戻 一覧 進落花 第十七話
十で出会ってから、約15年。文次郎に伊作の真意が読めたことなど、ほぼ皆無に近い。 それが作り笑いだとはまず気付かれない程の、隙の無い笑顔を張り付かせ、治療絡み以外では殆ど 自己主張はせず、常に何処か一歩引いた印象がある。それが学生時代の伊作で、卒業後連れ添って からは、少しだけ他の感情を出すようになり、自己主張も多少はしなくもない程度にはなった。 それでも、常に何かを堪え、隠し、誤魔化しているように思える。それが文次郎の、伊作に対する、 率直な見解だった。 常に他人を優先し、言い訳は極力しない。それを呆れる程のお人好しの証だと考え、もどかしくすら 思っていたが、違うのかもしれない。 一切弁解することなく、むしろ開き直ったかのような内容の置き文を残して伊作が消えたことで、 文次郎は初めてそう気が付いた。 残された文から読み取れることは、大きく3つ。 ひとつ。探し出し、迎えに行くことを望んでいるということ。 ひとつ。事情を知る者達から、過去の話を聞かねばならぬこと。 ひとつ。3ヶ月の期限以内に探しださねばならないこと。 そのいずれか1つでも欠ければ、おそらく二度と伊作は戻らない。だから、同期の友人全員―場合に よっては、何かしら知っている可能性のある後輩達も―を訪ねなければならないのだろう。 そう、文次郎は考えた。けれどこの時点で文次郎が居処を知る知人友人は、近くに住む長次と、仕える 国を持つ小平太と仙蔵のみで、留三郎やきり丸―ついでに鉢屋不破―については知らなかった。更に、 明らかに鍵を握っているのだと解ってはいても、ギリギリまで顔を見たく無いので仙蔵は後回しにして、 残る元ろ組の2人から、過去の話と共に、他の者の住処を訊きだせないものかと考えた。 * 潮江家の最も近くに住み、かつ間違いなく「何か」を知っている長次の屋敷を訪れはしたが、果たして 何と言って長次本人に繋ぎを取ってもらうものか。などと考えながら、出迎えた下女にひとまず長次の 旧知であり、更にその母の通いの主治医をしている伊作の夫であることも文次郎が告げると、思いの外 あっさりと長次の元に案内された。 「……お前が訪ねて来たら、全て話して聞かせてやれと、いさから言われている」 あの夜。伊作は文次郎を昏倒させた後、乱太郎への細かい指示などを書きだし、夜が明けて直ぐに伊織を 起こして言伝と置き文を託し、文多を連れて中在家の屋敷を訪れ、長次に簡潔に事情を話して協力を仰ぎ、 往診は乱太郎に引き継いだ事を告げて行ったのだという。 「…俺が知っているのは、過去のことだけだ。かつて、何があり、その結果いさがどうなったか。 その程度しか、俺の知ることはない」 そう前置きをして長次が語ったのは、主に留三郎と知り合ったきっかけに連なる事件と、繰り返された 悪夢の顛末についてだった。しかし、その合間にふと、長次は妙な問いを文次郎に投げかけた。 「……忍術学園の七不思議の一つ、『池の骨』のことを、お前は覚えているか?」 「あ? ああ。水練用の池の底から、異様に小さい人骨が見つかった。とかいうのだろ? アレは結局、 たまたま池に落ちて溺れ死んだ猿の骨か何かだろう。ってんで片が付いたんじゃなかったか?」 関連は解らないが、長次が無関係な無駄話をするとも思えないので、文次郎が記憶を辿りながら昔―確か 3年の春頃だった筈だ―聞いた怪談話についてを答えると、長次は微かに首を振った。 「確かに、表向きは、そういった形で収められた。では、胎児がどの程度の時期から、人の形を成して いるかは知っているか?」 「……ちょっと待て。それは、つまり、まさか…」 それまでの話の内容と、唐突な問いとを合わせて導き出される答えが、文次郎には1つしか見つから なかった。 「ああ。あの骨は、いさが初めて殺した子供のものだ」 まだ月経周期が不安定な時期だったため、多少遅れたり来ない月があっても、さほど気に留めなかった ことが、発覚が遅くなった原因だと考えられているという。そして、自殺紛いの方法で堕ろしたのが 氷の張りかけた真冬のことで、そこから数か月は池での演習がなかったため、白骨化するまで発見され なかったと見られているらしい。 「…その後、俺達が知る限りで、3度いさは児を孕んだ。その内自然に流れたのは、1度きりで、 他は薬物などを使用し、無理矢理堕ろした。……最後の堕胎は、何時だったと思う」 おそらく、怪我なり病気なりを装っただろうことは解るし、思い当たる節もいくつかはある。けれど それが正答なのか、文次郎は全く自信がなかった。 「…3年の秋休み一杯、酷ぇ風邪で寝込んでた時か?」 「それが3度目だ。…夏に流れてから、間を置かず孕んだようで、あの時は酷かった」 「なら、最後は何時だ」 聞かねばならぬのだろうと解っていても、その答えを聞きたくないと、文次郎は本能的に思った。 「……4年に上がる前の、春休みだそうだ。もっとも、俺もそれを聞かされたのは、後になってから だがな。…女の身であると、ほとんど勘付かれなくなったのは、4年も中頃になってからだそうだ」 ここまで聞いて、ようやく文次郎は積年の謎がいくつか解けた。 一つは、かつて打ち明け話の最中に錯乱しかけた原因。次に、自分達が付き合いだした当初の、仙蔵や 留三郎の、過剰なまでの、自分への悪意と伊作への心配に満ちた態度。そして、伊作の性行為に対する 未だ消えぬ恐怖や嫌悪の反応と、伊織の妊娠を告げた時の仙蔵の過剰反応。それら全てが繋がっており、 かつ、文次郎が責められるに足る理由になっている。 「……。何も知らなかったとはいえ、最低だな、俺」 自嘲気味に文次郎が呟くと、長次からは意外な答えが返ってきた。 「…俺は、そうは思わない。結果的に、お前を選び、受け容れて許したのは、いさ自身だ。たとえ自覚が 無かろうと、お前はいさにとって、何かが他と違うと感じたからこそ、今があるのだろう。…もしも、 本気で拒絶されていたなら、とうの昔にお前は死んでいてもおかしくない」 その言葉にも、文次郎は若干思い当たる節があった。学生時代から、伊作は反射的に警戒して身構え、 相手が文次郎だと認識出来た瞬間に、その警戒を解くことは多かったし、闇の中近付いて、あやうく 毒針で殺されかけたことも幾度かあるのだ。 「……伊織の目元が、お前に似ていると主張することも、お前への執着の証だと、俺は考えているが」 長期の依頼が増え、家を空けることが多くなった頃から、伊作は娘の伊織が、目元だけは文次郎似だと 言い張るようになった。それをほとんどの人間―文次郎自身ですら―は「気の所為だろう」で片付けて いるが、何故か伊作はその主張を曲げない。その理由を長次は、「伊織は間違いなく文次郎の娘である」 と信じたいが為の言動だと捉えているという。 「……。なぁ、長次。お前は、いさの泣いたのを見たことはあるか?」 「無い。『泣いたら誰か助けてくれるのか』『泣いても止めてなどもらえない』そう言って、決して 泣こうとはしなかった。……何時だったか、『泣き方を忘れた』と言っていたこともある。けれど、 お前はあるんだな」 「ああ。『泣きたくて泣いている訳じゃない』らしいが、何度かな」 学園を去って以降。虚勢を張る必要性が無くなったからか、伊作は弱音や些細な我がままを口にする ことが増えた。その中でも、特に多く要求するようになったのが「傍に居て」と「独りにしないで」 の2つで、ここ数年―文多が生まれた頃から―はだいぶ落ち着いたが、忍務で長く家を空けて帰宅 した時などに、ひどく不器用な泣き方をしていることがあった。けれど在学中に泣いた姿を見たのは、 死亡偽装後の一度きりである。 「……それこそ、お前が特別な、確たる証拠だろう。いさは、泣かないのではなく、泣けなかった。 助けを求めることすら諦め、一人で全てを耐えようとしていた。それが、俺達の知るいさの姿だ」 目を瞑り、耳を塞ぎ、息を殺して、一刻も早く悪夢が去ることだけを祈っていた。その伊作が、恐る恐る 腕を伸ばし、救いを求めたのが文次郎なのだ。 そう伝えることが長次の役目で、おそらくそれ以上のこと―仙蔵と関係を持った理由や、泉を産むと 決めた経緯など―は知らないのだろうと文次郎は判断した。 「アイツが、当時俺に何も言わなかったのは何故だと、お前は考える?」 最後に一つだけ文次郎が長次に問うと、彼は「あくまでも、私見に過ぎぬが」と前置きをし 「何も知らずに接されることが、一種の安らぎだったのだと、俺は考えている」 全てを知っているが故に護ろうとした自分達の気遣いが、時に重く、息苦しかったのだろう。そう解って いても、知らない振りをすることも、突き放すことも出来はしなかった。そんな中で、何も知らぬが故に 素のままで接してきた相手に、安らぎを覚えたのではないか。それが、長次の見解なのだという。 「……無知は時に罪だが、無知を恥じて知ろうとすることは、有効だろう」 「…戻ってくると思うか?」 「お前次第だな」 * 普段言葉少なな友人の、含蓄のある言葉に、些かの勇気と自信を貰う。確たる答えは得られずとも、 少しは真相に近付いたのだと、そう思いたい。 次は、己と同じく、何も知らされていなかった筈だが、意外に侮れぬ勘と洞察力を持つ友人。 彼の眼には、果たして何が、どう映っていたのか……
久々に、嫌なリアリティを思いきり追及。 6か月頃の胎児はもう立派に人型で、骨格も筋肉も結構発達してきていて、 現在の堕胎でも、そこまでギリギリの月齢だと、出産に近い形になるんだそうです。 長次さんの口調がよく解りません。とりあえず「…」とか「、」を多用してはみましたが…… 2009.8.2