落花 第十六話

忍術学園を卒業した半年後に娘伊織を産み、その四年後に息子文多を産むまでの間で二度。文多を 産んでからの四年で三度。十六歳から二十四歳までの八年強で、伊作は少なくとも七度子を孕み、 内二人を無事に産み落とし、流産と死産とで五度児を失った。しかしそれは、あくまでも文次郎が 認識している回数であり、もしかすると忍務で家を空けている間に発覚し、すぐに失ったがそれを 隠している可能性も否めない。それだけ伊作が、孕み易くかつ流れ易く、更に妊娠だけでも身体に 相当負担がかかる体質なのだと文次郎が気付いたのは、伊織の次の児が流れ、立て続けにその次の 児を死産し、更にその次の文多も一度流れかけた頃になってようやくだった。 ほぼ毎回悪阻は重く、産めたにしても流れたにしても、その後しばらく寝込む程に体力を消耗し、 回数が重なるにつれ消耗の度合いが酷くなる一方の伊作は、七度目の妊娠が臨月間近での死産で 終わってから数日間。生死の境を彷徨い、意識が戻ってからもしばらく臥せっていた。 そんな弱りきった妻と、妙にしっかり者とはいえまだ八つの娘と、たった四つの息子を残して家を 空ける気になれる程、文次郎は薄情でもなければ、あくせく働かねばならぬ程生活に余裕が無いわけ でもない。そのため、伊作がある程度回復するまで、文次郎は依頼を受けずに伊作の傍に居た。 まだ万全の体調とまではいかないが、どうにか床上げした日の夜。子供達を寝かしつけると、寝顔を 眺めて頭を撫でながら、独り言なのか、傍らで忍具の手入れをしていた文次郎に語りかけているのか 判り辛い位の声で、伊作が呟いた。 「多分、無事に三人産めたことと、辛うじてまだ命があるだけで、奇跡なんだと思う」 「三人? 生きて生まれたのは二人だろ」 呟きが聞こえた文次郎が怪訝そうに問うと、伊作は己の失言にすぐさま気付き、目を見開いて息を 呑んでから、少し考えるようなそぶりを見せると、覚悟を決めて静かにその問いを否定した。 「……ううん。三人。…あれだけの無茶をしても流れなかった伊織と、気付かれなかったアノ子。  そこで持てる運の全ては使いきったと思ってたのに、無事生まれてきた文多。どの子が、一番  奇跡的だろうね」 「…………」 「今は何を言っても言い訳にしか聞こえないだろうけど、君を裏切ったつもりはない。それだけは  信じて。……なんて、無理だよね」 あまりの内容に頭の中が真っ白になり、すぐさまには何も言えなかった文次郎の意識は、伊作が泣き 笑いの表情でこう言った直後、掴みかかって問い詰めようとした瞬間で途切れている。それが伊作の 仕込み針で眠らされた所為だと気付いたのは、意識が戻って伊織に 「あれから二日経っていて、母様は出ていったわ」 と告げられた瞬間だった。 診療所は、1年ほど前から通いの見習いの助手をしている猪名寺乱太郎に任せ、患者や近隣住人には、 乱太郎から「体調が中々戻らないので療養に出掛けた」と説明したという。そして伊織に文(ふみ)を 託し、文多だけを連れて家を出たのだと伊織は説明した。
「わたしは、母様からの言伝の為に残されたけど、その内お迎えが来て下さるの。でも、『それを  待って付けて来ても無効』だそうよ。あと、最後に。……『僕は絶対に謝らない』ですって」 文に目を通し終わった文次郎にこう付け加えた伊織は、覚悟を決めた時の伊作にそっくりで、この言葉 以上のことは、訊いたとしても頑として言わないだろう。そう感じ取れはしたが、それでも文次郎には 一つ気に掛かることがあった。 「……伊織。お前は、何処まで何を知っている」 「知っていることは少ないけど、一つの時からの記憶はあるの」 泉が生まれた日のことを覚えていて、なおかつ今日までそのことに関して口を閉ざしていた。つまり 事情や詳しい心情までは理解出来ずとも、「コレは口にしてはいけないことだ」と、幼くして伊織は 悟っていたことになる。そんな娘を空恐ろしいと感じると同時に、文次郎はそのように育てた伊作の 抱える「闇」の深さを垣間見たような錯覚も覚えた。 「…ねぇ、父様。母様、すごく、辛そうだったの。ずっと、出て行く時も。だから……」 年相応。とは言い難いが、顔を歪め、涙を拭いながらしゃくり上げる伊織は、不安でいっぱいの無力な 子供に見えた。精一杯強がり、大人びた態度を取り続けようとはしていたが、話している内にどんどん 不安が募っていき、抑えが利かなくなったのだろう。泣きじゃくる伊織の言わんとすることを察した 文次郎は、伊織を落ち着かせて泣き止ませる為と、自身の決意の意を込めて、涙を拭ってやりながら、 目を合わせてハッキリと言い切った。 「ああ。解っている。ちゃんと、アイツが望む通りにして、……必ず迎えに行く」 何某かの、事情なり理由があったことは、端から解っている。そして、その大本が学生時代にある ことも、自分には隠されていたことも。そう気付いていながら、触れられたくないのだろうと感じ 取り、質さなかったのは自分自身だ。 故に、あの時は一瞬で一気に頭に血が上り問い詰めようとはしかけたが、実際は、怒っても疑っても いないのかもしれない。 それが、一旦眠らされたことで冷えた頭で、文に目を通し、目の前で娘に泣かれ、冷静に考えた結果、 文次郎が出した答えだった。
最終章です。仲間内からの証言を集めながら、居場所を特定するために旦那が奔走します。 遠回りや無駄足のようで貴重な証言も入れるとすると、話数は予定より増えるかもしれません。 潮江さんと一緒に、読んで下さっている方も納得していただける結末になることを祈って 2009.6.18 2010.6.24 一部修正


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