落花 第十一話
試験の点数は視力検査並みだが、妙に実戦経験豊富なは組をはじめとする
1年生が、どうにか無事に全員そろって進級できてから約半年。
2年になっても、相変わらず日々せわしなく稼いでいるきり丸は、秋休みを
利用して、少々遠方の団子屋でのアルバイトに精を出していた。
その店は、きり丸が普段の長期休みの際に身を寄せている、担任の土井の
住む町にあるうどん屋の娘の嫁ぎ先で、
「孫が生まれたばかりで、娘が店に出られないから手伝ってやって欲しい」
とうどん屋の主人に頼まれ、土井の許可も取れたので、学園からそのまま
出向き、住み込み状態で働くことになっていた。
その初日。店先で客引きをしながら接客をしていると、通りすがりの男が
店の前で足を止め呟いた。
「何で、お前がこんなところにいるんだ」
「は? え? 何なんですかお客さん??」
「ちょっと。何子供に絡んでるの。可哀想でしょ」
突然のことにきり丸が戸惑っていると、男の隣を歩いていた、赤ん坊を抱いた
若い女が、それをたしなめた。
「絡んでねぇよ。知り合いだ。知り合い」
バツが悪そうに、連れの女に言い訳をする男の顔は、よく見てみると
「もしかして潮江、先輩? と……」
この瞬間にきり丸の脳裏に浮かんだのは、「実の姉」「義理の姉(兄の妻)」
「従姉妹」「親戚」の4つで、年齢からして「妹」はないような気がして、
「文次郎本人の妻」という可能性については、よぎりもしなかった。
したがって、無難なところで「おねえさん。ですか?」と言ってみると、
女はいたずらっぽく笑いながら
「わたし、この人より年上に見える?」
と訊いてきた。そこで
「え。いや、でも、妹さんってことはないですよね。じゃあ、ご親戚の方とか?」
などと返しながら、「妹と、さらに年の離れた末っ子」もしくは「姪っ子の子守を
任された妹」という可能性にも気づき、それを付け加えてみると、女は楽しそうに
笑ったが、文次郎は苦虫を噛み潰したような顔になった。
「…俺の妻子じゃ、何かいけねぇってのか」
「……。え? 冗談、ですよね??」
「あはははは。いやー、これが、本当なんだよねぇ」
不貞腐れるような文次郎の言葉に、一旦絶句したきり丸が、つい本音で
返すと、女はより一層楽しそうに笑ってから
「初めまして。潮江文次郎の妻の、潔(いさぎ)と言います。この子は娘の伊織」
と名乗ってから、小さく「…何てね」と呟いた。そしてそれと同時に、団子屋の
向かいで水を撒いていた店員の手から柄杓がすっぽ抜け、彼女に降りかかった。
「相変わらずだなお前。…伊織は無事か?」
「うん。大丈夫。髪と背中がちょっと濡れただけ」
その、あまりにも見覚えのある気がする光景に、きり丸が「善法寺先輩?」と
無意識の内に呟くと、彼女はあっけらかんとそれを肯定した。
「んな簡単にバラしてどうする」
「じゃあ、君はこの状況で誤魔化せるって言うの?」
などと文次郎と痴話喧嘩―なのかよくわからない―を始めた潔を、よくよく
観察してみると、髪型や服装などは完全に女物で、顔も若干痩せたように
見えるし、何よりも体形が緩やかで自然な曲線を描いてはいるが、かなりの
高確率で、実習中に事故死したはずの保健委員長と同一人物に思えてきた。
「その辺りの詳しい話も教えてあげるから、今日うちにご飯食べに来ない?
で、出来れば泊まっていってくれると嬉しいな。折角だから、今の学園の
話とかも聞きたいし」
あっけにとられながら「先輩、女の人だったんすか」と呟いたきり丸に、
潔―伊作―はにこにこと笑いながら提案し、文次郎もその提案に反対
しなかったので、団子屋の夫婦に「知り合いに会って…」などと適当に
ぼかしつつ話を通して、仕事が終わると、きり丸は彼らの家を訪れた。
忍術学園の医務室程ではないが、以前用があって入ったことのある伊作の
自室並みに薬臭い潮江家で供された夕食は、姫飯と焼き魚に芋煮という、
妙に豪華なもので、きり丸が恐縮した態度を見せると、伊作は
「気にしないでいいよ。『診療代の代わりに』って食べ物を持ってくる患者さんが
多いんで、無駄にしないためにも食べちゃって。あと、意外にお互い稼げてるし、
少ない予算で薬作るの慣れてるから、結構余裕あるんだ」
と、飯をよそいながら笑った。その言葉に、きり丸が苦笑を返すと、
それが聞こえていた文次郎が、決まりが悪そうな顔で弁解を始めた。
「あのな。俺だって、好きで予算を削っていたわけじゃない。特に保健は、
最低限の保証額が決まっていて、それを割り込まんようにはしていてだな…」
「あのさ、別に責めてるわけでも、嫌味でもないよ。結果的に良い経験だった
と思ってるし、部屋用のは自腹切って栽培と実験と改良してたんだしさ」
別名「第二医務室」と呼ばれていた伊作の部屋の救急箱に入っていた薬は、
その大半が伊作が独自に手を加えた、効能は高いが副作用も高い、紙一重な
代物だともっぱらの噂で、どうもその噂は正しかったらしい。
そんなこんなで食べ始めて以降。話をしたのは、もっぱら学園の近況を訊かれた
きり丸で、伊作はそれを楽しそうに聞きながら質問を重ね、文次郎はそんな二人を
見守るように、あまり口を利かずに食事をしていた。
食後になってからようやく、かいつまんで事情を教えられ、その最中に一度
授乳のために席を立ったことで、伊作が女であることをきり丸は納得した。
その話の内容は、三年ほど前に伊作が友人達にしたのとほぼ同じ、当たり
障りのないものだったが、当時よりも伊作の語り口は落ち着いていた。
その後。伊作のたっての願いで、「夫婦の間にきり丸と伊織」という、どことなく
気恥かしい布団配置で寝ることになったが、色んな意味で気が昂っていたきり丸は、
中々眠りに就くことが出来ないでいた。それでもどうにか目を閉じて眠ろうとして
いると、隣の布団の文次郎が小声で話しかけてきた。
「…起きてんだろ」
「はぁ。まぁ、起きてますけど、何すか?」
目を閉じたまま、面倒臭げになおざりの返事をきり丸が返すと、
文次郎はやけに真剣そうな硬い声で、妙なことを訊いてきた。
「お前あの店にはいつまで居るんだ?」
「あと3日の予定っす」
秋休みが10日で、学園までの往復が約6日。したがって、残りの4日間が
バイト期間になっていた。
「なら、その間ここで寝泊まりしてもらえるか?」
「は? 何でですか!?」
とっさに布団を跳ねのけ、上体を起こしたきり丸が文次郎の方を向くと、文次郎は
布団の上に胡坐をかき、真顔で、言いにくそうにガリガリと頭を掻いていた。
「さっきも話したが、いさの精神状態はかなり不安定で、特に夜になると酷いんだが、
俺は忍務で明日の昼前には発たねばならん」
「要は『念の為』ってことっすね」
食後の話の中で、出産の前後に文次郎が不在だったことも―それだけが原因では
ないが―しばらく情緒不安定な時期があったことも聞いていたきり丸は、少し
言い淀み気味の文次郎の言わんとすることを、すぐに察することができた。
「ああ。頼めるか? 報酬は出す」
「…いいよきり丸。平気。気にしないで」
「! 起きてたんすか先輩」
交渉が成立しかけた矢先に、反対側から声がしたのでそちらを向くと、
上体を起こした伊作が、眉をひそめていた。
「元々眠りは浅いし、気配に敏感な性質だからね。…どうせ文次は
わかってて話してたんでしょ? 言っとくけど、きり丸を招いたのは
純粋に話がしたかっただけ。そもそも『忍務を入れても構わない』って、
僕から言い出したんだから、大丈夫」
「てめぇの『大丈夫』は、信用できねぇんだよ!」
自分を挟んで言い合いを始めそうになった二人を、どう止めたものか
きり丸が考える前に、伊織が大声で泣き出した。
すぐさま伊作が抱きあげてあやし、ついでにおむつを確かめ授乳も済ませると、
伊織は再びすやすやと眠りだしたが、また起こしたりしないように、文次郎は
静かな声で一言だけ伊作に言葉をかけた。
「俺の自己満足ってことにしとけ」
言われた伊作本人だけでなく、きり丸も目を丸くしたせいか、言うなり文次郎は、
照れ隠しとも不貞腐れともとれる仕草で、布団を被って寝に入った。
「…どうします先輩? 俺としては、どっちでも良いんすけど」
「うーん。じゃあ、お言葉に甘えさせてもらおうかなぁ。君と、ちょっと
二人だけで話してみたいことも、実はあるし」
昼間に比べると若干弱弱しげに苦笑した伊作の、「話してみたいこと」は、
この場で訊いてもはぐらかされ、きり丸は次の夕方までお預けを食らった。
朝になり、団子屋のバイトへ向かう際に、伊作に
「行ってらっしゃい。気をつけてね」
と送り出されたきり丸は、土井と暮らし始めた頃に感じたのとは、少し違うが
どこか似た、くすぐったい「何か」を感じた。
そして夕方。バイトを終え潮江家を再訪問するなり、伊織を渡された。
「…これは、『子守しろ』って意味っすか?」
「ううん。ただ、温もりと脆さを感じて欲しかっただけ」
子守慣れしているきり丸でも、首が据わっていないような乳児を預かることは
ほとんどなく、伊織はこの時まだ生後一月半程度だった。
「家族のいる友達を、羨ましいと感じたことはある?」
伊織を抱きかかえ直しながらの伊作の問いの真意が、きり丸には解らなかった。
そしてその「家族を羨む」という感情は、きり丸にとっては、封印したつもりで
封じきれていない、苦い感情である。
だからきり丸は、何も答えずに―答えられずに―無言で俯いた。
「確かに、実の親兄弟は失ったら二度と戻らない。けれどもね、また新しい家族を
得ることは出来る。それは『結婚して子供ができて―』という意味ではなくて……」
きり丸に語りかけているようで、どこか遠くを見て呟いているだけにも聞こえる
伊作の言葉は、どことなく淋しげだった。
「僕は、自分が命を生み出せる性で、実際こうして伊織を生んだ。そして、
伊織が居るから、文次と三人で『家族』という形をとっている。だけど、
『失いたくない』と思ったからこうなっているだけで、本音を言えば、
仙蔵も留も、長次もこへも同じくらい大事で、『たまたま文次だった』
ってだけのことな気がするんだ。…いや、もしかしたら、長次が父様で、
留と仙が兄様と姉様。こへと、君達後輩が弟たち。そんな風に感じる方が、
ずっと愛おしくて、大切かもしれないな」
きり丸は女子の身ではないし、失った家族に愛されていた記憶も、おぼろげ
ながらきちんと残っている。だから、どこか虚ろな伊作の言葉の半分は理解
出来ない感覚だが、半分かもしくはそれ以上は、何となく解った。
「俺にとって、土井先生が父ちゃんで、先輩方が兄ちゃん。組や委員会の
友達は、友達と同時に兄弟。だから俺は独りじゃなくて、家族がいる」
きり丸の中で導き出された答えは、これだった。
「うん。ただの『気休め』とか『逃げ』だと思うかもしれないし、『本物の家族』
には敵わないかもしれない。だけど僕は、そう思うことで救われた気がした。
だから、君にこの話をしてみたかったんだ」
どことなく噛み合っていないが、思いは通じた気がした。そんなきり丸に、
伊作はさらに予想外の素晴らしい言葉をくれた。
「僕には、君と土井先生が、時々親子か兄弟に見えた。でも、もしも他に帰る
場所が欲しいのなら、ここに帰って来ていいよ。僕は、君の姉でいよう」
昨夜や今朝感じたくすぐったさは、伊作の中に母や姉に通ずるものを感じた
からなのだと、この時初めてきり丸は気がついた。
そして、土井の中に微かに父を見て、共に暮らす中で自然に「家族」という
感覚が生まれていたことも、同時に感じたのだった。
今度は胸がいっぱいになったことで、何も言えなくなったきり丸に、伊作は
「明日は『ただいま』って帰っておいで」
と笑いかけた。
潮江さんちは、むやみやたらと来客が多いので、食器も布団も予備があるんです。
そんなわけで、きりちゃん「弟」認定完了。数年後には、当然のように
「姉ちゃん」か「いさ姉」と呼ぶようになります。
『水霜』の笹山様話で「きり丸は全部知っている」ってのは、ここから始まり、
今後も色々関わって行きます。
潮江さんの言い訳内容は、たぶん、新野先生から「これだけは絶対に必要」っていう
予算案が申請されていたんじゃないかなぁ。と思って捏造してみました。
明るめなのはここまで。以降、重くて暗くて痛々しくなる予定です
2009.1.17
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