兄の事故から、大川学園に入学するまでの2年半。伊作はずっと「単なる身代わり」でしかなかった。

		転校という形で小学校を辞めさせられ、勉強は家庭教師に教わるようになったことにより、元からの
		知人との縁はほど絶たれ、一人では決して外出させてもらえず、必ず親か秘密を知るその腹心が傍に
		居た為、新たな人間関係を築くことは出来なかった。それでも、常に兄として振舞うように強いられ、
		意識が戻った時に入れ替われるように、日々の出来事を詳細に記した日記をつけるよう義務付けられ、
		大川学園への入学に当たり、「人の顔を覚えるのが苦手」で「忘れっぽい」演技を強いられ、親しい
		友人を作ることも禁じられた。
		けれど、大川学園で再会した仙蔵・長次・留三郎の3人は、旧知かつ忘れる方が難しいタイプであり、
		その繋がりで親しくなった文次郎・小平太も不可抗力だ。と開き直ってそれなりに楽しく学園生活を
		送っていたが、夏休みになればその友人達と離れ、帰省してアノ息苦しい実家で過ごさねばならない
		のだと考えると、伊作は憂鬱でたまらなかった。

		そんな本音を当の友人達に漏らすと、伊作から聞いた事情しか知らない小平太が
		「そんなに帰るのヤなの?」
		と首を傾げた。

		「嫌というか、精神的にかなりキツイんだ。母さんはかなり過保護な人だから、帰ったが最後、多分
		 夏休み一杯、適当な口実をつけて外に出してもらえないだろうし、父さんは病院のことしか考えて
		 なくて、事故後入れ替わった時から『誰にも会わずに秘密が漏れない方が良い』とか考えてるっぽい
		 から、母さんの好きにさせそうだけど、かといって親戚や病院の誰とも顔を合わせないのは不自然
		 だし……」
		「こいつらんちのおばさんの口癖は、『女の子なのに!』で、兄貴や俺らと一緒に同じことをしようと
		 すると、すごい嫌がる人だったんだが、やっぱエスカレートしてるのか」
		「うん。父さんが決めたことに逆らうつもりはないみたいなんだけど、僕がお兄ちゃんに近づけば
		 近づくほど、嫌そうな顔をすることが増えていって、時々隠れて泣いてたりもするんだけど、アレ
		 多分僕の為に泣いてるんじゃないよ。それこそ、『女の子なのに!』って思ってるだけ」

		事故から学園入学までの2年半。ずっとそんな状態で、正直うんざりしているのだという。
		それでも帰らないわけにはいかないからと、渋々帰省の支度をし始めた伊作に、留三郎が思わぬ
		アドバイスを授けてくれた。
	

		「寮が2人部屋で俺と同室なことや、仙蔵と長次のことも『再会した』程度でいいから話しておけ。
		 もちろん、七松達のことは言わない方がいい。そうしたら、今回の夏休みと正月は無理だろうが、
		 春休み辺りからはうちで過ごせるよう、俺がうまいこと話をつけに行ってやるよ」

		留三郎の実家は格式高い老舗旅館で、伊作の家族はその旅館の常連客である。そのため、食満家の
		面々(従業員含む)が、客のプライバシーに一切干渉せず、尚且つ事情を説明すれば快く協力を買って
		出てくれる可能性の高いことを、伊作の親はよく知っている。そうなると、家を離れる理由として
		「友達の元へ遊びに行く」は大変説得力があり、しかも男なのだと印象付けるのにも有効である。

		夏休みの中盤に訪ねて来て、そんな内容をさりげなく織り込んで親を言い包めた留三郎に、
		伊作はいたく感心した。


		「クレーム処理は客商売の必須スキルだからな。仙蔵ほど口がうまかないが、俺でもコレ位は朝飯前だ」

		夏休みの後半からを、留三郎の実家の旅館で過ごす許可が下りた際に、伊作が感激して礼を述べると、
		留三郎は何てことないようにこう返したが、この件でその他の根回しやら何やらで最も奔走し、力に
		なってくれたのは、間違いなく留三郎だと伊作は感じた。
		何しろ、夏休み明けに作戦がうまくいった話を、伊作が他の友人達にしたところ仙蔵が、

		「何故、その時点で私も呼んでくれなかった!」

		とむくれた挙句

		「留三郎の実家の近くに、あまり使っていない別荘がある。だから次の休みは、留三郎の所にいる
		 ことにして、そちらに来い。普段掃除などの維持をしている管理人も一応居るが、滞在中は全て
		 自分達でやるからと暇を取らせる。そうすれば、女子に戻ることだって出来るぞ」

		などと言いだし、結局卒業までの長期休みの半分以上を立花家の別荘で過ごすようになり、その間の
		口裏合わせを、留三郎が家族と従業員に頼みこむ羽目になったのだった。おまけに、「ついで」と
		ばかりに招かれた他の友人達を合わせても、最も家事能力が高いのは留三郎で、続いて長次―実は
		2人共家庭科部員―だったため、別荘で仲間内だけで過ごす間の家事当番は、一応交代制だったにも
		関わらず、いつの間にか殆ど彼らの担当になっていったりする。





ようやく中1夏ですが、この辺りまでが設定紹介部なので、次からは時間飛んでいく予定です。 2009.6.10 (2010.7.13 一部加筆修正)