冬に命を落としたと思っていた人が、生きていたことを知らされたのが春のこと。
	更に夏には子が生まれると聞いたので、夏の終わりに祝いに訪ねてみたが、予定に反して未だ生まれておらず、
	ようやく生まれたとの報告を受けたのは、秋の頭に差し掛かる頃だった。

	そこで、秋の半ばに再び訪ね、今度こそは彼の人達の子を見よう。と初めに言い出したのは、雷蔵だったか
	八左ヱ門だったか。はたまた勘右衛門か、珍しいことに兵助だった気すらするが、とにかく三郎以外の誰かが
	言い出し、他の皆も賛同したのは確かだった。根底にあったのは、おそらく些かの好奇心と、細やかな意地と、
	あらゆる意味で「これが最後の機会」との想い。


	しかしながら、いくら揃って訪問することを望んだとて、先方に断られては元も子もないので、

	「秋休みに入ったら、出産祝いに伺っても宜しいでしょうか?」

	と文を送ってみた所、

	「まだ体調が戻りきっていないので、ろくな持て成しは出来ないけれど、それで構わないのなら」

	との答えが返ってきた。産後1月近く経つというのに、まだ臥せっているとは、どれだけ消耗が激しかったの
	だろう。と心配そうに呟いたのは雷蔵で、 予定より10日も遅く生まれたそうだから、通常より大変だったのでは
	ないか。と推測を口にしたのは勘右衛門。見た感じ、体力も大分落ちていたようだしな。と春と夏に会った時の
	様子を思い浮かべたのは八左ヱ門で、本人は平気だと主張していても、周りに心配されて中々床上げ出来ないの
	かもしれない。と付け加えたのは兵助で、おそらくそれらの推測は、どれもほぼ当たっているだろう。と考えた
	のは三郎だった。
	何しろ、三郎が知る限り、性別を偽り「善法寺伊作」と名乗っていた頃の彼の女は、数年に亘り気力で体調を
	誤魔化し続けていたといっても過言ではなく、懸念事項の大半が無くなったことにより、一気に心身共に疲れが
	出た可能性は高い。そう考えると、若干大人数で訪れるのは負担が大きいようにも思えたが、文末に

	「君達が逢いに来てくれるのを、楽しみに待っています。怪我や病気に気を付けて、無茶はしないように」

	との、かつての後輩達の来訪を心から望んでいることが読み取れる文言に、以前と変わらない彼女らしい
	言葉が添えられていた為、遠慮なく邪魔することを決めた。



	そういった経緯で、秋休みに入ってすぐに、5人揃ってかつての先輩方を訪ねたが、天井裏から忍び込もうと
	してみたのは、「何か面白い光景が見れるかもしれない」「気付かれるか試してみよう」などの好奇心からの
	ただの冗談のつもりで、主に伊作の夫である文次郎を試そうとしての行動だった。
	しかし、音も無く天井裏に入り込んだ瞬間。寸分の狂いもなく、足元に何かが打ち込まれた。
	間一髪で全員が避けて見てみれば、それはクナイと棒手裏剣と袋槍の先で、合わせて5本。しかもしっかりと、
	天井板に突き刺さっていた。

	すぐさま室内に降り立ち、
	「問答無用ですか」
	と、筋違いとは思いつつも三郎がボヤくと、冷ややかに
	「忍び込もうとする方が悪い」
	と返してきたのは伊作の方で、どうも天井に向かって攻撃したのも、未だ伏せっている筈の彼女のようだった。
	しかも、
	「お前な、自分が武器持ってないからって、人のを勝手に抜いて使うなよ」
	などと文次郎は呆れており、後で聞いた所、気配に気付くなり傍に居た彼の懐や袂から暗器を抜き取って投げた
	らしい。加えて、伊作は元から気配には敏感な上、この時点では産後鬱と寝不足が、多少解消されたとはいえ
	尾を引いていた為、機嫌も調子も若干よろしく無かったのだという。



	「……えーと。それでは、改めまして、おじゃまします」

	一つ溜め息をついてから、代表して頭を下げたのは兵助で、持参した出産祝い―八左ヱ門の「いくつあっても
	困んないし、むしろ助かる」との言から、全員で縫ってみたオムツと産着―を差し出したのは勘右衛門で、
	「お子さん女の子なんですよね、名前は何と?」
	「まだ解りにくいかもしれないですけど、どっち似っぽいですか?」
	などと話題を赤ん坊の方に移したのは、雷蔵と八左ヱ門だった。


	「完璧に僕似で、名前は『伊織』。……だっこしてみる?」
	「いいんですか?」
	
	殺気も冷やかな空気も一瞬で消し去り、まだ少しぎこちない手つきで、傍らに寝かせていた娘を抱きあげ、
	伊作はふわりと笑った。

	「うん。首がまだ据わってないから、それだけ注意してくれれば多分平気」

	生まれてすぐの頃から多くの人に囲まれ構われていたからか、伊織は見知らぬ人間に手渡されても、泣き声一つ
	上げずに、自分を抱きかかえた相手の顔を見上げていた。

	「流石竹谷、うまいね」
	「そりゃ、まぁ、下居ますから」

	初めに伊作から伊織を受け取ったのは、弟妹が多くそれなりに赤ん坊慣れしている八左ヱ門で、その手つきに
	危なげな様子は全く見受けられなかった。

	「やっぱりね。こへも同じこと言ってた。……不破も結構上手だね」
	「えっと、弟妹は居ませんけど、近所の子とか、甥姪は抱っこしたことあるんで」

	八左ヱ門から渡され、少々おっかなびっくり抱いてみた雷蔵も、ひとまず抱き方は間違っておらず、落とす心配も
	なさそうだった。

	「ああ。久々知や尾浜も?」
	「はい。しょっちょう子守り押し付けられてました」
	「俺は一応抱き方は知ってただけで、実際子守りしたこととかはほとんどないです」

	次いで渡されたい組の二人も、慣れてはいないが危なげとまではいかず、勘右衛門に至っては若干の余裕すら
	感じられた。

	「そっか。……鉢屋も抱いてごらん? 危なっかしくても、落としさえしなきゃ平気だし、僕でさえ抱けるん
	 だから大丈夫だよ。……今後、忍務か何かで赤ちゃんを預からなきゃいけないこともあるかもしれないから、
	 何事も経験ってことで。ね?」
	「……はい」

	1人だけ、一歩引いた所で伊織と戯れる友人達を眺めていた三郎に、伊作がこう声をかけた時、友人達は揃って
	その理由づけに感心した。
	何故なら、三郎は己が身も身内も疎んでいるため、このような状況での常套句とも言える
	「いつか自分の子が出来た時の為に」
	は通用しない。そして、一度兵助から返してもらった伊織を差し出しながら、尚も受け取って抱くことを躊躇う
	三郎に、伊作はまるで仙蔵を彷彿とさせる笑みを向けて付け加えた。

	「ねぇ鉢屋。この子が誰の子だと思っているの? そういう意味でも、『僕でも抱ける』んだよ。……というか、
	 実は一般の人よりも、こっち側の人の方が慣れていて、患者さんや近所の人に抱っこされると泣くこともある
	 のに、忍務帰りの文次とか、幽かに火薬の臭いが染み付いている仙蔵でも平気だったんだよねぇ」

	伊作が言わんとしたことを、正確に全て読み取ったのは、おそらく三郎だけだろうが、他の4人と文次郎までも
	「血と泥と火薬と、ついでに薬の臭いに慣れていて、殺気にも動じない赤ん坊はどうだろう」
	などと、密かに思った。


	「……赤ん坊って、こんなに小さくて頼りないのに、意外と重くて、ちゃんと人間なんですね」
	「うん。あと、柔らかくてあったかくて、案外丈夫に出来てるみたい」

	恐る恐る伊織を抱えた三郎の呟きに、穏やかに微笑った伊作は、他の5人には見えないように、唇だけを動かし
	(だから汚れた僕らが触れても、そう簡単には穢れないし壊れないよ)
	と付け加えた。



	「さて、と。じゃあ、ご飯作るけど、鉢屋達も食べてくよね?」

	しばらくの間硬直したように伊織を抱いている三郎を、満足げに眺めてから、伊作は立ち上がり夕食の支度を
	始めようとした。

	「あ、はい。よろしいんですか?」
	「うん。診療費の代わりとか、出産祝いでもらった食べ物結構あるし、折角だもん。……それじゃ、しばらく
	 伊織のことお願いね、文次」

	恐縮した様子のかつての後輩達に、伊作はにっこり笑い、三郎から返された伊織を文次郎に託そうとした。

	「いや。俺が作るから、お前が伊織看てろ」
	「え゛、潮江先輩、(マトモな)料理出来るんですか!?」

	新米夫婦の何気ないやり取りに、思い切り怪訝そうな声を上げ、文次郎に睨まれたのは八左ヱ門だった。	

	「結構上手だよ。けど、塩は控えめでね」
	「……解ってる」

	にっこり笑う伊作の証言が、後輩達には俄かに信じ難かったが、
	「そういえば、『貴重品』のお粥の噂とかあったし、鉄粉さえ入っていなければ、おにぎりの形は良かったよね」
	ふと思い出したように、ヒソヒソ声で他の4人にそう囁いたのは雷蔵で、『貴重品』とは―噂の域を出ないが―
	伊作が体調を崩した時などに友人達が作るという、差し入れの甘酒や粥などを指す。
	「ああ。あと、いつだったか参加させてもらった飲み会のつまみが、先輩達の手製だったらしい」
	「てかさ、食堂の当番で調理の手伝いしたこともある筈じゃない?」
	「確かにそれはそうだな」
	雷蔵の言をうけ、残る友人達もこっそりそんなやり取りをしていた最中。不意に、それまで大人しく寝ていた
	伊織がぐずりだした。

	「あー、おんちゃんもお腹空いたかな」
	「……って、先輩! ここでそのまま乳やろうとしないで下さい!!」

	伊織の泣き声に、後輩達がそちらを向くと、伊作が無造作に胸を出そうとしているのが目に入った。

	「ごめんごめん。つい、同期のみんなと居る時の感覚で……」
	「先輩方の前では、平気でそういうことしているんですか!?」

	笑いながら謝る伊作の言葉に、後輩達がギョッとしていると、文次郎から苦々しげな註が入った。

	「……食満の野郎は同室だったし、仙蔵や長次なんかの前でも堂々と着替えてたんで、今更なんだよ」

	流石に妊娠・出産を経て、パッと見では解り辛かった学生時代とは大分体型が変わったため、実は同期の側は
	意外と気まずい思いをしているのだが、伊作本人が全く気にしていないので、指摘出来ないのだという。
	そんな訳で、一応場所を変えて授乳を済ませた伊作が、再び伊織を寝かしつける様子が、「意外と様になってるな」
	などと後輩達が思っている間に夕食が完成し、伊作の言う通りそれなりに上手いことに、後輩達が複雑な思いを
	しながら食べ終えた後。

	「えっと、で、その……」
	「もうお暇します。普通の家より広いといっても、5人も泊ったら迷惑でしょうから」

	その先の、潮江家に5人が泊っていくか否かについて、伊作が言いにくそうに切り出した瞬間。三郎は他の
	4人の意見を聞かず、きっぱりと断って帰り支度を促した。その態度に対し、怪訝そうな顔をした4人も、
	三郎にそっと示された伊作の表情が、僅かながら明らかに安堵しているのが解ったため、大人しく従った。


	「アノ人、他人が居ると寝付けない性質なんだと。……潮江先輩や同期の人達は、辛うじて平気らしいが」

	潮江家を辞し、伊作から教えられた旅屋へ向かう道すがら。訊かれる前に理由を口にした三郎は、コレ以上は
	一切何も言わなかったが、各々
	「そういや気配には敏感だったよな」
	「寝不足も体調が戻っていない原因の一つなのかな」
	「何でそんなこと知ってんだよ三郎」
	「そうでなくても、新婚家庭に長居する気は無かったけどね」
	などと、内心で納得したりツッコミを入れていた。


	

『山吹草』『赤詰草』の続き的なもの。 書きたかったのは、赤ん坊に触るのを躊躇う三郎と、それに対する伊作のセリフです。 緋衣草=サルビアの花言葉:尊敬・家庭の徳・すべてよし・家族愛 など 2010.4.26