この期に及んで「千幸にだけ話し、それを伝えるか否かは千幸に任せる」と言い切り、他の4人の抗議の
	声を無視して、自分の腕を取って居間を出た文次郎の、その掴まれた腕から感じる、少しかさついた指の
	感触や、微かな温もり。そして、まるで怒っているような─けれどそれは、伊作や他の友人達に対して
	ではなく、自分自身に対して─背中を眺めている内に、千幸は1つのことを思い出した。


						▲▽▲


	「ああ、そっか。僕は、君に告白して振られたんだっけ」

	自室に着くなりそう呟いた千幸に、文次郎は「思い出したのか?」と、顔を強張らせた。


	「そこだけね。……何で君だったのかも、そのことが死因に繋がっているかも思い出せないけど」

	フッと脳裏にその時の光景が甦っただけで、詳細はさっぱりだと答えた千幸に、文次郎はほんの一瞬
	安堵の息を洩らすと、一言「それで充分だ」と返し、話を始めた。


	「順を追って話す。……俺はある時、とある国にとって不利益な情報を持っている情報屋の暗殺を
	 依頼された。その情報屋がお前―伊作―だと知ったのは、依頼を請けた後で、ほんの一瞬だけ
	 下調べをせずに依頼を請けたことを後悔したが、さっきの仙蔵じゃねぇが、アノ時代なら有り得る
	 状況だったからな。罪悪感なんか別に感じてねぇ」

	そこまでは、千幸も「そんな所だろうな」と思っていた。けれど、ならば何故その話を続けたのだろう。
	つい先程思い出した、平成の世での出来事―告白―が、「千幸」として生まれて来て以降避けられている
	原因だろうから、室町での出来事は関係ないんじゃないか。
	そんな疑問を抱いた千幸に、文次郎はおそらく気付いていながら、尚もそのまま話を続けた。
	

	「対象がお前であることが判明した時点で、俺は一般的な闇討ちを諦めた。……純粋な実力なら俺の方が
	 上だろうが、お前の縄張りであるアノ庵で、お前を殺せるとは思わなかったからな」

	霞扇や仕込み針などを初めとする、毒物を使った術に長け、意外に気配に敏感だった伊作は、忍術学園の
	生徒時代から「医務室と風上のお前には挑まない」と、同期だけでなく、一部の後輩にまで言われており、
	実際文次郎以外にも何度か狙われたことがあるが、天井裏や床下に潜んで期を狙った者は皆、害虫を燻り
	だすかのように返り討ちにしてきた。
	しかし、そのことを知っている旧知が、忍び込んで密かに討つことを断念するのは解るし、大方偶然を
	装って訊ねて来て、隙をついたか寝首を掻いたのだろう。と推測出来たが、眠り薬やしびれ薬や毒薬を
	盛ったとしても、生半可な物では耐性がついていて効かないことも知っている筈だし、そんなに易々と
	やられる程、迂闊じゃなかったと思うんだけどなぁ……。
	などと、千幸が思い出せない記憶をどうにか手繰っていると、

	「思い出せねぇなら、思い出すな。……俺はお前の寝首を掻いた。そして、2度目の15の春にお前に
	 告白された時、何の復讐かと思った。それ以上は詳しく話す気はねぇ」

	苦虫を噛み潰したような顔で、繋がるような肝心の所が不明のままのようなまとめ方で釘を刺された。
	しかし、やはりそれだけでは納得しきれない。と、千幸が抗議しようとすると、文次郎は僅かに躊躇
	するような表情を見せてから、静かに再度口を開いた。
	

	「……高校の卒業式の日に、まだ赤ん坊のお前を食満が連れて現れた時。俺は、お前がアノ日のことを
	 覚えている可能性を恐れた。次いで、そこに関することだけ覚えていないことが解っても、いつ思い
	 出しても不思議はないと考え、極力思い出さないように、お前を遠ざけた」

	記憶持ちの中には、かつての知人と再会し、交流を深めるにつれて記憶が鮮明になるものも少なくない。
	現に、仙蔵は保育所で伊作達と再会した時点から記憶が甦りだし、旧知と再会する度に鮮明になって
	いったというし、小平太など小学校で全員揃った途端に全て思い出して知恵熱を出したが、それでも休まず
	小〜高校の12年間皆勤賞を取ったことが、未だに話題になる程である。
	故に文次郎は、自分に関する「伊作」の欠けた記憶が「千幸」に甦ることを恐れ、遠ざけたのだという。






2011.2.28


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