娶る気でいたみたいだから」
仙蔵に、母親が不明の一人息子が居ることは知っていたし、仙蔵がかつて伊作に心を寄せていたことにも、
三郎は気付いていた。けれども己が息子風早の例もあるので、まさかそれらが結びつくとは想像もして
いなかった上、サラリとバラした伊作にも驚いた。
「君の素顔と、創を知っている代わり。……って所かな。あ、ちなみにウチの人と、泉本人も伊織も文多も
知ってるから、強請りの対象にはならないよ。あと、きり丸とか乱太郎も知ってるし」
微笑みながらやんわりと釘を刺す伊作に、三郎は相変わらず勝てる気がせず、情報提供の礼を述べると
彼女の元を辞した。そして仙蔵を訪ねて交渉し、彼が示した条件を先方に伝えて具体的な計画を立てた。
こうして、祖父程に年の離れた男の妾となることを拒んで、「武庫川実葛」という姫君は自害し、立花仙蔵は
知人の遠縁だという「樟葉」という娘を、息子泉の許嫁として迎えた。
その双方をつなぐ糸は、繋いだ者達より他に知る者は居ない。
『理由』の更に前段階。
樟葉16歳、泉12歳、伊作29歳時の筈。
実は一番書きたかったのは、楓香さんとキレた雷蔵だったり……
2010.1.19
戻