大川学園を卒業し、地元の大学に進学してから3年半。文次郎には、未だ引っ掛かっていることがある。
		それは伊作にまつわることで、事故で昏睡状態の双児の兄の身代わりとして、女の身であることを隠して
		大川に在籍していた彼女と文次郎は、一応付き合っていた。けれど周囲の自称保護者達の目が常にあった
		ことや、元々文次郎が口を滑らせたのに対し伊作が
		「別に付き合っても良いよ」
		と返してきたからそういうことになっていたが、真意が一向に読めず、時折一歩引いた感まであった為、
		いわゆる「恋人らしい」ことは殆どしたことが無かった。
		だから文次郎は、卒業して進路が別れるのを機に、自然消滅する可能性については、付き合い始めた
		時から考えており、結果的にはそうなったと言えなくもない。けれど、元からかなり不運だとはいえ、
		受験の時期に風邪でずっと寝込んで居た所為で、浪人が決まっていた。という、妙に出来過ぎた状況や、
		卒業式を終え、寮も引き払い完全に全員の行く末が別れる時の、泣きそうな笑顔での
		「バイバイ」
		というそっけない別れの言葉と、小平太の
		「又な!」
		に答えなかったことなどが、文次郎の中で今も違和感として燻り続けている。

		おまけに、卒業して別れてから半年経つか経たないかの頃に、一度だけ意を決して連絡を取ろうとして
		みた際。メールはエラーで戻って来て、電話も「この番号は現在使われておりません」という、冷たい
		機械の声のメッセージが流れただけだった。

		それが、伊作の意図で接点を絶たれたのか、不運に見舞われ携帯が壊れでもしたのかの判別はついて
		いないが、意図的であると断言されることを恐れ、元々彼女と旧知で、実家の番号や近況すら知って
		いるかもしれない友人達にも、文次郎は未だに確認を取っていない。


		そんなある日。大学の構内で文次郎は、聞き覚えのある声によく似た声に「潮江文次郎くん?」と
		声をかけられた。

		「やぁ。『久しぶり』と、『はじめまして』どっちがいいかな?」
		「……伊作、の兄貴か?」

		文次郎が振り向いた先に立っていたのは―4年前の彼女が育ってもこうはならない気もするが―、伊作に
		生き写しの青年だった。

		「違うよ。僕が伊作で、君達がそう呼んでいたのは、僕の大事な大事な可愛い妹」

		にっこりと笑う伊作(兄)は、やはり妹とそっくりで、けれど明らかに別人にしか見えないと、
		文次郎は思った。





		「今更、何の用があって来たんだ」

		部外者と構内で話していると目立つため、とりあえず近くのファミレスに移動し、互いに注文を
		終えた後。文次郎が少々不機嫌そうに来訪の意図を問うと、伊作(兄)は端的に

		「僕の大事な妹が、次の春には結婚することになったから、その報告にね」

		と、何てことの無いような口調で答えた。

		「どういう、ことだ」
		「対外的には、事故に遭ってずっと眠っていたのは、妹の方だからね。事故前からの友達で、兄とは
		 親友で、リハビリにずっと付き合ってくれて、何かと親身になってくれてる相手がいたらさ、恋に
		 落ちてもおかしくない。って、大抵の人が感じると思わない? しかも、本当のことを知っていて、
		 6年間秘密を守る手助けをしてくれてた。っていう意味でも相談相手としても最適で、おまけに
		 家柄的にもバランスは取れてるというか、格上なんだよね。何しろ市長の坊っちゃんだし」
		「……仙蔵か」

		あくまでも世間話のような調子で伊作(兄)が話す内容は、何一つ間違ってはいないが、文次郎には
		すんなりと納得出来るものでは無かった。

		「そういうこと。ウチの親的には、余計なことをされる前に、さっさとお嫁にいって片付いてくれた
		 方が助かるから、仙蔵の存在は渡りに船。って感じみたいでね」

		それまでと変わらぬ口調のようで、どこか棘を感じる表現に、文次郎が怪訝そうな顔を見せると

		「一番ぶっちゃけた言い方をすると、僕らは家の為の駒でしか無い。ってことだよ」

		伊作(兄)はそう自嘲気味に笑ってから、詳しい事情を語り始めた。



							△



		「まず、多分君が一番気になっていることから話すと、僕の意識が戻ったのは、今から5年ちょっと前。
		 君達が高等部の2年に上がった頃のことでね。それからずっと、入れ替わる為の準備をして来たんだ」

		兄の側は、身体的なリハビリを行いつつ、知識や情報を詰め込み、妹側は必要な方法を兄に伝え、同時に
		入れ替わった後のつじつま合わせの為に動くよう命じられたのだという。

		「……だからか」
		「何をどう納得したのかは解らないけど、多分あってるよ。僕と入れ替わる為に、妹は沢山のことを
		 手放さなきゃいけなくなったから、随分投げ遣りで鬱気味になってた。って、仙蔵から聞いてるし、
		 受験の時期に寝込んでたのはもちろん嘘で、どれだけ強力な家庭教師がついて勉強漬けにされても、
		 ほんの2年弱で小4から医大合格レベルまでってのは無理だから、浪人は時間稼ぎの為。ちなみに
		 その次の年も、挑戦はしたけどまだ無理で落ちたから、ようやく今2年生なんだ」

		加えて、学年が違えば知人との遭遇率も若干下がるし、シスコン故にようやく目が覚めた妹にべったりで
		他人と交流をとらなくても不自然ではないので、現在学内に親しい相手は居ないらしい。そこまでの話は
		一応納得出来た。

		「連絡が取れなくなったのは、親がそうしろと言ったのか?」
		「携帯が壊れて、連絡先が分からなくなったからだよ。……落とした瞬間に車に轢かれて、本体も
		 データもメモリーカードも大破しちゃったし、親には隠してた方のだったからねぇ」

		妹の方は、兄にだけは文次郎や小平太のことも、親しかった後輩達のことも話したが、親には黙って
		おり、携帯電話もこっそり新しいものを買い、最低限の情報だけをそれに移して兄に渡したのだという。

		「あの子にとって、携帯というか、そこに入っていた情報は、多分お守りだったんだと思う。実家に
		 戻ってからは、家に居ても出掛ける―って言っても、花嫁修業的なお稽古事か、図書館とか近所の
		 お店が限界だったけど―にしても、監視されてるような状況で、唯一お目付けを追い払えたのって、
		 仙蔵と居る時だけだったからねぇ。自分の部屋や仙蔵の所で、メールや着歴を眺めてることは結構
		 多かったみたいだよ」

		自分から掛けることは、常に人の目や耳があるので難しく、メールも文次郎と同じく何と送っていいのか
		悩んでいる間に、不運に見舞われ携帯が壊れてしまい、仙蔵や兄の方の携帯で確認の取れる留三郎や長次
		などに訊くのもどうかと思ったようだと、兄は解釈しているらしい。

		「……コレは僕の推測だけど、君が仙蔵達を経由して、どうにか状況や新しい番号を訊き出して、連絡を
		 くれるのを待ってたんじゃないか。って僕は思っている」

		兄が言うには、ひたすら待ち続け、待つのに疲れて親の意図に沿うことに決めた。というのが、仙蔵との
		縁談を決めた理由なのではないかとのことらしい。


		「僕らの両親って、2人揃って前時代的な考えの人達でね。『女の子の幸せは、良い条件の相手の所へ
		 お嫁にいくことだ』って本気で思ってて、ついでに息子の僕のことも、家を継ぐ道具としてしか見て
		 ないから、あんな無茶な入れ替わりを強要して、娘を限りなく男子校に近い所に叩き込んだ訳なんだ」
		「……。そんな環境で、よくお前らみたいな奴に育ったな」

		苦笑―というよりも嘲笑―を浮かべながら話す伊作(兄)に、文次郎が少々ズレた率直な感想を漏らすと

		「最初の頃に聞いていると思うけど、僕らの実家は派閥争い真っ只中の大病院で、争っているの現院長の
		 父さん派と、父さんの弟である副院長派。っていう典型的な感じなんだけど、当の叔父さんは、人望が
		 周囲にあるから担ぎ出されたけど、そういうのに興味のない人でね。その叔父さんに僕らは似たんだ」

		曰く、専門は外科だが他も出来、医師としてはかなり有能だが人として微妙な現院長と、万能ではないが
		腕が悪いとまではいかない、人当たりのかなり良い副院長(内科)とを、それぞれ支持する者達で、病院は
		真っ二つになっているのだという。

		「正直、僕らとしてはどっち派が勝とうがどうでもいいし、父さん派が勝って僕が跡を継いでも、
		 叔父さん路線で行くつもりなんで、何の意味もないと思うんだけどねぇ」

		伊作(兄)にとって大切なのは妹の幸せだけなので、実家の病院がどうなろうと興味は無いらしいことは、
		大川時代に、妹の方や仙蔵達から何となく聞いていた兄の話からも、文次郎は察せていた。だからこそ
		殆どの謎が解けた今気になるのは、

		「お前らんちの内情は、大体解った。それで、お前は何が目的で俺に会いに来た」
		「だからぁ、最初に言ったじゃないか。僕の最愛の妹の、結婚報告に」
		「そんなもん、直接来なくても事後報告で充分だろ」

		多少不自然ながらも、一応自然消滅的に別れた相手への報告ならば、わざわざ訪ねて来て全て話す
		必要などないのではないか。そう文次郎が指摘すると、伊作(兄)はバツが悪そうに苦笑してから、
		スッと表情を変え、真顔で少々ドスを聞かせた声で

		「仙蔵を選ぶことは、妹にとって次善の策なんだ。……その意味は解るだろう?」

		と、言い聞かせるように問い掛けた。

		「……ああ、まぁ、多分な」
		「という訳で、仙蔵との直接対決…というか交渉? さえクリアしたら、後は好きにして良いよ」

		彼が考える妹にとって「最善」が何なのか解らなくもないが、俄かに信じ難い文次郎が言葉を濁すと、
		伊作(兄)はワザと茶化すような口調に戻り、言いたいことだけ言うと、文次郎の返答は聞かずに
		
		「さて、と。じゃあ、ひとまずの目的は果たしたから、帰ろうかな。僕もねぇ、監視はついてないけど、
		 外泊出来る程の自由は無いから、かなりの強行軍なんだ、実は」

		などと呟きながら、自分の携帯の番号とアドレスを書いた紙と、自分の分の代金より少し多めの紙幣を
		テーブルに置いて、慌ただしく去っていった。その際、自動ドアに激突してから出て行ったのを目にし、
		文次郎は
		「運の無い所までそっくりなのかよ」
		と不意に笑いが込み上げ、そこで初めて、彼ら絡みで自分が笑ったのが、卒業以来な事にも気が付いた。
		そして、早々に割り切ったつもりでいたが、やはりどこか不自然な別れ方をしたことを、今も引き摺って
		いた自分に気付いた文次郎は、伊作(兄)の思惑通りになるのは少々癪な上、その推測があっているか微妙
		だとも思い、ひとまず彼らの近況を知っているかもしれない長次辺りに連絡を取ってみることに決めた。
		


続く


ひとまず書いて挙げた直後に撤去した最終話の、書き直し第一弾。 実は一番書きたかったのは、多分この回の「『久しぶり』と、『はじめまして』〜」かもしれなかったり 2010.7.31