気付いた時には、双児の妹達の世話をしながら、掃除や洗濯をしていた記憶がある。
ベビーベットで泣きわめく双児を代わる代わるあやしながら、洗濯気を回したり掃除機をかけていたような気が
するので、多分小学校に上がったばかりの頃からで、料理だけは「まだ1人じゃ危ないから」と、叔母さん達と
一緒に作ったり、祖父さまや叔母さんの所に食事時だけ顔を出したりしていた筈だけど、その内に殆どのことは
自力で出来るようになったし、妹達も成長して、手伝ってくれるようになった。
けれど、母さんからも他の身内からも、一度として
「お姉ちゃんなんだから」
みたいなことを言われた覚えは無い。だから、そうすることを選んだのは、自分の意思だし、自分を可哀そう
だと思ったことも無い。
今にして考えてみると、うちの双児が1〜2歳の頃というのは、祖父さまの所にきり丸が。伊作叔母さんの所に
立て続けに双児2組が生まれた頃で、おじさん達も息子達が生まれたり結婚したりと、ドタバタしていた頃の筈
なので、あまり迷惑を掛けられない。と子供心に考えた可能性は高い。
それでも、娘達を身内に預けて不在がちな母さんを、責めたり恨めしく思ったことも、何故か殆ど無い。
その辺りの心情については、母親不在で父親も滅多に家に居ない中で、10歳の頃から弟妹だけでなくお兄さんの
面倒まで看ていた滝夜叉丸叔母さんの同意が得られていて、滝叔母さん曰く
「不満を漏らした所で、現実は特に何も変わらないし、他の誰よりも私がその手の事に長けており、結果的には
自分自身を高めることにもなるからな」
とのことで、必要に駆られてのことではあったけれど、こき使われていた訳では無いという。それは俺も同じで、
たまに気が向いた母さんや、妹達が家事に手を出そうとしても、後片付けややり直しでやることが増えることも
あるし、自分のやり方と違うことをされるのが気に食わない事もあったりするので、断ることすらある。
それなのに、身内以外の世間の人達はそう思わないようで、俺は一番すごいたとえで「シンデレラのよう」だと
言われたことすらある。どうもそれを言った人―母さんの元彼の1人―的には、母さんや妹達のような美形では
無く、家事ばかりしていて可哀そうだと思ったらしいが、余計なお世話だ。俺は好きでやっているし、母さん達
のようなタイプじゃないことは、全くコンプレックスになんかなってないんだ。それどころか、「似ていない」
と言われる度に、代わりにキレてくれる母さんや妹達、それから数馬なんかにも、たまに「余計なお世話」とか
「放っといてくれ」とか言いたくなることすらある。
もう、うんざりなんだ。俺は、現状で充分満足していて、どちらかといえば、目立たずひっそり過ごしていたい。
何で誰も、ソレを解ろうとしてくれないんだよ。強がりでも我慢しているんでもなくて、コレが本心なのに。
◇
「……偉いな、藤内」
何か流れで、つい過去語りも交えたグチめいた話をしたら、そう返ってきた。
「何が。どういう意味で」
「全てひっくるめてだ。今まで頑張ってきたことも、気まずくならないように、その本音を黙っていたことも。
それに、兵助兄さんも『俺は好きでやっているんだ。何か悪いか』と言っていたし、そういう考えは別に
珍しくないんじゃないか」
「そう、だよな」
同情なんかいらないけど、言い分を認めてもらえるのは、悪い気はしない。
「だけど、それで当たり前になっているお前は、やっぱりすごいとも思う」
頭に軽く手を置いて、ポンポンと叩いてから撫でられて、もう1度「偉かったな」と言われた。
留伯父さんや雷蔵さんや祖父さまなんかに、こんな風に褒めてもらったことはある。だけど、その何倍も
嬉しかった気がするのは、身内以外からだからか。……その答えは、まだ出さないでも良いだろうか。
『瑠璃も玻璃も照らせば光る』の続きみたいなものかなぁ
もしくは、アレを踏まえたもっと未来。
という訳で、オチの相手は伏せていますが某次男くんです。(そろそろ、表立って彼らの話が書きたい気がしなくもなくて)
2010.9.20
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